強いベイスターズを牽引した「大魔神」佐々木主浩、ハマスタで日本一の1998年を回顧
1998年当時30歳だった佐々木主浩
プロ野球日本シリーズでDeNAが26年ぶりに優勝した。26年前はどんなシーズンだったのか、改めて振り返ってみたい。
DeNAの前身、横浜ベイスターズが優勝した1998年。それは佐々木主浩の全盛期でもあった。野村弘樹、三浦大輔、谷繁元信、石井琢朗、鈴木尚典ら20代後半のスター選手たちが活躍したが、その中心にいたのが当時30歳の「大魔神」だ。
東北高時代は2年の夏から3季連続甲子園に出場。同学年の桑田真澄・清原和博がいたPL学園が注目された1985年は春夏連続でベスト8入りした。
東北福祉大では全日本大学選手権で2度の準優勝。1学年下に矢野輝弘、2学年下に金本知憲、斎藤隆らそうそうたる面々が名を連ねていた。
1989年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。新日鉄堺の野茂英雄に8球団競合し、与田剛、佐々岡真司、小宮山悟、古田敦也らが指名された空前の大豊作ドラフトだった。
ルーキーイヤーは先発でも7試合登板して2勝4敗2セーブに終わったが、2年目に58試合登板して17セーブを挙げると、以降は絶対的なクローザーとして活躍。4年連続で最優秀救援投手に輝くことになる1998年は、投手として脂の乗り切った、まさに現役生活のピークだった。
甲子園で新庄剛志から三振奪ってリーグ制覇
1996年8月31日から自責点0を続けていた佐々木は、1998年7月7日に675日ぶりの敗戦を記録。結局、同年の黒星はその1敗のみだった。
同年シーズン中に17試合連続セーブ、22試合連続セーブポイント、通算194セーブ、史上初の2年連続30セーブなど、当時の日本記録を次々に更新。そして迎えた10月8日、甲子園。4-3で1点リードした9回に登板した佐々木が2死一塁で対峙したのは、現日本ハム監督の新庄剛志だった。
ボールが3つ先行したが、ストレートでストライクを2つ取ると、最後は「伝家の宝刀」フォークボールが鋭く落ちる。新庄のバットが空を切り、1960年以来38年ぶりのリーグ優勝。マウンドからガッツポーズで駆け下りた佐々木の周りに歓喜の輪ができた。
ハマスタで日本一達成、「ハマの大魔神」は流行語大賞に
日本シリーズの相手は東尾修監督の下、パ・リーグ連覇を果たした西武。第1戦と第3戦が雨天順延となったため、王手をかけて迎えた第6戦は10月26日の月曜日、舞台は横浜スタジアムだった。
2-0でリードした9回、慣れ親しんだマウンドに上がった佐々木は1点を失い、なおも1死一、二塁で代打・金村義明を迎える。スタンドやテレビの前でファンが固唾を呑んで見守る中、二ゴロ併殺打に打ち取って最後を締めくくった。
大歓声とともにスタンドから紙テープが投げ込まれ、権藤博監督が胴上げ。万歳三唱するファンとともに大魔神も喜びをかみしめた。
この年の成績はなんと51試合登板で1勝1敗45セーブ、防御率0.64。佐々木はMVPや正力松太郎賞など表彰ラッシュとなり、「ハマの大魔神」は新語・流行語大賞に選ばれた。
2000年からMLBマリナーズに移籍してメジャーでも通算129セーブをマーク。横浜に復帰した2005年に引退するまで日米通算381セーブを挙げた。
ファンの胸に刻まれている「ハマの大魔神」の記憶。あれから26年が経過した2024年、球団史に新たな輝かしい1ページが刻まれた。
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記事:SPAIA編集部