「2024年は哲学初心者にとって革命的な年です」斎藤哲也×ネオ高等遊民W刊行記念対談第2弾
NHK出版新書『哲学史入門』の編者・斎藤哲也さんと、『一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書』(SBクリエイティブ)の著者で哲学YouTuberのネオ高等遊民さんのW刊行記念対談は、話題が尽きず第2弾に突入! 異色の哲学史入門の核心とは? その内容の一部を特別公開します。
斎藤哲也(さいとう・てつや)
1971年生まれ。人文ライター。東京大学文学部哲学科卒業。人文思想系を中心に、知の橋渡しとなる書籍の編集・構成を数多く手がける。著書に『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』など。
ネオ高等遊民(ねおこうとうゆうみん)
日本初の哲学系YouTuber。タイに在住。哲学科の大学院で修士号取得後、企業勤務を経て高等遊民に転身。2018年にYouTube開始。チャンネル登録者はおよそ29000人、これまでの動画総再生回数は400万回を超える(2024年4月現在)。著書に『一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書』(SBクリエイティブ)。
哲学史の図式を疑え!
ネオ 今回は、『哲学史入門』の第2巻発売のタイミングに合わせて、編纂した斎藤哲也さんに来てもらいました。よろしくお願いします。
斎藤 よろしくお願いします。
ネオ 古代、中世、ルネサンスを扱った第1巻に続いて、第2巻は近代哲学が舞台ですね。デカルトやロック、カント、ヘーゲルなど、有名な哲学者が大勢出ます。
この本を読んで一番印象に残るのは、やっぱり斎藤さんの質問なんですよ。従来の高校倫理の教科書などに書かれている図式に対して、「それって今でも研究者たちはそう思っているんですか?」というような質問を一発目に持ってきてるじゃないですか。「大陸合理論とイギリス経験論という枠組みは、現在でも研究者が支持しているんですか?」みたいに。
斎藤 第2巻はとりわけその手の質問が多いですよね。
ネオ 登場する先生は「便宜上、使わなくはないけど、そういう図式はカント万歳みたいな学派がつくったラベルにしかすぎないよ」とバッサリですね。このやりとりのおかげで、読者は入門書レベルで、研究者たちの新しい常識になっている見方を知ることができる。これがすごく価値あることだし、めちゃくちゃ面白いと思いました。
斎藤 ありがとうございます。そう言っていただけると、この本を作った甲斐があったなとうれしくなります。哲学史の入門書というと、すでに流布している図式を使いながら、個々の哲学者の議論をいかにわかりやすく、かつ面白く説明するかというところで出来不出来が決まってきたようなところがありますよね。
でも研究者自身は、今まで当然視されていたような図式や通説をどう考えているのか。それを聞くことによって、哲学史の入門書ももう少しアップグレードできるかなと思って尋ねている質問なんです。
ネオ いま言ってくれたみたいに、入門書って基本的にはすでに言われてることの再生産なんですよね。だから、昔からある解説を批判意識もなく繰り返すような、安易な入門書もけっこうあります。『哲学史入門』は、そういった古色蒼然とした理解に対して、「本当にそれっていまでも通用しているの?」と確認を取るという形で書かれている。これが地味に画期的というか。
斎藤 地味に画期的(笑)。うまいこと言ってくれました。
ネオ でも冷静に考えると、こんな単純なことが画期的であること自体おかしいんですよね。入門書って当然そうあるべきなのに、どうして今までやられてこなかったんだと。
斎藤 ただ、教科書的な説明を知らないと、その面白さが伝わりづらいといった趣旨の読者レビューがあって。その意味では、少しハードルが高くなってしまったかなと思わなくもないんです。
ネオ 必要最小限の教科書的な説明は、斎藤さんもイントロダクションで書いてますよね。なので『哲学史入門』は、倫理の教科書などを読んでないとわからないような本ではないはずです。
それに、教科書的なものって、これから哲学を学び続けるのであれば、絶対どこかで触れることになると思うんですよね。その時に「そういえば『哲学史入門』にこんなことが書いてあったな」と、アンテナがちょっと働くようになる。それがすごく大事なんですよ。
哲学史の入門書をアップグレードする
