「個性的で魅力的、でも愛したら悲劇」60’s無頼カルチャー描く『バイク・ライダーズ』監督インタビュー
ジェフ・ニコルズ監督が『ザ・バイクライダーズ』を語る!
『ザ・バイクライダーズ』は同じタイトルの1967年の写真集――シカゴ発祥のアウトローズ・モーターサイクル・クラブへのダニー・ライオンの取材から生まれた、実話から着想を得た物語だ。
地元のバイク愛好会的な家庭的なクラブが、カルチャーシーンのシンボルとなり巨大化して変質してしまう。オースティン・バトラーやトム・ハーディ、『ウォーキング・デッド』シリーズのダリルことノーマン・リーダス、『テイク・シェルター』のマイケル・シャノンも出演する、見た目もクールなライダーだらけのバイク映画でありつつ、アイデンティティと組織の変質が描かれた人間ドラマだ。監督のジェフ・ニコルズに話を聞いた。
「The Bikeridersの写真にも文章にも創作意欲を掻き立てられた」
―ダニー・ライオンの写真集「The Bikeriders」からインスパイアされたとのことですが、ライオン氏を捕まえるのは大変ではありませんでしたか? じつは知り合いの編集者が写真集の日本語版を出したかったのに全然捕まらなくて出せなかったと言っていました。
それが全然、大変じゃなかったんです。兄のベンが<ルセロ>というバンドに入ってるんだけど(オルタナ・カントリー・バンド。写真集からインスパイアされた曲「Bikeriders」が本作でも使われている)、何年か前にダニーの写真をアルバムジャケットに使おうとしていて、兄が彼のメアドを知ってたんです。でも正直に言えば、どうしてそんなに大変だったのかわからないな……。ダニーはサイトにもメアドを載せていたんですよ。
彼は、僕にはすごくオープンでした。2014年に最初にメールしたとき、その時点で4本の映画を撮っていたので、僕がどういう人間かわかっていたのがよかったのかもしれないですね。彼は何本か僕の映画も観てくれていたんですよ。『テイク・シェルター』(2011年)と『MUD マッド』(2012年)は観てくれていたはずです。それで彼はかなり速く返事をくれて、ニューメキシコの彼の家で会いました。僕のほうから行ったことにも喜んでくれたんだと思います。そうやって直接会って映画化案を話しました。
―私はこの映画を観たあとにダニー・ライオンのサイトで当時の写真を見たんですが、映画の再現度に本当に驚きました。60年代シカゴのバイクシーンを再現するのに一番苦労されたのはどんなことでしたか。
バイクそのものを扱うのがかなり大変でした。手に入れるのもメンテナンスも、すごく大変なんです。何台かは製造から60~70年も経っていたんですよ。それに1940年代のバイクもありました。とにかく始終問題が起きるんです。でも「The Bikeriders」の写真にも文章にも本当に創作意欲を掻き立てられました。心に刻みこまれたんです。ダニーの写真を完コピしようとしたわけじゃないのに、映画のショットにダニーの写真が再現されてしまったのは、僕が長いことあのイメージを持ち続けて生きてきたからです。
ダニーの本の中でも代表的な写真、たとえばトム・ハーディが演じているジョニーがダート・バイクに乗っているショットだけが特別なんじゃなくて、オースティン・バトラー演じるベニーが橋の上を走っているショット、家の前にいるコックローチのショットなんかは本当に些細なディテールにもこだわりました。映画のほぼどのシーンもダニー・ライオンの写真のように感じられてしまうことに、そんなにも長い時間あの本と過ごしてきたんだという、ある種の驚きを感じました。
「ノーマン・リーダスは完璧。まったくトレーニングの必要がなかった」
―今ではあまり使われない仕様ということでも、当時のバイクでの撮影は大変だったと思います。俳優たちにはどのように演出しましたか。
まず、トレーニングから始めたんです。ジェフ・ミルバーンというスタント・ライダーがバイクのスペシャリストとして入ってくれて、ほとんどのバイクが彼のものです。全部で32台のバイクを使いました。それとは別に、自分のバイクで参加してくれたエキストラもいました。俳優たちも役柄でバイクに乗った経験があったんですが、アメリカでは政府が70年代半ばにバイクの仕様を、ブレーキやイグニションやスロットルがここに来るべき、というふうに標準化したんです。(それ以前は)ハンドシフトというものがあって“自殺シフター”とも呼ばれていますが、その当時独特のもので信じられない複雑さなんです。だからいまのバイクを乗りこなせていても、たとえばトム・ハーディはすごく巧いライダーですが、それでも昔のバイクに乗るにはトレーニングが必要でした。
トムの話をしたのは、ほかのバイク40台を従えて50年代のハーレーダビッドソンに乗るシーンがあるんですが、現在のようなディスクブレーキがついていないので「ブレーキレバーを押し続けたのにバイクが止まらない」ということがあったからです。もちろん、そんなショットは映画に入れられない。経験があるライダーにとってもチャレンジ続きで、俳優たちがアンティークなマシンに安心して乗れたのは本当にスタント・コーディネーターのミルバーンのおかげです。
―ノーマン・リーダスはどうでしたか?
