「ピッチで培った経験をまちづくりへ」女子サッカーのまち大和市で続く小野寺志保の挑戦|第二の挑戦 スポーツ選手のセカンドキャリアに迫る vol.6
さまざまな角度から注目されているアスリートのセカンドキャリア。今回は、女子サッカーを黎明期から支えてきた小野寺志保さん(以下、小野寺)にフォーカスします。
いまでは世界のトップレベルとなった女子サッカー日本代表『なでしこジャパン』。ゴールキーパーとして2004年アテネオリンピックに出場するなど、小野寺さんはその中心選手として長くチームを支えてきました。アマチュア選手として、サッカーと仕事の両立という厳しい環境とも戦ってきた小野寺さんが、引退後の今選んでいるのは“自治体職員”としてのキャリアです。「恩返しへの一番の近道」と語るその仕事のやりがいや、それまでの引退後の葛藤、思い描くスポーツの未来まで、多くのことをお話しいただきました。
女子サッカー草創期を駆け抜けた現役時代
ーー小野寺さんの現役時代は、まさに女子サッカーが発展し、実力がついて世界と戦えるようになる期間と重なるように思えます。
小野寺)1989年、15歳のときに東京読売ベレーザ(現・東京ヴェルディベレーザ)に入団しました。その年には『日本女子サッカーリーグ』がスタートし、現役時代の間にオリンピックの種目にもなり日本代表も出場を果たすことができるなど、まさに女子サッカーの成長期と重なっていますよね。
ーープレーする環境なども、どんどん変わっていく時代だったのではないかと思います。
小野寺)初めて日本代表に選ばれたときは、逆に苦しかったですね。時給で働くような選手も多く、代表に選ばれると仕事を休まなければならずお金が稼げない、ということもありました。
「オリンピックに出場できる」といった“結果”が出ると注目され、企業スポンサーなどもついて環境がよくなりますが、成績が残せなければ厳しくなる。自分たちの成績が女子サッカーの存続に直結していた、そんな時代でした。
ーー勝ち続けなければならないプレッシャーがあったのですね。
小野寺)代表だけでなく、チームでもプレッシャーはありました。いつも「優勝しなきゃチームがなくなるぞ」という空気の中で戦っていましたね。
ーー働きながら、プレッシャーもありながらサッカーに打ち込めたのは、どのような理由があるのでしょうか?
小野寺)「サッカーが好き」という気持ちや、「絶対に負けられない」という気持ちに支えられていたと思います。そういう気持ちがあったからこそ、恵まれた環境ではない中でどう工夫して取り組むか、みんなで考えながら進んでいきましたね。
引退後、“ピッチ外”での仕事への想い
ーー2008年に現役を離れる決断されましたが、当時はどのようは心境でしたか。
小野寺)2004年のアテネオリンピックで2大会ぶりに出場し、メンバーにも入ることができたのですが、1試合もピッチに立つことができず悔しい想いをしました。2008年の北京オリンピックを1つの区切りとして4年間打ち込み、最終的には「やり切った」という気持ちで引退を迎えることができました。
ーー引退後どのように過ごされていたか教えてください。
小野寺)引退後2年間は、日本サッカー協会関連で子どもたち向けのサッカー教室や夢授業をしたり、なでしこリーグのリポーターとして活動していました。
ただ、自分自身が現役を引退したばかりで「ピッチの外で仕事をする」ということがなかなか受け入れられず、体調を崩してしまいました。本当は後輩や子どもたちに自分の経験や技術を伝えなければいけないとはわかっているのですが、“女子サッカー選手 小野寺志保”という看板が外れて、自分はどこに向かっていけばいいのかと悩んでしまい、目一杯やってきた現役時代とのギャップに引退してすぐは本当に苦しみました。
市職員としての挑戦|第二のキャリアに込めた覚悟
ーーそうした葛藤があった中、2011年から地元である神奈川県大和市の職員として働くことになりました。そのきっかけを教えてください。
小野寺)現役時代から、オリンピック出場の際などことあるごとに大和市には壮行会を開いていただくなど応援をしていただいていました。しかし、なかなか現役中は地元での活動などは行うことができず「引退後は地元のサッカー界に恩返しがしたいな」とずっと考えていたところ、昔から応援していただいていた自治体職員の方から、「市の職員にならないか?」と声をかけていただきました。もちろん公務員試験を受ける必要があるので、勉強もしなければならず、実は一度試験に落ちてしまったんです。そのときに、「ちゃんと努力してこの試験に受かって、地域のために働きたい」と自分の意思を再確認し、翌年にはリベンジすることができました。
ーー最初は現在のスポーツ振興に携わる部署ではなかったと伺いました。仕事への戸惑いなどはありませんでしたか?
