仲村宗悟インタビュー、5周年アルバム『carVe』はこれまでの歴史を彫り付けたもの――
声優、そしてアーティストとして活動する仲村宗悟の5周年アルバム『carVe』(カーブ)がアーティストデビュー5周年を迎える2024年10月30日に発売される。ほぼすべての楽曲の作詞作曲を手掛けており、コロナ過もありながら順調にリリースを重ねてきた。そんな仲村宗悟にこの5年間、そしてアルバム『carVe』について、さらに10月のソロイベント、古川慎、畠中祐との3マンライブ『Lantis MENS GIG "A・C・E" 2024』についても訊いた。
■アーティスト活動は5年よりももっとやっている感覚がある
――まずは5周年ということで、アーティストデビューから今までのことをお聞きしたいです。今年の10月末で5周年ですよね。どんな5年間でしたか?
まだ5年なんだって感覚が結構ありますね。アーティストデビューしてからコロナ禍を挟んだことで、なかなか思うように活動ができない期間とか、ライブができない期間があったんですけど、楽曲制作や楽曲のリリースは結構させてもらっていたので、凄く詰まった期間だったなって。5年よりももっとやっている感覚がありますね。
――今回インタビューするにあたって、これまで仲村さんが作詞作曲されている曲を全部洗い出してみたんですけど、結構な数の曲を手掛けられていると感じたのですが。
それぞれペースは違うと思いますけど、そう言われると結構出している方なのかな?
――作詞だけの曲も含めてですけど、29曲も手掛けられていました。
そんな書いてるんだ!?
――年間5曲以上手掛けられているのは凄いですよね。
いいペースでリリースさせてもらっています。タイアップの楽曲も多いですし、本当にありがたいですね。
――先ほどからお聞きしているとコロナ禍はあまり仲村さんのアーティスト活動には影響がなかったんですかね?
リアル活動には影響がありました。リリースイベントがオンライン開催になってしまったり、あとやっぱりライブができなかった。しかも2ndライブまでは声出しもできなかったですし、アーティスト活動をスタートしてから、リアルな活動はなかなか思うようにいかなかった。足止めくらってるってほどでもないのですが、躓いた感じがありましたね。
――そんなコロナ禍が明け、現在の活動は順調と?
3rdライブ(2023年の5月から9月まで開催された『SHUGO NAKAMURA 3rd LIVE TOUR ~NOISE~』)から、初めて声出しでライブができることになって、やっとライブらしいライブができたという感覚がありました。
■5年間を彫り付けた5周年記念アルバム『carVe』
――なるほど。ではそろそろ5周年記念アルバムについてお聞きしたいのですが、今回のアルバムのタイトルが『carVe』(カーブ)になった経緯をお聞きしたいです。
いつもアルバムやライブのタイトルってスタッフも集まってみんなで決めるんですけど、僕から「carve」とうタイトルを提案させてもらって、これは英語で“彫る”とか、“彫刻”みたいな意味なんです。今回のアルバムは、これまでのシングルの表題曲などが入っているアルバムなので、これまでの歴史を彫り付けた、5年で彫り上げた彫刻みたいなものだと思い、このタイトルに決めさせていただきました。
――『carVe』の“V”の部分が大文字になっているのは?
これはローマ数字の5を表していて。事務所の新人マネージャーさんからの、“V”だけ大きくするのはどうですか?っていう鶴の一声で、それいいねって!決まりました。
――今回の『carVe』は新曲も入る予定なんですよね?
そうですね。だからこれまでの歴史を彫り付けつつ、さらに新しいものも彫り付ける、という感じにできればいいなと思っています。
――新曲のことはもう少し先じゃないとお話できないですよね?
そうですね(笑)。ただ、明るい曲になると思います!
■専門学校で曲を真面目に作るようになって初めてジャケ買いとかしてみた
――では楽曲の制作についてお聞きしたいのですが、何歳ぐらいから作詞作曲、曲作りはやり始めたのでしょうか?
