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「変奏曲」は人間の変化や成長と重なり、「愛」もまたあらゆる面を見せるのです ――小菅優『ソナタ・シリーズ』第3回を語る

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小菅優(c)Takehiro Goto

ピアニスト小菅優が続けている『ソナタ・シリーズ』も今度で3回目。各回にテーマを設け、「ソナタ」をいくつか演奏する……それを続けることによって聴き手にも、演奏者である小菅自身にも様々な発見や成長があったのではないだろうか? 第3回のリサイタルを前に、小菅に話を聞いた。

――『ソナタ・シリーズ』も3回目になりますね。小菅さんご自身の発見や手応えは?

このシリーズではバロックから現代まで、様々な時代のソナタを混ぜて取り上げていますが、こうしてソナタ形式を中心に、作曲家一人一人の視点から見るあらゆる「ソナタ」像を並べると、時代の中でどれだけ彼らが自身の個性と自由を見出しているかに気付かされます。ソナタのスタイルは年代を追って変わっていっているのではなく、時には斬新に、時には過去を振り返って、と様々です。

ソナタというものは(楽章があってもなくても)盛りだくさんなので、一つで何曲も弾いているような感覚になります。そこには作曲家の気合いみたいなものも大いに感じます。もちろん楽章はただ並んでいるわけではなく、ソナタとして統一されていく全体像があるのです。そのため、キャラクターの対比や、長い道のりの後は最終的にどこに到達するのかなどを考え、作品をより大きな世界として捉えることがこのシリーズの課題だと感じています。

――第3回目のテーマは「愛・変容」です。それぞれに「愛」を感じ、また変奏曲を含むこれらのソナタたちを選びました。そこにはどんな思いがあったのでしょう?

ベートーヴェンとシューマンはそれぞれ独立した単独の「変奏曲」を残していますが、ソナタの中に配される変奏曲は、作品全体を上昇させ、膨らますと思うんです。ベートーヴェンと矢代は最後のクライマックスである終楽章において変奏曲を用いています。シューマンは緩徐楽章を変奏曲とすることによって各変奏の多彩さが道のりを膨らまし、その後に激しい終楽章でまとめる。コアとなる一つのテーマは変わらず、どんどんと違う顔を見せていくことは、人間の変化と成長と重なり合うように感じます。そして「愛」も、神への愛、恋愛、人間愛などあらゆる面を見せる。そう考えると、今回は特に感情的なプログラムになっていると思います。

小菅優(c)Takehiro Goto

――「変奏曲」はハイドンやモーツァルトの時代と違い、ベートーヴェンがそのやり方や意味を大きく拡大したと思います。彼にとって「変奏」とは何だったのでしょう? そしてベートーヴェンより後の作曲家にとって、「変奏」はどう変わっていったのでしょう?

ベートーヴェンはたくさんの変奏曲を残しているので色々な例がありますが、テーマ、そのハーモニーをかたち作る分散和音での変奏、短調による変奏、ゆっくりな変奏、そして最後のクライマックスとなる変奏曲とコーダ、といった古典派における通常の変奏曲のスタイルを、この時代においてベートーヴェンは大きく超越したと思います。

今回のベートーヴェンのソナタ第30番全体では、「対比(コントラスト)」が重要だと感じます。まずリリックで内面的なホ長調の第1楽章に対し、続けて演奏される第2楽章はホ短調の激しいプレスティッシモ。そして第3楽章の変奏曲にも「対比」が感じられます。テーマから徐々に緊張感が上昇している中、メロディックなものとリズミカルなものの対比、ポリフォッニックで対位法を用いたゆったりとレガートの第4変奏に対して速めのフーガによる第5変奏。そして最後の変奏には最初から最後まで持続するトリルによって天に昇っていくような統一性がある。最後にまたテーマに戻ることによって、そこに輪廻を感じます。