ああ、ノーマンは完璧でした。『ウォーキング・デッド』をフランスで撮っていて、戻ってきてすぐの撮影だったので、トレーニングする時間が全然なかったんですよ。でも彼はずっと前にミルバーンに会ったことがあって、どれくらい乗れるかわかっていたので、そのまま撮影に入ってもらいました。
初日からめちゃくちゃ難しいバイクに乗るのに、最初のテイクから完璧に乗りこなしていて、止まるべきぴったり正確な位置に止まったんです。アスファルトじゃなく草原を走って、しかもウィッグをして付け歯をつけてサングラスもかけていたんですよ。信じ難い素晴らしさでした。まったくトレーニングの必要がなかった一人ですね。
「写真もあって、文章もあって、さらに音声もあった」
―ダニー・ライオンは30~40本の取材テープを監督に聞かせたそうですね。
ゼロ年代の終わりごろ、ダニーのサイト「Bleak Beauty Blog」に入り浸っていました。ダニーは当時頻繁にアクセスしていて、あるとき音声データを投稿したんです。キャシーとジプコとキャルの音声でした。僕が初めて彼の写真集を読んでから6年くらい経っていて、ほぼ文章を暗記するくらい読みこんでいたんですが、それは自分の心に一つの窓を開けるような音声だったんです。
―男たちの物語でありながら、ベニーの妻という立場で、どちらかといえば集団に批判的なキャシー(ジョディ・カマー)の語りで物語が進んでいき、そのために客観性とともに皮肉やドライな感じがプラスされているように思います。バイク集団にとってはよそ者のキャシーを中心に据えたのには、そういう狙いがあったのでしょうか。
理由はたくさんあって、それも一つでした。彼女はすごく面白かったんです。男たちは身体も大きいしスーパーマッチョでスーパークールです。それを彼女はすぐに打ち負かしてしまう。彼女はベニーの妻ですが、同時に男たちをネタにして笑ったりもしていた。そのことにすごい魅力を感じました。彼女は自分自身に対しても辛辣で、彼女のインタビューを聞くと本当に興味深いものがあるんです。
60年代のこうしたサブカルチャーの中では、誰も彼女に話す機会を与えなかったみたいです。だからダニーが質問すると、洪水みたいに答えが返ってくる。実際、浮かんだ考えがそのまま口から出てくる感じです。クラブについて話しながら、自分自身について話している。魅力を感じながら怒りを感じることもある。彼女の言うことすべてに賛成できるわけではないけれど、いつも本当に思っていることしか言わない。発言からは、いつも人間らしさが感じられます。
そしてそれこそが私にとっては魅力で、当時のミソジニー的なアメリカのカルチャーを解釈して分析する、パーフェクトな方法だと思ったんです。まさに彼女がそれをどう見たか、この特異なバイクカルチャーを女性が語るようなことは今までなかったんですから。
―女性がこのカルチャーをどう見たかということで、キャシーが狂言回しになったのですね。
そうです。クラブが超男性的だからでもあります。クラブは特に男らしさのシンボルになっていますよね。バイクもそういう感じですし、衣装も行動もそう。キャシーは完全にインサイダーでも、完全にアウトサイダーでもある位置にいます。そのシーンのど真ん中、最前列にいるんですが、同時に女性でクラブの公式メンバーではないという理由で、常にアウトサイダーになってしまいます。
この映画でも、もっとも物議を醸すのが赤いドレスのシーンです(※クラブのパーティ会場で、夫のベニーが会場を離れた隙に彼女を知らない新メンバーにレイプされそうになってしまう)。ショッキングなシーンですが、これも写真集にあった彼女の物語がネタ元なんです。
身近なメンバーの近くにいるときは居心地もいいし安心できる。でも彼らがいなくなったら? 完全な弱者になってしまうんです。彼女が認識していたにせよ、いないにせよ、そんな危険に始終さらされていたんですよ。どれだけ長くベニーと一緒にいたって、クラブにいたって、新メンバーや知らないメンバーが来たら、彼女はアウトサイダーになってしまう。インサイダーではない。彼女は女性で、かなり危険な状況になります。ここは、こうしたサブカルチャーが女性にとってどのようなものだったか、リアリティを示すために入れなくてはいけない重要なシーンだったと考えています。