中学校3年生ぐらいから鼻歌で作ったりしてましたね。家にクラシックギターがあって、父親が夜晩酌をしていると必ずギターを引っ張り出してきて、歌謡曲を歌うんですよ(笑)。だから僕にとってのギターってクラシックギターで、ネックもメチャクチャ太くて、ナイロン弦で、凄くコードとかも抑えにくい。そこから入ったので、初めてアコースティックギターとか、エレキギターを触った時は、メッチャ弾きやすいな!と思いました。そこから少しずつ、コードを覚えて、3個ぐらいコード覚えたら、鼻歌で適当に曲を作るってのをやっていました。
――かなり前から曲を作るという意識があったと。
もちろんその頃は知識とかも何もなくて、遊び程度ですけどやってましたね。
――高校ではバンド活動されていたんですよね?
これも本格的にって訳ではなく、集まってバンドっぽいことやろうぜみたいな感じで、コピーバンドをやってたぐらいですね。
――その頃は作詞作曲はされていたんですか?
みんなで一曲仕上げようみたいなことはやってなかったですね。自分だけで趣味で作ってました。
――その後、音楽を志して上京されるわけですが、その頃はかなり本格的に楽曲を作られていたのですか?
そうです。僕が通った専門学校に、松田聖子さんの曲とか書いている小倉良(作曲家、ギタリスト)先生っていう方がいらっしゃって。先生の授業で週に1曲、ワンコーラスでもいいから必ず曲を書いてくるように、という課題があって、1年間それをずっとやっていました。毎週先生に曲を聴かせるんですけど、「全然面白くない」とか、「ちょっといいじゃん」ということを繰り返していたんです。
――ちなみに今の楽曲制作はどのような形でやられているのでしょう?DTM(デスクトップミュージック)でやられているのですか?
僕はずっとアナログですね。歌とギターを弾いたやつを録音してコードだけ書いて、それをアレンジャーの村山☆潤さんに渡して、アレンジをしてもらう。それに対して、ここはもっとこういう感じにしたいですって一緒に話し合いながら進めていくっていう感じでやっています。
――そうなんですね! 最近の曲でいうと「WINNER」もそういう感じで作られた?
そうです。あの曲はすんなり歌詞とメロディが浮かんできて、メチャクチャ早く書くことができました。
――そうなんですか。先ほどDTMについてお聞きしたのは、「WINNER」のリズムってアコギとかギターからは出てこないリズムなのかな?と思ったんです。
すべてアコギで書きました!「WINNER」は4つのコードが主体になってるんですけど、その4つのコードをループさせてメロディを書いていった感じで。
――アコギで曲を作ると、どうしてもジャカジャカとコードをかき鳴らしてしまうイメージがあって。あのリズムがスッと出てくるのは凄いです。
嬉しいですね。
――そして先ほどお名前がでましたが、仲村さんの楽曲の編曲を手掛けられている村山☆潤さんとの関係はどのようなものなのでしょう?
潤さんは仕事仲間であり、サウンドプロデューサーなので一番最初の楽曲からずっと一緒にやらせていただいていて、ずっとお世話になっています。ライブでバンドマスタ―もやっていただいていて頼りになる方です。音楽家としても尊敬しています。
――今回改めてこれまでの楽曲を聴いたのですが、ジャンルレスなアニソンだから、ということもあるとは思うのですが、仲村さんの楽曲ってバラエティ豊かというか、アイディアの引き出しが多いですよね。
それはかなり意識してます。自分が作詞作曲するからにはやっぱり、こんな楽曲もあるんだ! こんな球もまだ投げれるんだ!みたいな。もっと驚かせたい、サプライズしたいみたいな意識で曲は書いています。
――そんな楽曲制作のアイディアの多さの源泉を知りたいのですが、影響を受けたアーティストをお聞きしたいです。
10代の時は完全に邦楽しか聴いてなかったですね。18歳まではいわゆるヒットチャートに上がっているスピッツやミスチル(Mr.Children)、兄貴の影響で奥田民生さんや、サザンオールスターズを聴いてました。
――18歳以降、専門学校時代で変わった?
授業で曲を作るようになってから、これじゃ引き出しがあまりに無さすぎるなと感じて、世の中で良いって言われてる洋楽を片っ端から聴いていこうと思ったんです。そこでスティービーワンダーやスティング、マイケルジャクソン、ビートルズなどを初めて触れて、やっぱりいいなとなったんです。その時に初めてジャケ買いとかしてみたりして、それでピンクフロイドと出会って。
――ジャケ買いしたピンクフロイドはどのアルバムだったのでしょう?