その上、最後の3つのソナタの中でも極めて内省的で、とても感情的でスピリチュアルなソナタだと思うんです。不協和音に感じる痛み、もがく様子が見える葛藤、突然現れる弱音の優しさと安堵、楽園への昇天、安らぎ。晩年のベートーヴェンならではの、率直な感情の訴えと、人生を客観的に振り返るような心の平和の両方の要素を合わせもつ、ぎゅっと締まった濃厚さ。第3楽章の、Gesangvoll mit innigster Empfindung(歌のように、心の底から感情を込めて)という表記が全てを語っているように感じます。

そして変奏曲の進化は、その後に弾く矢代のソナタの第3楽章が素晴らしい例ですが、順番に変奏させていくのではなく、モチーフそれぞれが交互に変奏され、常に新しいものが加わっていく。最後に2つの対照的なテーマが会話のように同時に演奏されます。

――その矢代秋雄さんのソナタについてお聞きしましょう。小菅さんは今回のソナタ以外にも、これまで矢代さんのピアノ協奏曲やほかの曲も弾かれています。現代と違い、まだ西洋音楽が日本にやってきて半世紀少しの時代にあって、意欲的であり、かつ洗練された矢代さんの音楽について感じることを教えて下さい。

残念ながら数少ない矢代秋雄の作品の中でも、この「ピアノ・ソナタ」は極めて貴重だと思います。彼の個性とフランスへの留学の成果が響き合う作品なのではないでしょうか。彼は来日した師匠メシアンを、師が好きだった鳥の観察のため軽井沢へ案内したと聞きましたが、矢代のソナタにはメシアンらしい鳥の鳴き声や色彩、ハーモニーとともに、和に通じる童歌(わらべうた)が鳴り響くようなところもあります。時折現れるリズミカルな激しさと神秘的な響きとの対比とともに、同じ2つのテーマが楽章を越えて作品全体を形取っているところから、全3楽章で一つの大きなストーリーを感じさせます。12音の無調世界の中で時折見せる調性の美しさ。矢代さんならではの幻想性と色彩豊かな世界がここにあります。

――シューマンのソナタ第3番は、現在のかたちになるまで色々なプロセスを経ています。そして今回、小菅さんはあたかもそのプロセスをときほぐすように、楽章を1つ追加して弾くということですが、どんな考えでそれを決め、具体的にはどのようなかたちで弾かれるのでしょうか?

そうですね、現在の形になるまでのプロセスも「変容」に通じるかもしれません。でも実際、コアとなるところは最初のバージョンからあまり変わってないんです。

シューマンは最初「オーケストラなしの協奏曲」を想定して、今回演奏する全5楽章をすでにその時点で書いていたのですが、そのうち3つの楽章(第1楽章、緩徐楽章、終楽章)のみ1836年に出版、後に1853年にスケルツォを一つ加えて「グランド・ソナタ」として出版しました。今回は更にもう一つのスケルツォも演奏します。この2つのスケルツォ、全く違う情緒をもっていて素晴らしいんです。

このシューマンのソナタには、その頃愛するクララと(彼女の父に反対されて)離れ離れになってしまった時の彼女への心の叫び、常に現れる憧れと夢、それらを追い求める動悸、人間性にあふれる訴えなどを感じることができます。極めてシューマンらしい作品ですね。クララが作曲した作品からのテーマ、「ド・シ・ラ・ソ・ファ」はどの楽章にも散りばめられていますが、クララへの心のこもったメッセージとともに、自身が語った心の2つの要素――激しく情熱的なフロレスタン、夢見心地で甘美なオイゼビウスが現れるところに注目していただきたいです。彼の文学的な語り口とロマンチックなリリシズムに常に圧倒されます。

―― 今回弾くソナタたちには、それぞれが実に個性的であると同時に、通じるところも多くあるのですね。

時代を超えて心に訴えてくるこの3つのソナタも、ライヴではまるでたくさんの面を見せる一つのソナタのように感じられるかもしれません。ポエジーと歌心に富んだ愛と変容の世界を、皆様に是非聴いていただきたいです。

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