ゴールデンウィークに観たい特撮映画「ゴジラ」第1作に宿る生々しい熱量と荒々しい手触り
1954年に公開された映画「ゴジラ」
怪獣 “ゴジラ” を描いた映画は2010年以降も日米で制作され続け、ほぼ商業的に成功している。その数は、ディズニーによる『スター・ウォーズ』関連の劇場映画作品よりも多い。
▶︎ 2014年『GODZILLA ゴジラ』(監督:ギャレス・エドワーズ)
▶︎ 2016年『シン・ゴジラ』(総監督・脚本:庵野秀明、監督・特技監督:樋口真嗣)
▶︎ 2017年『ゴジラ 怪獣惑星』(監督:静野孔文、瀬下寛之)
▶︎ 2018年『ゴジラ 決戦機動増殖都市』(監督:静野孔文、瀬下寛之)
▶︎ 2018年『GODZILLA 星を喰う者』(監督:静野孔文、瀬下寛之)
▶︎ 2019年『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(監督:マイケル・ドハティ)
▶︎ 2021年『ゴジラvsコング』(監督:アダム・ウィンガード)
▶︎ 2023年 『ゴジラ-1.0』(監督:山崎貴)
▶︎ 2024年『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(監督:アダム・ウィンガード)
そして、これらすべての作品のルーツ、オリジンが1954年に公開された映画『ゴジラ』(監督:本多猪四郎)である。『GODZILLA ゴジラ』にしても、『シン・ゴジラ』『ゴジラ-1.0』にしても、このオリジナルへのオマージュ的な要素が多分に含まれている。ストーリー上のつながりはなくとも、どこかで通底しているのである。
しかし、モノクロ映画を敬遠する人が増えているといわれる今日において “最近のゴジラ映画は好きだけど、昔の『ゴジラ』は観たことがない” という人も少なくないだろう。そこで、多くの人に時間的余裕が増える大型連休を期に、『ゴジラ』がどれほど観る価値のある映画なのかを考察してみたい。
じわじわと恐怖を醸成していく見えない存在としてのゴジラ
映画『ゴジラ』が日本で公開されたのは、黒澤明の『七人の侍』と同じ1954年(昭和29年)だ。まだ高度経済成長期には至らない “戦後復興期” と呼ばれる時代である。
“賛助 海上保安庁” ーー映画は、このクレジットから始まる。“ド〜ン、ド〜ン” という地響きのような音と共に東宝のロゴ、続いて『ゴジラ』のタイトルロゴが現れる。獣の叫びのような音が重なり、それがしばらく続くと音楽が流れ、不穏な空気が漂う。ここでグッと引き込まれる。
序盤では、ゴジラの全貌が明かされることはない。不審な海難事故や放射能汚染といった異常事態が描かれ、観客は劇中の人たちと同じ視点で、それらを追いかけることになる。見えない存在としてのゴジラは、じわじわと恐怖を醸成していく。禍々しい予感だけが画面を支配する。姿を現さない時間が長いぶん、初めて黒い巨体が現れたとき、衝撃は倍加する。そのシーンこそが中盤のクライマックスだ。
現代の人間社会に初めて姿を現したゴジラ
のちのシリーズ作品では、劇中の人々が “ゴジラ” という存在を知っているケースが多いが、『ゴジラ』では現代の人間社会に初めて姿を現した設定である。その点では『シン・ゴジラ』と共通している。『シン・ゴジラ』では主人公の矢口蘭堂(長谷川博己)はもちろん、野生生物の専門家である尾頭ヒロミ(市川実日子)であっても、ゴジラのような巨大生物とは初遭遇だ。
だが、『シン・ゴジラ』と『ゴジラ』には決定的な違いがある。1954年の時点で、『キング・コング』(1933年)や『原子怪獣現わる』(1953年)といったアメリカ作品は存在したものの、“怪獣映画” というジャンルはまだ確立されていなかった。今の観客なら、“巨大な怪獣が都市を破壊する” というビジュアルがすぐに頭に浮かぶだろう。しかし当時は、そうしたお約束のイメージがなかったのだ。公開前のポスターや新聞広告、予告編などによって、ゴジラという未知の怪物が登場する作品であることは観客も理解していたが、“それがいかなる存在なのか” “何をしでかすのか” といったことまで細かく想像できなかったはずだ。結果、物語の展開も予測不能だった。
第1作の『ゴジラ』は、劇中の人物だけではなく、観客も巨大な怪獣と初めて対峙するという、もう二度と作ることのできないシチュエーションを前提とした作品なのだ。この感覚を持って鑑賞すれば、より深く作品に引き込まれていくだろう。
戦争の記憶と直結する悲劇を描写
リオデジャネイロ五輪の開催、熊本地震、ポケモンGOの社会現象化、映画『君の名は。』が大ヒット、SMAPの解散…これらはいずれも2025年の9年前、2016年の出来事である。『ゴジラ』が公開された1954年は、終戦からわずか9年しか経っていなかった。『ゴジラ』をリアルタイムで観た当時の観客は、戦時中や終戦直後の苦しさを体験していた。東京大空襲や広島・長崎への原爆投下は、“ついこの間の出来事” だった。
この映画に登場するゴジラは、のちに描かれるような “地球の守護神” でも “子どもたちのヒーロー” でもない。むしろ、戦後日本の癒えない傷をえぐり返す存在だ。ゴジラが姿を現し、街が燃え、建物が崩れ、人々が逃げ惑う。スクリーンに映るその光景は、当時の観客にとって、“昨日の記憶の延長” として映ったのではないだろうか。同時に、制作者側はアメリカによるビキニ環礁での水爆実験が行われ、1954年3月に日本の漁船、第五福竜丸が被爆した事件を背景に、“新たな恐怖” を突きつけた。