小野寺)1年目は仕事に対してすごく戸惑いがありました。最初に配属されたときは、今まで生きてきたなかで聞いたことのないような言葉が飛び交っていたり、まわりに教えていただいてもなかなか仕事内容が理解できないこともあったり、正直かなり浮いた存在になってしまっていたのではないかと思います。
感覚でプレーしてきたサッカーと比べてしまうと、法令や条例を理解した上で判断しなければならない市役所の仕事は全然違いました(笑)。それでも、まわりの方々がすごく温かくて、失敗しても励ましてくれたり、時間をかけて教えてくれたりしておかげで少しずつできることが増えていきました。
ーーその後はなでしこジャパンのワールドカップ優勝など、女子サッカーの盛り上がりとともに大和市も「女子サッカーのまち」としての取り組みが加速していきます。小野寺さんも2012年からはスポーツ振興に携わるようになりましたが、現在はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
小野寺)現在は市民の皆さんがスポーツに親しめる環境づくりやイベントの企画運営などを行なっています。なかでも、女子サッカーに関する活動にはとくに力を入れていて、「女子サッカーのまち」を掲げる大和市だからこそできる取り組みに日々向き合っています。
私自身の元サッカー選手としての繋がりを活かしたイベントの企画など、自分だからこそできる内容もありすごく充実しています。また、行政のイベントだからこそ市民の誰でも参加できるような機会を作れていますし、身体を動かすことの楽しみを伝えることができて嬉しいです。
ーー元サッカー選手として現在の仕事に活きていることはありますか?
小野寺)イベント運営もチームワークが大切ですし、困難を乗り越える忍耐力や柔軟な対応力は間違いなく現役時代の経験が生きていると思います。
大和市では、「なでしこレジェンドが大和にやってくる!」企画を開催。多くの方々が集まって試合を開催しています。
届けたいのはスポーツの楽しさと、希望の選択肢
ーー小野寺さんのように、自治体でスポーツ振興に携わりたいと思う選手も出てくるのではないでしょうか。実際に自治体で働くことを“セカンドキャリア”として捉えるといかがですか?
小野寺)どの自治体においてもスポーツの普及や市民の健康は重点を置く施策であり、地域のスポーツの発展には大きく関われる可能性はあると思います。サッカーに限らずいろいろな競技でおもしろい企画がたくさん考えられると思うので地域への恩返しとしては一番の近道だと思います。
ただ、あくまで“自治体職員”ですので、すぐに希望の部署に配属するかはわかりません。大和市には現在“スポーツ採用”というものがありますが、どんなアスリートでも「その地域のために」という想いで選ぶことが大事だと思います。
ーー小野寺さんが思い描く、地域におけるスポーツの未来、そしてそのなかでの自治体の役割について教えてください。
小野寺)「スポーツは誰でもできるもの」というイメージが強いですが、実際には日々の生活に一生懸命で、スポーツに関する情報が届かなかったり、金銭的にスポーツに取り組むことが難しい人が日本にも多くいると思います。
自治体の持つ“福祉”としての性質も活かしながら、そういった人々にもスポーツを届けられるような活動をしていきたいです。
ーーありがとうございました!
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