#2 災害文学としての『方丈記』――小林一彦さんが読む、鴨長明『方丈記』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
小林一彦さんによる、鴨長明『方丈記』の読み解き
「豊かさ」の価値を疑え!
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の有名な書き出しで始まる『方丈記』。世の中を達観した隠遁者の手による「清貧の文学」は、都の天変地異を記録した「災害の書」であり、また著者自身の人生を振り返る「自分史」でもありました。
『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明 方丈記』では、小林一彦さんによる『方丈記』の読み解きを通じて、日本人の美学=“無常”の思想を改めて考えます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第2回/全4回)
『方丈記』に出てくる五大災厄
『方丈記』は鎌倉時代初期の建暦二年(一二一二)、隠者の鴨長明が記した文学作品です。執筆したのは五十八歳頃とされ、俗世を厭(いと)い洛南の日野に結んだ小さな庵で、閑寂な独り暮らしの中、みずからの境涯をつづりました。
長明が生きたのは平安末期から鎌倉初期にかけてですが、その時代の出来事といえば、多くの方が保元・平治の乱、平家の全盛、源氏の挙兵、木曽義仲の入京、壇ノ浦合戦、鎌倉新政権の樹立といったものを思い浮かべられるでしょう。たしかにそれらは歴史的大事件でしたが、その時期の京は大きな天変地異に襲われた時代でもあったのです。
『方丈記』では、世のはかなさを示す例として、長明自身が二十~三十代にかけて経験した五つの大きな災厄をあげています。「安元(あんげん)の大火」、「治承(じしょう)の辻風」、「福原遷都」、「養和の飢饉」、「元暦(げんりゃく)の大地震」です。長明はこれらを「世の不思議」と言い表しましたが、私たち研究者はまとめて「五大災厄」と呼んでいます。
『方丈記』は、こうした災厄を迫力ある筆致で書き記した、日本最古の「災害文学」でもあります。私が講演などでお話しさせていただいた時、多くの方が「意外だった」と驚かれるのは、前半部分のほとんどを費やして「災害」について詳細に述べていることでした。
そこで、この第1章では『方丈記』の災害文学としての側面についてお話ししていきます。
大きな天変地異といえば、現代の私たちがまず思い起こすのは、二〇一一年三月十一日の東日本大震災だと思いますので、まずは「元暦の大地震」から見ていきましょう。
リアルな大地震の記述
平安時代の文学作品には、災害についての言及などはほとんどなく、社会に起こった事件を詳しく記しているものはまずありません。長年の雅びの伝統からか、現実的な問題をオブラートに包むことなく、何でもあけすけに書き表すのは、はしたないことであるという心性がどこかに働いているのだと思います。これに対して、『方丈記』の文章は他に例を見ないほどリアルです。
山は崩れて河を埋(うづ)み、海は傾きて陸(ろくぢ)をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。渚(なぎさ)漕ぐ船は波にただよひ、道ゆく馬は脚の立(たち)どをまどはす。
山は崩れて川を埋めてしまった。「海は傾きて陸地をひたせり」というのは、海面が傾いて、高いところから低いほうに流れ込んでくるかのように押し寄せてくる津波の描写です。「土裂けて水湧き出で」は、地面が割れて水が湧出してくる液状化現象のことです。平安京の地下には巨大な地下水脈があり、琵琶湖と同じくらいの水量が保たれているといいます。また、平安京を造営した時から、たとえば鴨川の流れを変えて土地を広げるなど大規模な造成工事をしていますので、場所によっては泥沼状の水浸しになったのでしょう。岩が割れて谷に転がり落ちる。波打ち際にいる船は波に翻弄され、道を行く馬は立っていることもおぼつかない──。
八百年以上前に起こった出来事ですが、私たちが三・一一で見た情景とそっくりです。長明はただならぬ情景を冷静に観察し、つぶさに書き残していました。
その後の記述も真に迫っています。
都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟(だうじやたふめう)一つとして全(また)からず。或(あるい)は崩れ、或は倒れぬ。塵灰(ちりはひ)立ちのぼりて、さかりなる煙の如し。地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽(たちまち)にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍(はべ)りしか。
都のまわりではあちらこちらの寺の堂や塔が倒壊し、無事なものは一つもない。あるものは崩れ落ち、あるものは倒れた。塵や灰が舞い上がって煙が立ち上っているようである。大地が鳴り響き、家々がバリバリと崩壊していく音は、雷鳴がとどろくようなすさまじさだ。家の中にいれば押しつぶされそうになり、戸外へ逃げれば地面が割れて退路をふさがれる。羽がないので空を飛ぶこともできない。龍であれば、雲にのって逃げることもできるのだが──。
そして、長明は「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震なりけり」、この世でもっとも恐ろしいのは地震だと断じています。この言葉は三・一一の震災後、メディアなどでよく引用されました。
「余震」のことにも詳しく触れています。
かくおびたたしく震(ふ)る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごり、しばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度震らぬ日はなし。十日廿日(はつか)過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、或は四五度、二三度、若(も)しは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。