「私たちは誰かと一緒にいたい。しかし集団に属さない人を見ると、羨ましいと思う」
―「The Kid」(※日本語字幕では“若造”と訳されている名のない主要登場人物)というキャラクターは、監督が作ったんですよね。ジョニーに叛逆するThe Kidには、なぜ名前をつけなかったのですか? トビー・ウォレスが演じた彼は、怒れる若者の代表ということでしょうか。
おっしゃる通りです。クラブに影響した社会の動きから作り出しました。そうしたムーブメントは実際に起こったことでしたし、The Kidは多くの人々を現しています。当時リアルだった物の見方(attitude)を代表しているんです。だから一人の人物にそれを注入しなければなりませんでした。彼はシンボルそのものなんです。よく気が付かれましたね。当時の青年たちを代表させているから名前がないんです。まったく違う世代、このサブカルチャーを内側から食い尽くす新しい世代を代弁するためだけに必要なキャラクターでした。
もっとも面白いと思い、物語の骨子にもなったのが、これはクラブという“集団”の物語だということです。男どもが楽しく出歩くための集団だったのが、たった10年の間に巨大になってもっと犯罪的な集団に変わってしまうんです。
最初に集まった男たちと、終わりのほうに入ってくる若い男との間には、どんな違いがあるのか? 後から入ってきた若い男たちは、良くも悪くも既にある種の権威的集団となってクラブが有名になってから入ってきた男たちなんです。だからはっきりした欲望や目標を持って入ってくる。
ところが元々のメンバーはまったくフォーマルじゃない。何か魂胆があって参加したわけじゃなくて、彼らを受け入れない社会や何かから逃れてきただけ。でもThe Kidが代表するような人々は、クラブの中に何か攻撃的なものとか潜在的に暴力的なものを見て、そこに魅かれて入ってきてしまう。元々のメンバーとはまったく思想が違っていて、それがこの映画のポイントになっています。だからThe Kidは結果的に非常に重要な象徴になりますね。
―アウトサイダーたちの集団の中でも、ベニーはもっとも社会に馴染まず、そのためにジョニーに気に入られていますよね。実際、アウトサイダーでいつづける人には不思議な魅力がありますが、なぜ人はインサイダーよりアウトサイダーに惹きつけられるのでしょうか。監督はどのようにお考えですか。
それは私たち、多くの人が群れで暮らす生き物だからだと思います。私たちは集団に帰属したい、そして帰属することを選んだ集団が我々のアイデンティティになりますよね。それが人間の習性です。私たちは誰かと一緒にいたい。しかし、集団に属する必要がない人が一人でいるのを見ると、羨ましいと思う。それは私たち誰もが個性が欲しいからです。
自分だけのアイデンティティが欲しい。独自の存在でありたい。アウトサイダーになりたい。パーパス(目標、存在意義)があって、独特で、簡単に誰かと取り替えられるような存在ではないから、とても魅力的なんです。誰もその人みたいな人はいない。それこそ、みんながなりたい人物です。多くの人々にとって、そういう人と自分は違う。だって自分は集団の一部だから。ある宗教、ある会社、ある職業、ある家族に属しているということ、あらゆる集団に帰属することによって生まれたアイデンティティがありますよね。だからそういうことをまったく気にかけない、そういうことに価値を見出さないし、外からのインプットを必要としない人を見ると、自分との違いを感じてものすごく魅力的に感じるわけです。
社会からの好意や理解を無視することは不可能です。ベニーは本当にそういうことを“知ったこっちゃない”と思っていて、それはとても独特な個性だし、魅力的だと思います。でも笑えるのは、愛する相手、人生を賭ける相手としては最悪ということです。だから最終的に、ベニーとキャシー、ベニーとジョニーの三角関係は悲劇なんです。
いまご説明したような理由で彼は魅力的ですが、人生を賭けるには最悪の相手で、空っぽのグラスというか、底が抜けたグラスみたいなもので、いくら愛を注ぎ込んでも流れていってしまう。彼にはそういう能力はないんです。だから魅力的なんですが、だから彼みたいな人に引っかかると悲劇になってしまうんですよ。
取材・文:遠藤京子
『バイク・ライダーズ』は2024年11月29日(金)より全国公開