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#3 新聞記事と遜色ない、800年前の災害報道――小林一彦さんが読む、鴨長明『方丈記』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#3 新聞記事と遜色ない、800年前の災害報道――小林一彦さんが読む、鴨長明『方丈記』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

小林一彦さんによる、鴨長明『方丈記』の読み解き

「豊かさ」の価値を疑え!

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の有名な書き出しで始まる『方丈記』。世の中を達観した隠遁者の手による「清貧の文学」は、都の天変地異を記録した「災害の書」であり、また著者自身の人生を振り返る「自分史」でもありました。

『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明 方丈記』では、小林一彦さんによる『方丈記』の読み解きを通じて、日本人の美学=“無常”の思想を改めて考えます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第3回/全4回)

新聞顔負けの火事報道

 続いて火事の場面を見てみましょう。

 日本は紙と木の文化ですから家や家財が燃えやすく、歴史でも何度となく「○○の大火」といわれるものが起こりました。長明の記す火事は「安元の大火」と呼ばれるもので、本来はこの「大火」の記事が最初に書かれています。まるで実況中継のようなリアルな描写が、『方丈記』ではいきなり登場するのです。

 去(いんじ)安元三年四月廿八日かとよ。風はげしく吹きてしづかならざりし夜。戌(いぬ)の時許(ばかり)、みやこの東南より火いできて、西北にいたる。はてには朱雀門(しゆしやくもん)、大極殿(だいこくでん)、大学寮、民部省などまでうつりて一夜のうちに塵灰となりにき。火元(ほもと)は樋口冨(ひぐちとみ)の小路(こうぢ)とかや。舞人(まひびと)をやどせる仮屋よりいできたりけるとなん。

 ふきまよふ風に、とかくうつりゆくほどに扇をひろげたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすら焔(ほのほ)を地にふきつけたり。空には灰をふきたてたれば、火の光に影じて、あまねくくれなゐなる中に、風にたえずふき切られたる焔飛ぶが如くして、一二町を超えつつ移りゆくも、中の人うつし心あらむや。或は煙にむせびてたうれふし、或は焔にまぐれてたちまちに死ぬ。或は身ひとつからうじてのがるるも、資財を取出るにおよばず、七珍万宝(しつちんまんぽう)さながら灰燼(くわいしん)となりにき。其の費(つひ)えいくそばくぞ。

 其のたび公卿(くぎやう)の家十六焼けたり。まして其外(そのほか)かぞへ知るに及ばず。惣(すべ)てみやこのうち三分が一に及べりとぞ。男女死ぬるもの数十人。馬牛のたぐひ辺際(へんざい)を知らず。

 新聞記者が現場を取材した報道記事と遜色(そんしよく)ないほどの文章です。

 長明はまず、事件の全体を概観しています。

 安元三年(一一七七)四月二十八日、風の強い不穏な夜の戌の刻(八時頃)、都の東南より出火し、またたくまに西北方向に燃え広がった。火は朱雀門、大極殿、大学寮、民部省のあたりまで至り、一夜のうちに灰燼に帰した。火元は舞人が宿泊している樋口冨小路の仮小屋である──。

 ここまでは火事の発端を記しています。続いて、より細かい記述や、主観的な感想などを記していきます。

 炎はだんだんと扇を広げたように末広がりになって延焼し、炎から遠い家は煙にむせび、近いところは炎が盛んに地面に吹きつけている。空には煙幕のように灰が吹きたてられ、そこに炎の色が真っ赤に映っている。そのなかを、上昇気流に乗って吹きあげられた炎が飛ぶようにして、一、二町ほども超えて移っていく。火炎に巻かれた人びとは生きた心地もなく、煙にむせんで倒れ伏す人、炎に焼かれて即死する人、さまざまである。なかには身一つでかろうじて逃れてきた人もいるが、何も持ち出すことができず、貴重な家財はほとんどそのまま灰になる。その被害額たるや、いったいどれほどになるだろう──。

 まるでカメラを担いで被害の様子を撮影するように記述しています。

 そして最後に、このたびの被害は公卿の家十六、そのほかは数えきれない。都の三分の一が焼失、死者は数十人。馬や牛の類は数知れず────と最終的な被害状況まで記してしめくくっています。

 新聞記者の方にこの部分を見せると、みな「完璧な新聞記事だ」と絶賛します。「われわれは事件があれば警察の記者クラブなどに行って、情報を集めて記事を書くけれど、当時はそういうものがない。にもかかわらずこれだけのものを書くとは並大抵の取材力ではない。まさに現代のピュリッツァー賞ものだ」という方もいました。

『方丈記』の時代と同じように、現代の日本でも自然災害が相次いでいます。地震や竜巻だけではありません。二〇一二年の七月には九州北部で集中豪雨があり、二〇一一年は同じく九州の新燃岳(しんもえだけ)で大きな噴火がありました。同年七月には上越地方でひどい水害があり、九月には紀伊半島が台風による甚大な被害を受けました。

 こうした状況を見ると、今の日本はまさに『方丈記』の時代に入ったといわざるをえません。私たちは改めて、脆弱(ぜいじゃく)な火山列島に生きているということを自覚すべきだと思います。

 時代はすでに二十一世紀。科学文明はこれ以上に何が必要かというところまで進んで、人間は地球上の森羅万象をすべて制御したような気分になっていますが、人間が生み出した文明が制御不能なモンスターに急変し、多くの人が原発事故の災害に見舞われることになりました。そこには「人災」という側面があることもぬぐえません。それゆえに、災害というものに特別なまなざしを注ぎ、精緻(せいち)に書きつづった『方丈記』がいま注目されるのでしょう。

