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東京で空襲に遭った 吉田文一郎さん(100) 戦後の悲劇を目の当たりに 「やりたいことが出来なくなる」

タウンニュース

戦時中の記憶を語る吉田さん

1945年3月10日、東京大空襲で深川の町中が火の海になった。当時21歳だった吉田さんは、三宿から真っ赤な空を見たのを覚えているという。千束にあった実家も焼夷弾の攻撃を受け、家族は焼け出されてしまった。

生まれは大田区。11歳のときに父親が亡くなり、母親や兄弟と共に千束に引っ越した。早稲田大学商学部に入学し、昭和電工への就職も決まっていた。だが戦局の悪化に伴い、20歳で近衛野砲兵連隊に入隊。訓練地が三宿にあり、大砲を扱う訓練や馬の手入れなどを行っていた。吉田さんは入隊したときの心境について、「当時は兵士になるのが当たり前。抵抗はなかった」と話す。自身が担当していたのは、大砲の照準を決める「砲手」という役割。米軍の本土上陸に備え、海岸線から来るであろう相手を、「砲撃で迎え撃て」と指示を受け、千葉の九十九里浜へ派遣された。だが日本に砲弾はほとんど残っていなかった。「軍の上層部はまだ軍事力があると言ったが、日本に戦力がないのは分かっていた。現状と上層部の発言の乖離(かいり)にもどかしさを感じた」と語った。

南方から飛んできた戦闘機に襲われたこともあったが、幸い難を逃れることができた。「ブーンという音がして、飛行機が近くに来たことがわかった。近くで足を撃たれたりした人もいて怖かったが、とにかく本能的に無我夢中で逃げた」と振り返る。

8月15日、九十九里浜近くの成東町で玉音放送を聞いた。「あまりよく聞き取ることはできなかったが、日本が負けたことは分かった。戦争が終わってよかったと思った」と話した。周囲にいた仲間の兵隊たちも、ほっとした表情を浮かべていたという。

戦後は昭和電工の職員に。朝鮮半島の軍事会社にいた日本人社員とその家族の復員に奔走し、その人たちが現地で経験した苦難に胸が締め付けられる思いだったという。「戦争なんかするもんじゃない。人殺しだから、一度始まったら自分のやりたいことが出来なくなる。もう二度と起こさないようにしてほしい」

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