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松田聖子、田原俊彦らアイドル全盛期の昭和56年、西城秀樹の〝妹〟河合奈保子は、「スマイル・フォー・ミー」でコルセットを装着して紅白歌合戦に初出場した

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松田聖子、田原俊彦らアイドル全盛期の昭和56年、西城秀樹の〝妹〟河合奈保子は、「スマイル・フォー・ミー」でコルセットを装着して紅白歌合戦に初出場した

シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤

 お馴染みの「りんごとはちみつとろーりとけてる ハウスバーモントカレー」のCMが、今年の4月からタレントの橋本環奈に変わった。ここ何年かは、男性タレントやスポーツ選手などがCMキャラクターになっていたが、女性芸能人単独の起用は1965年~68年のいしだあゆみ以来だそうだ。バーモントカレーといえば、思い出すのは西城秀樹になってしまうのが、昭和世代である。72年にデビューした秀樹は、翌年の73年から12年間CMキャラクターをつとめた。キャッチコピーの「ヒデキ、感激!!」は74年の流行語で、カレーを国民食にしたといっても過言ではないだろう。12年の間にはいろいろなバージョンがあるが、なかでも〝ヒデキの妹〟河合奈保子との共演のCMは新鮮だった。天真爛漫な笑顔が見ているものを幸せな気分にしてくれる河合と頼りがいがあってカッコいい兄貴分の秀樹がお似合いで、商品もタレントも両方の好感度が増した秀逸なコンビだったと思う。そんなことを思い出しながら今回は、昭和を代表するアイドル歌手の河合奈保子にふれてみたい。

 河合奈保子は、80年3月16日に中野サンプラザで行われた「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」の決勝大会で優勝したことがデビューにつながる。審査終盤では秀樹からも、「この子!」という強い薦めがあったという。いつもニコニコ笑顔を絶やさず礼儀正しく、笑うと八重歯がとても印象的な女の子だった。アイドルといっても鏡の前でしぐさや見え方を研究しながらアピールするタイプと、生まれ育ったままの、ずっと可愛いい特別な女の子がいると思うが、河合は後者のタイプだろう。

 優勝後、厳しいレッスンを受け、80年6月1日「大きな森の小さなお家」(作詞・三浦徳子、作曲&編曲・馬飼野康二)でデビュー。小さい頃からオルガンやピアノに親しみ、小学校4年ではギターを始め、高校生の時にはマンドリンを弾くなど音楽的素養があったので安定した歌唱力だった。あわせて健康的な美しさも兼ね備え瞬く間にお茶の間の人気者になった。河合がデビューした80年は、田原俊彦、松田聖子、柏原芳恵、甲斐智枝美、岩崎良美、浜田朱里、三原順子など多くのアイドル歌手が輩出した年だ。歌番組も全盛期で、親衛隊と言われる男性ファンが会場を盛り上げていた。

 その後「ヤング・ボーイ」、「愛してます」、「17才」と次々にリリースし、81年6月1日リリースの「スマイル・フォー・ミー」(作詞・竜真知子、作曲・馬飼野康二、編曲・大村雅朗)が大ヒットする。歌い出す前に軽くお辞儀をして、手をあげくるりと回ってから歌い出す振付がとても可愛かった。「スマイル」のマークと「Naoko」の絵文字が入った特注のスタンドマイクも工夫されていた。「スマイル・フォー・ミー」はオリコンチャー4位まで上り詰め、年末には第32回NHK紅白歌合戦に初出場。しかもトップバッターだった。白組対抗は、やはり初出場の近藤真彦で、歌ったのは伊集院静の作詞による「ギンギラギンにさりげなく」だった。他に石川ひとみ「まちぶせ」、「ルビーの指輪」が大ヒットした寺尾聡、ドラマ「池中玄太80キロ」の主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットした俳優の西田敏行も初出場している。

 特筆するのは、10月初旬にNHKホールで行われた「レッツゴーヤング」のリハーサル中に4m下の迫(セリ)に転落、第一腰椎圧迫骨折という大怪我をし約2ケ月入院した。紅白の時はコルセットを腰に装着しての出場だったのだ。大怪我をしたホールで、しかもトップバッターという重圧を無垢な太陽のような笑顔で乗り切ったのだ。

 82年リリースの竹内まりやの作詞・作曲、清水信之編曲の「けんかをやめて」では、河合の歌の世界を拡げた。思春期の揺れる乙女心を描いた曲だが、清純な河合が歌うからこそ嫌みがない。オリコンチャート5位を獲得。そして翌年、アップテンポの曲「エスカレーション」(作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平、編曲・大村雅朗)は、高倉健主演の映画『居酒屋兆治』の挿入歌にも使われた。86年には、自ら作曲した壮大なバラード「ハーフムーン・セレナーデ」をピアノの弾き語りで歌い上げ、シンガーとしての才能を開花させた。この曲で、第37回紅白歌合戦に6年連続6回目の出場を果たしたが、これが最後の紅白出場になった。「ハーフムーン・セレナーデ」は、87年に香港の人気歌手がカバーし香港ではスタンダード・ナンバーとして歌い継がれているという。さらに、88年8月にはあのジャッキー・チェンとのデュエット曲「愛のセレナーデ」をリリースしているのだ。この曲も河合の作曲だ。

 歌手活動の他にも、84年7月からは、ラジオ番組「MBSヤングタウン」(ヤンタン)でのメインパーソナリティや、テレビドラマ「さすらい刑事旅情編Ⅳ」「ママじゃないってば」などで女優としても活躍しているが、95年に全国ツアーを開催後、翌年結婚し、芸能活動を停止している。潔い身の引き方がまた河合らしいとも言える。

 今回、7回忌が近くなった西城秀樹を思い出しながら、秀樹の〝妹〟としてデビューした河合奈保子のドーナツ盤を聴き直し、彼女の音楽性の高さに改めて気がついた。アレンジャーの船山基紀は、譜面を初見でレコーディングできるほど才能があったと河合を評価している。その後自分で作曲し、シンガーソングライター寄りのポジションに移行していったのもうなずける。

 河合がアイドル歌手として全盛期の頃、親衛隊たちははがきを書いてリクエストを出し、月4、5回は応援コールの練習をしていた。その出席率、ひたむきさなどで親衛隊の幹部になった男性の一人が就職を機に親衛隊を引退することになると、最後のコンサートではプロデューサーから楽屋に呼ばれた。そして「今までありがとうございました。お疲れさまでした」と河合が自ら色紙をプレゼントしたというエピソードがある。彼は、そのことがその後仕事をしていく上で大きなエネルギーになったと語っている。河合の優しさ、思いやりのある人柄が伝わってくる。

 河合はスキャンダルのないアイドルだった。それが反対に同時代のアイドルに比べ影が薄いように映ったのかもしれない。俗世の浮き沈みにも右往左往せず、男性のみならず女性にも愛された永遠のアイドル河合奈保子。グループアイドルが全盛の時代の現在にはない〝独りアイドル〟としての輝きがあった。

文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫

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