社会派・鴨長明

 では、五大災厄の残り二つ、治承四年(一一八〇)の福原遷都と、養和元年(一一八一)の飢饉の記述を見てみましょう。

 まずは福原遷都です。

 また、治承四年水無月(みなづき)の比(ころ)、にはかに都(みやこ)遷(うつ)り侍りき。いと思ひの外なりし事なり。(……( ))

 家はこぼたれて淀河に浮かび、地は目の前に畠となる。(……( ))

 古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は、皆浮雲の思ひをなせり。もとよりこの所にをるものは地を失ひて憂ふ。今移れる人は土木のわづらひある事を嘆く。(……( ))

 伝へ聞く。いにしへの賢き御世(みよ)には、あはれみを以(もち)て国を治め給ふ。すなはち、殿に茅(かや)ふきて、その軒(のき)をだにととのへず、煙の乏しきを見給ふ時は、限りある貢物をさへ許されき。これ、民を恵み世を助け給ふによりてなり。いまの世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

 福原遷都は、平清盛が政権を確実にわがものにするため、貴族の既得権益に縛られた京都を捨て、福原(現在の神戸)に新たな都を建設しようとした一種の暴挙です。もともと福原に住んでいた人たちは土地を奪われるので大迷惑でした。京から移る人びとも、見知らぬ土地に新居を普請(ふしん)しなければいけないので、たいへんな負担となりました。なかにはそれまでの住まいを解体して建材を淀川に流し、福原まで運ぼうとした人も少なくなく、このために京の町は“〝打ちこわし”〟に遭ったようにたちまち地べたがむき出しになりました。「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」とは、そのような状況を描写しているのです。

 長明は、かつての名君は民が困窮していると見れば自分たちも贅沢(ぜいたく)をつつしんで宮殿も粗末にし、わずかな税金でさえも免除したのに、それに比して、民を一顧(いつこ)だにせぬ今の政治のありさまはどうだ、と糾弾します。長明はこのようにかなり手厳しい政治批判もしているのです。

 そして、養和の飢饉です。

 また、養和のころとか、久しくなりて覚えず。二年があひだ、世の中飢渇(けかつ)して、あさましき事侍りき。或は春・夏ひでり、或は秋、大風(おほかぜ)・洪水(おほみづ)など、よからぬ事どもうちつづきて、五穀ことごとくならず。(……( ))京のならひ、何わざにつけても、みな、もとは田舎をこそ頼めるに、たえて上るものなければ、さのみやは操(みさを)もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物(たからもの)、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見立つる人なし、たまたま換ふるものは、金(こがね)を軽くし、粟(あは)を重くす。乞食、路のほとりに多く、憂へ悲しむ声耳に満てり。

 この飢饉は日照りや洪水などの天候不順が続いたために起こったもので、養和元年から翌年にかけてたいへんな惨状となりました。ここで長明は、単に人びとの飢餓状態を描くのではなく、大局的なところまで眺めて記述しています。

 まず、「京のならひ、何わざにつけても、みな、もとは田舎をこそ頼めるに」と、大都会であり大消費地である京の生活が、すべて田舎での生産を頼みとして成り立っていることの問題点をあげ、このベクトルが途切れるとたちまち干上がってしまう構造的な脆弱さを指摘しました。都会は地方からの産物を消費するばかりだというのです。これは、二十一世紀の現代、都会で大量に消費されている電力がほとんど地方の発電によってまかなわれている問題と重なります。東日本大震災の後、地方からの電力供給が不足したために、都会で計画停電が実施され生活が混乱したことは記憶に新しいですが、それに近い問題意識を八百年前の長明が持っていたことに驚かされるのです。

 また、飢餓状態になると、人はどのような行動をとるのかといったことも鋭く観察しています。都会に住む富裕層は、食べるものが何もないので道具や家財を持ち出し、生産活動に従事している人に懇願して分けてもらおうとしました。値はどんどん吊り上がり、しまいには換えるものが何もなくなって、虎の子の財宝までを投げ捨てるような状態となりました。それでもお金の価値の低下は止まらず、粟さえ買うのが難しく、街角には無一文になった人びとが満ち溢れたといいます。

 ここには、お金と粟の価値が逆転する世の中の惨状をとても冷静に見ている長明がいます。

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著者

小林一彦(こばやし・かずひこ)
京都産業大学文化学部教授。専攻は和歌文学・中世文学。和歌文学会委員、中世文学会委員、日本文学風土学会理事、方丈記800年委員会委員。教育・研究のかたわら、古典の魅力をわかりやすく伝える講演活動にも力を入れており、幅広い年代を対象に小学校の教室から大規模ホールまで、古典の語り部として各地を歩く。主な著書に『鴨長明と寂蓮』(日本歌人選049・笠間書院)、『続拾遺和歌集』(明治書院)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明「方丈記」』(小林一彦著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『方丈記』引用部分は大福光寺所蔵の『方丈記』を底本とし、カタカナをひらがなに改めました。また、適宜漢字をあてて読み仮名を付し、読みやすくしています。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年10月に放送された「鴨長明 方丈記」のテキストを底本として大幅に加筆し、新たに玄侑宗久氏の寄稿、読書案内、年譜などを収載したものです。

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