ネオ 自分で言うのもなんなんですけど、『一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書』(以下、『哲学の教科書』)と『哲学史入門』が、2024年の同時期に出たのは宿命的なんじゃないかと思えてきます(笑)。
入門書に必要なことって何なのか。僕は、自分の本を「ゆる哲学ラジオ」というYouTubeチャンネルをやっている平田トキヒロさんに送ったところ、すごく褒めてくれて、「この本は哲学リテラシーが高まるね」みたいな感想をくれたんですね。
それを聞いて、いかにしてリテラシーを高められるかということが、入門書の使命だと思ったし、『哲学の教科書』も『哲学史入門』もその役割をしっかり果たしている。だからこれから哲学の歴史を勉強するなら、この2冊が定番になってほしいという気持ちが強くあります。
斎藤 ネオさんの『哲学の教科書』も、哲学史の入門書をアップグレードしてますからね。あらためて読んでみて、この本がすばらしいのは、これまでの学問的な蓄積を踏まえて解説したうえで、ネオさん自身の読み筋をしっかり出しているところだと思いました。
ネオ 「教科書」なので、「俺はこう思う」みたいなことを前面に出す書き方はしてないんですけど、それぞれの哲学者のポイントを示すときには、自分自身の理解をけっこう出しているんですよね。その理解の適切さやおもしろさは問われると思います。
斎藤 そうそう。例えば近代はじめのフランシス・ベーコンの解説でも、その重要な意義として、ベーコンの哲学が、ピュタゴラスやパルメニデスに端を発する形而上学・超越哲学に対する批判になっていると指摘してます。ネオさんの本を最初から読んだ人は、「ピュタゴラスとパルメニデスの形而上的な哲学はここまで響いてるんだな」って感じるはずです。
ネオ パルミニデスがまさに観察と論理という対比をしていて、ベーコンは観察を重視した。だったら、パルメニデス的な形而上学批判としての意義はあるだろうと、これは僕がそう考えただけで、ふつう、パルメニデスといちいち関連づけて言われることはない。
斎藤 ないですよね。ベーコンがスコラ哲学を批判したというのは、ベーコンのテキストを読めばわかる。でも、より巨視的に哲学史を見た場合、たしかにベーコンは反パルメニデス的な議論を展開していますね。
ネオ そうなんです。ベーコンは、単に少し昔の時代の哲学を批判したというよりは、哲学の根本的なあり方のひとつを批判した。そういう深いところまで捉えられる人物だと思うよ、っていう理解のもとに形而上学の批判と書いたんですね。
『哲学の教科書』にコントとスペンサーを入れた理由
斎藤 ベーコンの哲学にも関連しますが、『哲学の教科書』の近代パートで特徴的なのは、実証主義という枠組みでコントとスペンサーを登場させているところです。この二人は、一般的な哲学史の入門書だと、あまり登場しないじゃないですか。出たとしても、言い方が悪いけれど脇役的な扱いです。ところがネオさんは、近代の哲学者15人枠のうちの2人を、コントとスペンサーにあてています。これは、ネオさんならではの嗅覚があるように感じられて、興味深かったです。
ネオ 正直に言うと、当初の構想では、どちらも15人の候補に入ってなかったんですよね。ヘーゲルまでで区切ろうかどうしようかとか、けっこう構成する際に悩みました。結局、コントとスペンサーを入れたのは、哲学は体系性を求める学問だということを意識したからです。
哲学を体系立てるというと、ヘーゲルを連想しますが、コントやスペンサーといった実証主義者たちにも体系化指向は強く感じられます。とくにスペンサーはそうですね。ならば、ドイツだけじゃなく、イギリスやフランスでも同じ時代に哲学の体系化への指向があったことの説明として、コントやスペンサーを紹介するのはありなんじゃないかなと思ったんですね。
あとは、コントやスペンサーって、いまやほぼまったく読まれてないし、翻訳すらほぼないじゃないですか。いちばん新しい翻訳が「世界の名著」シリーズみたいなことになっていて、これはあまりにも無視されすぎじゃないかと。
斎藤 その点は僕もネオさんの本で気付かされました。恥ずかしながら『哲学史入門Ⅱ』でも、コントやスペンサーは触れられていません。でもコントもスペンサーも、哲学だけでなく、その後の近代的な知への影響はとてつもなく大きいんですよね。その意味でも、この二人を取り上げているのは、「地味に画期的」だと思って。
ネオ そうですね。なんとなく僕の勘で、この2人を入れておくのは、後々効いてくるんじゃないかと思ったんですね。
自分なりのストーリーを作る
