旧ジャニーズ問題でネット世論が果たした役割とは? 少数派が力をつける新しいストーリー
ネット上で多数派に見える意見や大きな広がりを見せた運動は、必ずしも実際の世論と相関しない。この乖離は、なぜ、どのように生まれるのか? X(旧Twitter)の膨大なデータに基づき、ネット世論の構造を徹底分析した谷原つかささんの新刊『「ネット世論」の社会学 データ分析が解き明かす「偏り」の正体』より、旧ジャニーズ事務所性加害問題に関する主要メディア、ソーシャルメディアの反応を分析した章を抜粋して公開します。
第4章 ソーシャルメディアは社会を変え得るか
旧ジャニーズ問題とメディアの沈黙
2023年3月、イギリスの公共放送BBCは、「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」というドキュメンタリー番組を放送しました。このドキュメンタリー番組では、ジャニーズ問題を取り巻く日本社会の状況について、次のような言及があります。
ジャニー氏による加害行為は日本では決して秘密ではなく、それを取り巻く沈黙は、虐待そのものとほとんど同じくらい恐ろしいと言えるかもしれません。
日本において、性加害が問題化されないこと、未だ沈黙を保っていることそのこと自体が、「なにより恥ずべきこと」と痛烈に批判をしています。しかし2023年、このBBCの報道がきっかけとなり、沈黙は破られることとなりました。その時、ソーシャルメディアはどのような反応を示したのか。本書に引き付けていうならば、ネット世論はどのように反応したのか。沈黙を破るために重要な役割を果たしたのではないか。このようなことが考えられるわけです。
少数派が力をつけるストーリー
BBCの報道の後、Xではジャニーズファン以外のユーザにより沈黙は破られました。その後、ジャニーズ問題を糾弾することが多数派となります。そしてこのタイミングで、ジャニーズ事務所を擁護するというハードコア層が生まれました。これを担ったのはジャニーズ事務所のファン層でした。つまりジャニーズ問題に関する世論のプロセスでは、多数派意見の逆転現象が起きています。問題が可視化されていないうちは少数派だったジャニーズ糾弾の世論が、主要メディアによって報道された後、多数派となります。そして今度はジャニーズを擁護する世論が少数派となります。
このことが示唆することこそ、前章の終わりに触れた沈黙のらせん理論(※)の意味の拡張です。すなわち、ソーシャルメディア時代においては、エコーチェンバーにより孤立の恐怖を感じにくいのです。
※沈黙のらせん理論:人々が孤立を恐れて多数派意見に迎合するために、多数派はますます多数派に、少数派はますます少数派になり、意見の自由市場が歪められるという理論
たとえ少数意見であっても、フィルターバブル、エコーチェンバーによって、自分の周囲において自分と似た意見が可視化されます。従って、たとえ主要メディアやXユーザのマジョリティが形成する社会の多数派意見が自身の意見と異なっていても孤立への恐怖を感じにくく、容易に意見表明を行うことができるのです。さらにいえばこの層は、自身が少数派であることすら認識できていないかもしれません。ジャニーズ問題をめぐるXユーザの反応は、まさにこの点を示唆しています。
もっともこの点は、オフラインにおけるソーシャルネットワークでも同様のことが起きていると報告されています。日本国内で行われた研究によると、ハードコア層は身近な人々の中に自分と同じ意見の人が多いと見積もっていたのです(*1)。オフラインですらそのような事態が起こるのですから、オンライン上ではソーシャルメディアの機能により、より顕著にそうした事態が起こると考えることは妥当です。しかも、プラットフォームのアルゴリズムにより、身近に同意見の人が可視化される傾向は大幅に増幅されます。
沈黙のらせん理論が1970年代に提唱された当時は、人々が孤立を恐れて多数派意見に迎合するために、多数派はますます多数派に、少数派はますます少数派になり、意見の自由市場が歪められるということが指摘されました。しかし本書で確認したのは、少数派(初期におけるジャニーズ糾弾派、中期におけるジャニーズ擁護派)がエコーチェンバーの力を借りて力をつけるストーリーでした。特に、図表4–6が示す、ジャニーズ擁護派が拡大していく様子は、少数派はますます少数派に、という伝統的な沈黙のらせん理論の説明とは真逆です。
ここに、沈黙のらせん理論の意味の拡張が見て取れます。すなわち、オンラインソーシャルメディア時代において、沈黙のらせん理論の背景にあるメカニズムは、「ネット世論」という新たなフィールドで、社会の少数派が増幅する機会を与えているのです。
社会悪を明るみに出すのは誰か
本来、沈黙を破り、社会に存在する悪を社会問題化するのはメディアの役割だと考えられます。実際、今回はBBCという海外メディアがその役割を果たしました。そしてそれを日本国内でバーストさせたのはXというソーシャルメディアでした。
当時ジャニーズ事務所がどのような意思決定プロセスの中にあったのかは定かではありませんが、ソーシャルメディアでの盛り上がり及びそれを受けての主要メディアからジャニーズ事務所への質問が、ジャニーズ社長の動画報告を誘発したことは否定できないでしょう。そして日本の主要メディア(テレビ、新聞)は、この動画報告及び質問回答を受けて頻繁に報道を行い始めました。この時すでに、ソーシャルメディアレベルでは沈黙は破られていましたが、この段階になって初めて主要メディアレベルでの沈黙は破られたと考えられます。その後、本件の報道は断続的に増えていきます。ゴシップから社会問題になったのです。
多メディア時代の昨今、ソーシャルメディアが発端となり沈黙が破られる本件の事例のような存在を鑑みれば、メディア企業と産業の商業的結びつきにより社会悪を封殺してしまうことは現実的ではなくなっているのかもしれません。
*1 安野智子(2006)『重層的な世論形成過程 : メディア・ネットワーク・公共性』東京大学出版会
谷原つかさ(たにはら・つかさ)
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。国際大学GLOCOM客員研究員。専門は計量社会学、メディア・コミュニケーション論。2018年関西社会学会大会奨励賞を受賞。著書に『〈サラリーマン〉のメディア史』(慶應義塾大学出版会)、『消費と労働の文化社会学』(共著、ナカニシヤ出版)など。