阪神タイガースからFA移籍した選手と移籍後の成績一覧、大山悠輔と原口文仁がFA宣言
大山悠輔と原口文仁がFA宣言
阪神・大山悠輔内野手(29)がFA権の行使を表明した。球団公式HPでは「プロ野球選手として初めて他球団からの評価を聞く機会を得られましたので、FA権を行使させていただく事にしました。野球人生において、すごく大きな決断のタイミングだと思うので、慎重に時間をかけて考えさせていただきたいと思います」とコメント。2023年に全試合4番として日本一に貢献した主砲が流出となれば、チームにとって損失は計り知れない。
さらに代打の切り札として存在感を発揮していた原口文仁内野手(32)もFA宣言。「この度FA権を行使することを決断いたしました。15年間お世話になったタイガース球団、いつも日本一の熱い声援で背中を押してくれたファンの皆様には感謝しかありません。ただ、いち野球人として、もう一度挑戦したいという思いが強く、この度、決断に至りました」とコメントしている。
プロ野球選手にとってFA権はひとつの勲章だ。権利を行使して他球団の評価を聞いてみたい、違う環境でプレーしたいという希望を叶えることは、長く活躍してきた証でもあり、野球人生のターニングポイントになり得る。
一方で、出ていかれる球団にとっては活躍してきた選手であればあるほど、戦力ダウンとなりダメージを伴う。人気球団で甲子園をホームとする阪神から出ていった選手は多くないが、それでも夢を追い、あるいは活躍する場を求めて移籍した選手は過去10人いる。国内他球団に移籍した選手と、移籍後の成績は下の通り。
国内他球団へ移籍した野手は5人
日本球界で導入されたFA制度を初めて使ったのが松永浩美だ。1992年オフに野田浩司との交換トレードで阪神入りしたものの、80試合出場で打率.294、8本塁打、31打点の成績を残して1年でFA宣言。故郷・福岡のダイエーに移籍し、1997年まで4年間プレーした。その後、MLBアスレチックスの入団テストを受けたが、結果を残せず引退した。
坪井智哉との交換トレードで日本ハムから2003年に加入した野口寿浩は18年ぶりのリーグ優勝に貢献。しかし、矢野輝弘から正捕手を奪うことはできず出番が減り、2008年オフにFA宣言して横浜に移籍した。横浜では2年間で19試合に出場したのみで2010年に引退している。
俊足巧打の内野手として2度のリーグ優勝に貢献した藤本敦士は鳥谷敬、関本健太郎、平野恵一らとポジションを争ったが、次第に出場機会が減少。2009年オフにFA権を行使し、ヤクルトに移籍した。ヤクルトでは4年間プレーしてプロ通算1000試合出場を達成し、2013年に引退した。
2007年オフ、濱中治、吉野誠との交換トレードで阿部健太とともに阪神に加入した平野恵一は、俊足強打とガッツあふれるプレーで活躍したが、2012年オフに西岡剛と福留孝介がメジャーから阪神に移籍するタイミングでFA宣言。古巣オリックスに復帰し、3年後の2015年に引退した。
2012年から6年連続100試合以上に出場していた大和は、北條史也や糸原健斗らと併用されていたが、2017年オフにFA宣言。DeNAでは7年間プレーし、打率.247、9本塁打、152打点の成績を残した。2024年オフに戦力外通告を受けている。
国内他球団へ移籍した投手は2人
投手でFA移籍したのは2人。ヤクルトと優勝を争った1992年に14勝を挙げた左腕・仲田幸司は、9試合登板で0勝2敗に終わった1995年にFA宣言した。ロッテでは2年間で19試合に登板したものの未勝利に終わり、1997年オフに阪神の入団テストを受けたが、不採用となり引退した。
2009年に橋本健太郎との交換トレードで阪神に加入した久保康友は、2010年に14勝を挙げるなど主に先発として活躍。藤川球児のメジャー移籍に伴ってリリーフとして起用された2013年オフにFA宣言してDeNAに移籍した。DeNAでは4年間プレーし、2018年に米独立リーグへ移籍している。
メジャーリーグ移籍は3人
阪神からFAでメジャー挑戦したのは以下の3人となっている
初めてメジャー挑戦したのは新庄剛志。シーズン最後まで優勝を争った1992年に亀山努とともに大ブレークした阪神の若きスターは、2000年オフにFA宣言。慰留する阪神が提示した破格の複数年契約を蹴って、推定年俸20万ドルのメッツと契約し、世間を驚かせた。
1年目は10本塁打を放ち、ジャイアンツに移籍した2002年は日本人選手として初めてワールドシリーズに出場。メジャー計3年で打率.245、20本塁打、100打点の成績を残し、日本ハムに移籍後の2006年に引退した。
1994年に9勝を挙げて新人王に輝くなど阪神のエースとして活躍した藪恵壹は、2004年オフにFA宣言。アスレチックス入りし、40試合の登板で4勝1セーブ1ホールドを挙げた。2005年オフに自由契約となるとメキシカンリーグなどでプレーし、2008年にジャイアンツで60試合に登板。2010年シーズン中に楽天にテスト入団し、同年限りで引退した。MLB通算7勝6敗1セーブ10ホールドの成績を残している。
藤川球児は「JFK」と呼ばれたリリーフ陣の一角を形成し、最多セーブに2度輝くなど阪神のセットアッパーやクローザーとして活躍。2012年オフにFA宣言し、カブス入りした。しかし、2013年6月にトミー・ジョン手術を受けるなど故障に苦しみ、MLB通算1勝1敗2セーブ1ホールドに終わった。2015年シーズン中に帰国し、四国アイランドリーグの高知を経て翌年から阪神に復帰。2020年に引退するまで日米通算245セーブをマークした。
なお、2003年に20勝を挙げ、2007年にヤンキースに移籍した井川慶と、2023年にアスレチックス入りした藤浪晋太郎はポスティングシステムによる移籍だった。
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記事:SPAIA編集部