一番有名な、三角がモチーフの『狂気』(「The Dark Side of the Moon」1973年リリース)でした。聴いてスゲーって、サイケデリックな感じなんだみたいな。その時期はいろいろなものを取り込もうって思ってましたね。
――ちなみにそんないろいろ聴かれた中でこれはすごいなって思ったアーティストはいらっしゃいますか?
スティングとかはしばらく好きでしたね。
――それはスティングのソロの方ですか?
ソロの方が僕は好みでしたね。(スティングはポリスというバンドでデビュー。ドラムのスチュワート・コープランド、ギターのアンディ・サマーズと1978年にデビュー)
――「Englishman in New York」(スティングの代表曲。1988年リリース)とか?
そうですね。あとは『レオン』の曲(「Shape Of My Heart」1993年リリース)とかも好きでした。
――なるほど。あの空気感とかも入っているのですね。先ほども言いましたが、楽曲のアイディアが豊富で、洋楽の要素がふんだんに入っているなと。
やはり10代の時の経験とかがベースになってます。だから具体的に“このアーティストに影響を受けた”、というのはないんです。雑食にいろんなアーティストの楽曲を聴いて、色々吸収していこう、という感じです。
――じゃあ、楽曲を聴いてコードを解析してみたり?
ありましたね。自分なりに耳コピして分解して、こんなコード進行使ってんだみたいな。そのコード進行から、自分でメロディ作るんだったらどんな感じかなと、同じコードでメロディ作ってみたりしていましたね。
■Lantis MENS GIGの主題歌「Never-ending」はすごくまっすぐで爽やか
――10月に『Lantis MENS GIG "A・C・E" 2024』が開催されます。古川慎さん、畠中祐さんとの、いわゆるバンド形式でいえば3マンライブです。お二人との関係をお聞きしたいです。
二人は仲の良い声優仲間ですね。
――前に畠中さんにインタビューした時に、仲村さんが男気があるから、多分引っ張ってくれるだろう、みたいなことを言われていたのですが。
あいつ…(笑)、僕に責任を全部かぶせてきたな(苦笑)。アーティストとしては(畠中)祐からデビューして、その翌年にまこっちゃん(古川慎)がデビューして、その翌年に僕がデビューなのですが、声優としてのデビューというか、経歴で言ったら圧倒的に2人の方が早いので。経歴で考えると僕が一番後輩ですね。
――ではそんな『Lantis MENS GIG "A・C・E" 2024』ですが、こんなことをしてみたい、というのはありますか?
せっかく3人でライブをやれるので、3人の楽曲をシャッフルとかできたら面白いなと思っています。
――シャッフルは面白いですね。ちなみにどちらの曲を歌ってみたいとかってありますか?
どっちも歌いたいですけど…全体のバランスで決めて、うまい具合にシャッフルできればと思います。
――そして、主題歌「Never-ending」があるんですよね。すでに先行配信されています。
「Never-ending」は、全く曲のジャンルが違う3人をまとめないといけなかったので、スタッフさんも大変だったとは思うのですが、3人それぞれの音楽性とも違った新しい一曲になってるんじゃないかなと思います。まっすぐで爽やかで、すごく聴きやすい曲です。
――ファンは必須ですね。そして10月27日に『仲村宗悟がアーティストデビューして5年らしいヨ!お祝いする?』も開催されます。イベントタイトルに疑問形が入っています。
これも僕が考えたタイトルです(笑)。
――どんな内容になるのでしょう?
……お祝いされたいですね(笑)。
一同:笑
お祝いする? って聞いているので、「(お祝い)するー!」って言ってくれる人たちにお祝いをしてもらわないと成立しないイベントなので(笑)。アコースティックミニライブもあるんですけど、普段のワンマンライブよりも、もっとアットホームというか、距離感の近いあったかい空間にできればなと思ってます。
――ファンの皆さん、そしてスタッフの皆さんからどうお祝いをされるか。
そう、「僕のことをどう祝ってくれるんだい?」っていうスタンスで(笑)。
――ありがとうございます(笑)。では、最後にファンに向けて一言お願いします。
2024年の10月30日でアーティストデビューして5年になります。ここまで応援してくださって本当にありがとうございます。応援してくださる方がいらっしゃるから、僕もこうして5年という日々をアーティストとして活動することができました。これから10年、20年とやっていけるように僕自身も精進していきますので、これからも、僕だったり、楽曲だったりを可愛がっていただけると嬉しいです。
取材・文:林信行