後にゴジラは、神格化されすぎる傾向があった。ミサイルで攻撃されてもびくともしない。どんなダメージを受けても復活する。これに対し、1954年の『ゴジラ』に登場するゴジラは、そこまで絶対的な存在ではない。圧倒的な力を持ってはいるが、どこか “生物” としてのリアリティを残している。そのうえで、核実験や放射能といった背景を持つことで、人知を超えた異形の存在としてのイメージも伴う。そのバランスが絶妙なのだ。
メディアミックスビジネスの匂いがない
現代の特撮やアニメ作品には、キャラクター性の過剰演出やグッズ販売を意識した設定が目立ち過ぎて、時として映画の完成度を下げるケースもある。だが、『ゴジラ』にはそれがない。実際は小説や漫画、ラジオドラマなどの二次展開的なメディアミックスはあったが、そうしたビジネス戦略の匂いは画面から伝わってこない。
ゴジラは露出している時間が短く、モスラやキングギドラも出てこない。最新鋭のメカやマシンを装備したSF的な地球防衛組織も登場しない。主演の宝田明は圧倒的なヒーローではなく、あくまで物語を動かす狂言回しの役割に徹している。以後、シリーズ化されることで、ゴジラ関連作はメディアミックスビジネスの最たるものになっていくが、このオリジナルに関してはそれがない。構造はあくまでシンプルで純度が高い。
反戦、反核のメッセージが込められた社会派映画
『ゴジラ』で物語の軸を担っているのは、山根博士(志村喬)、芹沢博士(平田昭彦)ら科学者たちである。山根博士は、目の前の怪獣を倒すことを第一の目的とはしていない。まず “これは何か” “なぜ現れたのか” を知ろうとする。そして、その先にあるのは、“科学とは何をもたらすものなのか” という問いである。
戦車もミサイルも、原爆も水爆も、生物兵器も── それらすべては科学の力によって生まれたものである。科学者たちは、そのことに対する葛藤を抱えている。そして最後に、芹沢博士が選んだ手段は、その葛藤に対する自らの答えだった。 『ゴジラ』は優れた娯楽映画でありながら、反戦、反核のメッセージが込められた社会派映画でもある。そうした要素が、作品の品格を高めている。
モノクロだからこその “リアルな戦後” の肌触り
1954年当時、技術的な制約もあり、カラー撮影はまだ一般的ではなかった。1951年には日本初の本格的カラー映画『カルメン故郷に帰る』(監督:木下惠介)が公開されているが、観客にとって、映画といえばまだモノクロだった。
もちろん、『ゴジラ』もモノクロで撮られている。一連の黒澤明作品にも共通するように、色のない世界だからこそ生まれるソリッドな質感と、白と黒のコントラストが、虚構の世界をかえって鮮やかに浮かび上がらせる場合がある。『ゴジラ』はその典型例だ。
一方で、2020年代を生きる人々にとって、いかにも古いモノクロ映像は、どこかで目にした戦争時代や敗戦直後の記録映像と結びつく。この作品がモノクロであることは、今から80年前の現実と、地続きとなっているイメージを浮かび上がらせる。これは、公開当時にはなかった効果だろう。
若い才能が作り出した、他にない世界
1954年の『ゴジラ』を形づくったのは、若き才能たちだった。監督の本多猪四郎は43歳、特撮を手がけた円谷英二は53歳、音楽の伊福部昭は40歳。いずれも、まだ挑戦と試行錯誤の真っただ中にいた。平均的に『シン・ゴジラ』公開時の庵野秀明(56歳)、樋口真嗣(50歳)、『ゴジラ-1.0』公開時の山崎貴(59歳)よりも若かったのだ。
監督として、村田武雄とともに脚本も担当した本多猪四郎は、娯楽性とメッセージ性を兼ね備えた、96分の濃密な時間を作り出した。円谷英二が手がけたCGを一切使わない特撮は、当時としては最先端の撮影技法やミニチュア技術を駆使。“リアルに見せること” への執念がこめられている。伊福部昭は音楽で、ゴジラの咆哮や足音までも表現した。重く不穏なリズムと圧倒的な音の質量感。それらによって、言葉を使わずにゴジラの“恐ろしく巨大な存在”を印象づけた。
俳優陣も若かった。『ゴジラ-1.0』のメインキャストである神木隆之介は公開当時30歳、浜辺美波は23歳。それに対し、『ゴジラ』の宝田明は20歳、河内桃子は22歳。信じられないほどの若さだった。『ゴジラ』は1950年代の若い希望に燃えた映画人たちが生み出した大傑作である。そこに宿る熱量は生々しく、荒々しい手触りがある。
これからも、ゴジラ映画は作られ続けていくだろう。すでに山崎貴監督による新作の制作も決まっている。それらをよりエキサイティングに楽しむためにも、すべての原点となった『ゴジラ』を観ておきたいのである。
Information
ゴジラ生誕70周年記念 ゴジラ・THE・アート展
▶ 会期:2025/4/26(土)~ 6/29(日)
▶ 会場:森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)
▶ 開館時間:10:00~19:00
*4月26日(土)〜 5月6日(火)までの全日、金曜日・土曜日は20時まで
*入館は閉館の30分前まで