爆風スランプ40周年記念ベスト「Runner」と「大きな玉ねぎの下で」しか知らない人もぜひ!
デビュー40周年を迎えた爆風スランプ
2024年10月23日、爆風スランプのベストアルバム『40th Anniversary BEST IKIGAI 2024』がリリースされた。そう、今年は彼らのデビュー40周年にあたる年なのだ。
爆風スランプは1999年の活動休止から、何度かの再結成がなされているが、今回、40周年にあたり再集結がなされた。7月13日にはTBS『音楽の日』に4人で出演を果たし、8月25日には26年ぶりの新曲「IKIGAI」の配信がスタート。そしてベストアルバムの発売を経て、10月31日の名古屋E.L.L.から11月17日の東京 LIVE CUBE SHIBUYAまで、ライブ『爆風スランプ〜IKIGAI〜デビュー40周年日中友好LIVE ”あなたのIKIGAIナンデスカ?”』が開催される。
爆風スランプはボーカルのサンプラザ中野(現:サンプラザ中野くん)、ギターのパッパラー河合、ドラムでバンドリーダーのファンキー末吉、ベースの江川ほーじんの4名で1982年に結成された。元々はヤマハ音楽振興会主催のアマチュアバンドコンテスト『EastWest』81年大会で、最優秀グランプリを受賞した爆風銃(バップガン)と、優秀グループ賞を受賞したスーパースランプの2バンドが合流する形で誕生したのは有名な話。前者には末吉と江川、後者には中野と河合が在籍していた。そして、1984年8月25日にシングル「週刊東京『少女A』」とアルバム『よい』でレコードデビューを飾った。
過激なパフォーマンスが売りだった爆風スランプ
初期の爆風スランプは、ステージ上で消火器を噴射したり、スイカを投げる、火がついた花火をくわえるなど、過激なパフォーマンスが売りのバンドだった。一方でレコーディング作品はユーモアに溢れた楽曲と、80年代ニューウェイヴ的なセンス、演奏テクニックの高さでマニアックな支持を受けていた。
だが、ファーストシングル「週刊東京『少女A』」はご存知中森明菜「少女A」のパロディ、B面となった初期の代表作「たいやきやいた」は、「およげ!たいやきくん」のパロディと、両面ともパロディソングでのデビューだった。これにより初期の彼らのイメージはコミックバンド的な部分が先行していたと言えるだろう。実際、同じソニー系列のレコード会社所属の米米CLUB、聖飢魔Ⅱと共に、ソニー3大色物バンド的な括りをされていた。3組とも音楽のジャンル、方向性は異なるが、いずれ劣らぬ実力派揃いのバンドだったことを思うと感慨深いものがある。
特に爆風スランプは、元になったバンドのうち爆風銃がファンクバンドであったゆえ、ファンキーな音作りの作品と、パッパラー河合の主導によるハードロック指向の作品、あるいはプログレ的な作風まで、実に多彩な音楽性を有していた。過激なパフォーマンスが話題になり、ライブの動員が増えていったのが1985年あたりから。噂を聞きつけてライブに訪れた観客は、その演奏力の高さ、特にリズムセクションの強靭さに驚かされることとなる。
爆風スランプの名を世に知らしめた「Runner」
爆風スランプの名を世に知らしめたのは、なんといっても「Runner」(1988年)のヒットによるところが大きい。陸上部を背景にした楽曲ながら、実のところは、本作を最後に脱退した江川ほーじんへの思いを中野が歌詞に託している。新田一郎をプロデューサーに迎え、事務所も新田が代表を務めていた代官山プロダクションへ移籍。“売れるバンド” へと方向性を転換していこうとした際に、江川が脱退を決めたという事情があるのだが、結果「Runner」はオリコンチャート最高6位の大ヒットとなる。この曲はその後も高校野球をはじめとするスポーツ応援歌の定番となり、現在まで最も広く知られた爆風スランプの楽曲となった。
