甲斐よしひろ、甲斐バンド50周年と16年ぶりニューアルバムを語る
大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日13時~15時30分)、6月18日の放送に甲斐よしひろが出演。11日に発売となった、自身の率いる甲斐バンドの16年ぶりのニューアルバム『ノワール・ミッドナイト』に関して語った。
大竹まこと「(甲斐バンドの)ツアーはいつから始まるんですか?」
甲斐よしひろ「6月21日、今週土曜(相模女子大学グリーンホール)から、全国8ヶ所です。リハもしっかりやっています。50周年なんですよ。そんなに長く続ける、と思ってやっている人なんかいませんからね。やれることをやっていたらここまで来た、という。ライブしかしてきていない。テレビに頻繁に出る、ということもないし」
大竹「ラジオはあったよね」
甲斐「あ、そうですね。ラジオとライブはしっかりやる」
大竹「全国で『甲斐よしひろが来るぞ』と待ち構えているわけ?」
甲斐「50周年なので祝福する空気はすごいです。ソウルドアウトもかなり出てきているので、ありがたいですね。コロナ禍をいいことに、打ち上げしなくなったんですよ。1ツアーで1回か2回。途中と最後ぐらい。ほど良い感じです」
大竹「アルバムが出たんだよね」
甲斐「『ノワール・ミッドナイト』という16年ぶりのアルバムです。亡くなったリードギターの大森(信和)さんのラストトラックが入っているんです。ドラムの松藤(英男)くんが自分のオリジナルの曲でオケをつくってくれて。大森さんの体調が悪くなったとき、それを渡して『自由に弾いて』と言ったらしくて」
大竹「うん」
甲斐「その曲があったことを僕は知らなくて、リードギターの田中一郎、松藤だけが知っていた。で、アルバムつくるよ、自分たちの曲出して、と。そうしたら『こういう曲もあるよ』と。これがアルバムの締めの曲になっています」
大竹「メンバーの方が亡くなったあとは、どういう体制だったんですか?」
甲斐「解散のとき武道館5日連続とかやって。10年経って一度集まろう、と言って、やって。そのとき大森さんの体調が良くない感じで。そこからたまにライブしていましたけど、亡くなったのをきっかけに、ちゃんとバンドやろう、と。僕はソロ活動もしていたけど、甲斐バンドも本格的に。(再始動の)きっかけになった、というのはありますね。50周年を祝うわけではないですけど、それを機に出そう、と」
水谷加奈「16年ぶりのアルバムですもんね。甲斐バンドといったら、私が子供のころ、全然テレビに出ないバンドでした。ヒーローで。『ザ・ベストテン』に初めて出たとき、次の日クラスじゅうで大騒ぎになったんです。中学か小学6年のころでしたかね」
甲斐「ベストテンってそういう番組でしたもんね。だって僕、1ヶ月、ツアー先をずっと追われて。行くとプロデューサーがいるんですよ、もうお亡くなりになりましたけど。どこでもいるので根負けして、1回だけ出ます、と言って。熱意がすごいですね」