このように大きく揺れる現象は、しばらくして止まったけれど、余震はしばらくのあいだ続いた。よくあることだが、有感地震が日に二十~三十回も揺れない日はない。それが、十日、二十日と過ぎゆくほどに間遠になり、やがて「一日に四、五回」「一日に二、三回」「一日おき」「二、三日に一回」という具合になったが、およそ余震は三か月ほども続いただろうか──。
現代にも十分通用する科学的な記述です。
『方丈記』が書かれたのは長明が五十八歳の頃ですが、二十数年も前の災害の様子をありありと活写しています。過去の出来事を、あたかもいま目の前で起こっているかのように現在の時制を用いて生き生きと再現してみせる表現技巧を、西洋の詩学などでは「歴史的現在」といいますが、そんな言葉すらなかった時代に、長明はまさにそのようなテクニックを用いて『方丈記』を書いたのです。
しかしこれだけではなく、さらに驚くべき一言が最後に、しかもさらりと加えられていたのでした。
人皆あぢきなき事をのべて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経(へ)にし後は、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。
人びとはみな、やるせない世を嘆き、いくらかは煩悩(ぼんのう)も薄らぐようにも見えたが、大地震から月日がたち、年が過ぎると、もう言葉にして口にする人さえいない──。
これは大きな災害の後、今日でもしばしば問題となる風化現象のことをいっています。災害の直後は、自然の巨大な力の前に人間の無力さを痛感し、「自然を畏(おそ)れなければいけない」とか、「自分たちが慢心していたから罰があたった」とか、「日頃から備えをしっかりしなければいけない」という人がたくさんいたのに、時間がたつにつれて忘れられ、二十数年たった今では、地震のことなど話題にする人さえもいないというのです。
直接の被害だけでなく、長期間にわたってこのような後々の人びとの行動にまで目配りを怠らないところに、鴨長明の卓越した観察眼がよくあらわれていると思います。
平安時代にも竜巻!
自然災害といえば、東日本大震災から約一年後の二〇一二年五月六日、北関東で観測史上最大級の、死傷者三十八名、約二千棟の建物が被害を受ける大きな竜巻がありました。
カンザスやモンゴル、北アメリカの大平原などでは竜巻はつとに有名ですが、平地の少ない日本では珍しく、それだけに誰もが驚愕(きょうがく)しました。しかし、そのような竜巻は八百年前にも起こっていて、長明はこれも詳細に記していたのです。「治承の辻風」というのがそれです。
又治承四年卯月(うづき)のころ、中御門京極(なかみかどきやうごく)のほどより大きなる辻風起こりて、六条わたりまで吹ける事侍りき。三四町を吹きまくるあひだに、こもれる家ども、大きなるも小さきも一つとしてやぶれざるはなし。
さながら平(ひら)にたふれたるもあり。桁(けた)柱ばかり残れるもあり。門(かど)を吹きはなちて四五町が外(ほか)に置き、又垣を吹きはらひて隣と一つになせり。
いはむや家のうちの資財、数をつくして空にあり。檜皮(ひはだ)、葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木(こ)の葉の風に乱るるが如し。塵を煙の如く吹きたてたれば、すべて目もみえず。おびたたしく鳴りどよむほどに、ものいふ声も聞こえず。彼(か)の地獄の業(ごふ)の風なりともかばかりにこそはとぞおぼゆる。
時は治承四年(一一八〇)四月、所は中御門京極のあたり。発生した竜巻は六条のあたりまでの三、四町をすさまじい勢いで通り過ぎ、小さい家も大きい家も一つとして破壊されないものはない。そのまま潰れた家屋もあれば、桁や柱ばかりが残骸のように残っている家もある。楼門を吹き飛ばし、離れた場所にそっくり同じ形のまま移動させ、あるいは、垣根を吹きはらって隣の家との境界線をなくし、一つ屋敷とする。室内の調度類は軽いので旋風に巻き上げられて空中を浮遊し、檜皮や葺板なども全部ひきはがされ、あたかも冬の木の葉が舞い散っているようだ──。
ありえない光景が、まぶたに浮かぶようです。
辻風の音に関しても述べています。会話している声も聞こえないほどの轟音(ごうおん)で、あの地獄に吹くというすさまじい暴風も、これほどひどくはないだろうと思われる、とあります。視覚ばかりでなく聴覚も動員しての、真に迫る描写です。
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著者
小林一彦(こばやし・かずひこ)
京都産業大学文化学部教授。専攻は和歌文学・中世文学。和歌文学会委員、中世文学会委員、日本文学風土学会理事、方丈記800年委員会委員。教育・研究のかたわら、古典の魅力をわかりやすく伝える講演活動にも力を入れており、幅広い年代を対象に小学校の教室から大規模ホールまで、古典の語り部として各地を歩く。主な著書に『鴨長明と寂蓮』(日本歌人選049・笠間書院)、『続拾遺和歌集』(明治書院)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明「方丈記」』(小林一彦著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『方丈記』引用部分は大福光寺所蔵の『方丈記』を底本とし、カタカナをひらがなに改めました。また、適宜漢字をあてて読み仮名を付し、読みやすくしています。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年10月に放送された「鴨長明 方丈記」のテキストを底本として大幅に加筆し、新たに玄侑宗久氏の寄稿、読書案内、年譜などを収載したものです。