ちなみに江川はこの曲が最後のレコーディングで、1989年1月9日の日本武道館公演を最後にバンドを脱退。不在となったベースは、各テレビ番組に出演の際は、聖飢魔Ⅱのゼノン石川や男闘呼組の高橋一也、サザンオールスターズの関口和之、スターダストレビューの柿沼清史、筋肉少女帯の内田雄一郎など、名だたるベーシストたちが代打を務めていた。その後、和佐田達彦が正式に加入し “バーベQ和佐田” の名で活動している。
1992年撮影のアーティスト写真
2024年撮影のアーティスト写真
青春回顧の名バラード「大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い」
「Runner」の大ヒットは、爆風スランプに新たなイメージを与えた。彼らの多彩な作風の中でも "青春" がキーワードとなった作品が人気となっていったのである。特に85年11月発売のセカンドアルバム『しあわせ』に収録されていた「大きな玉ねぎの下で」は青春回顧のバラードとして高い評価を受け、89年10月21日には、「大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い」としてリメイク、シングル化された。
サンプラザ中野の抒情性とストレートな恋愛の心情が出た名作であり、この2曲を持って、爆風スランプは甘く苦い青春ソングを歌うバンドとして一般的な認知を得たのである。その後も「月光」「リゾ・ラバ-Resort Lovers-」などのヒットを飛ばし、80年代終盤から90年代にかけて、トップクラスの動員力とセールスを誇るバンドへと成長していった。この時期に、代官山プロダクションの親会社であるアミューズへと移籍を果たしている。
当初、コミックバンド的な認知からスタートし、実はストレートな青春の思いを投影するスタンダードナンバーを書けるバンドと謳われ、さらにはタレント性と大衆性を持ち合わせたフロントマンの存在、といった部分を鑑みても、爆風スランプは同じアミューズ所属のサザンオールスターズと類似点が多い。
“パロディもクソ真面目にやる” というバンドの精神
また、売れっ子バンドになっても、初期のパロディソング的な作風も継続され、郷ひろみ「お嫁サンバ」の向こうを張ったラテンナンバー「お婿サンバ」や、千葉県柏市生まれのパッパラー河合が、松任谷由実「埠頭を渡る風」の柏版として作った「KASHIWAマイ・ラブ~ユーミンを聞きながら~」など “パロディもクソ真面目にやる” というバンドの精神は引き継がれている。ちなみにこの「KASHIWAマイ・ラブ」はパッパラー河合がボーカルを務めており、その後、各メンバーの “出身地マイ・ラブ” シリーズとして「流山マイ・ラブ」「坂出マイ・ラブ」「京都マイ・ラブ」などが作られていき、今回のベストアルバムにも収録されている。
再集結した爆風スランプ「Runner」の一発録りが300万回再生を突破
ところで、この40周年を記念して、現在、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」に爆風スランプが登場、久しぶりに再集結した彼らが「Runner」を一発録りで披露しているが、10月12日現在で300万回再生を突破しており、多くの人々にインパクトを与えた模様。サンプラザ中野くんの変わらぬ力強いボーカルもさることながら、コメントではリズムセクションの凄さについての言及がずらりと並んでいる。この曲のリリースから36年が経過し、このバンドの実力を再認識したユーザーの驚きが書き込まれているのは感慨深い。
彼らの40年に渡る軌跡がパッケージされた今回のベストアルバムは「Runner」の中国語バージョンを初収録するほか、「たいやきやいた」「月光」など、ディスク1収録の曲は全曲リアレンジ、ディスク2収録曲も全曲リマスタリングでお届けする。多彩な音楽性とセンス溢れるアイデアの数々、そして抜群の演奏力を誇る実力派としての力量が存分に楽しめる構成となっている。そして、彼らのハードな演奏が楽しめるのはやはりライブなのだ。「Runner」と「大きな玉ねぎの下で」しか知らない人も、ぜひ一度彼らの音に触れて、その実力を存分に堪能していただきたい。