ネオ 『哲学史入門Ⅱ』で戸田剛文先生が「自分語りのようになってしまいますが」と断りを入れながら、大学入学から研究者人生を振り返る話をしてるじゃないですか。そのくだりの最後のほうに、「自分なりのストーリーができると、過去の哲学もがぜん面白くなってくるはずです」とおっしゃっていて。これは貴重なアドバイスで、「斎藤さん、よく引き出してくださいました」と思ったんです。
じつは「ストーリー」って、たまたまなんですけど、「一度読んだら絶対に忘れない◯◯の教科書」シリーズの大きなコンセプトになってるんですよね。当然、僕の本もシリーズの1冊なので、哲学をストーリーとして学ぶことがコンセプトになってます。
斎藤 「はじめに」の見出しに、でかでかと「哲学には“1つ”のストーリーがある!」とありますね(笑)。
ネオ はい。ただ、ストーリーで見るうえで一番大事なのは、まさに戸田先生が言ってるように、自分なりのストーリーで見ていくことです。勉強していく中で、自分なりのストーリーみたいなものがいつの間にか形成されるようになると、哲学史はいっそう面白くなると思うんですよ。
斎藤 そうですよね。だから、ネオさんの本についても誤解してはいけないのは、ネオさんのストーリーはあくまでネオさんの見いだしたストーリーであって、それをそのまま鵜呑みにして、模範解答のようなものと思わないことですよね。それは『哲学史入門』にもいえることで、むしろ僕らの本をきっかけに、自分自身の哲学史を探っていく感じで読んでほしいんです。
ネオ 本にも但し書きをしているけど、大事なのは一人ひとりの哲学者をどう理解するかであって、ストーリーはあくまで補助線なんですよね。だからストーリーありきで理解するのは危ないです。『教科書』も、僕の中でできあがってきたストーリーを補助線として提示しているつもりなんです。初めて哲学史を学ぶ人はストーリーも何も作れない状態だから、まずは参考にしてもらうにしても、やっぱり一人ひとりの哲学者と向き合うことが重要だと思います。
斎藤 『哲学史入門』に登場する指南役も、当然、個々の哲学者のテキストに向かい合って、読んでいるんですよね。たとえば上野修さんなら、デカルト、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツのテキストを読んでいくなかで、17世紀の哲学の核心をつかんでいるわけです。ただ、これもたった一つの正解ということじゃなくて、プロの研究者が描いたひとつのストーリーとして読んでもらえればいいんじゃないかと。
哲学史の市民革命!
ネオ いまは、解説書も充実してきているし、ネットにも良質なコンテンツがたくさんあります。勉強しようと思ったら、助けてくれるツールが昔よりもはるかに揃っていますよね。しかもそれを発表することもできるし、他人とコミュニケーションも取りやすい時代になっている。その意味では、僕ら一人ひとりが、哲学に対して自分なりの理解を試みることができるような時代だとも思っているんです。
僕が提示している「ネオ哲学史」も、そういう時代のひとつのマニフェストでありたいし、まさに誰でも哲学を語っていい時代が来てるんだという思いも少し込めています。その意味でも、戸田先生の「自分なりのストーリーを作る」というのは、この時代にふさわしいアドバイスだなと感じました。
斎藤 ネオさんの本に、ジョン・ロックは哲学の市民革命を成し遂げたって書いてありましたよね。それでいくと、ネオさんの本は、哲学「史」の市民革命をやろうとしているところがありますよね。
ネオ 本当にそう。誰でも哲学史に参入できる時代が来たということですよね。
斎藤 しかも、これまたネオさんが使っている言葉ですけど、デカルトを「野良哲学者」と評している。そしてネオさんも、タイで高等遊民しながら野良哲学者をやっているわけですよね(笑)。だからネオさんの活動じたいが、哲学の市民革命を推し進めているし、そのマニフェストとして本を出したことの意義はすごく大きいんですよ。
ネオ ありがとうございます。そもそも哲学って、開かれた学問のはずなんですよね。山本貴光さんと吉川浩満さんがインタビューで語ってましたけど、哲学は一方で、たいへん身近な問題ともつながっているし、他方で学問の全体を見渡してマップをつくるという仕事をやってきた。いわば、明らかにめちゃくちゃ難しくて、途方もないことを目指してるのに、開かれてる変な学問だと思うんです。全体を見渡すなんてなかなかできることじゃないけれども、開かれているという側面に関しては、入門書を書くということで多少は貢献できたんじゃないかって思うんですよ。
■構成・斎藤哲也