たかだか受験の結果など些細なこと「世界一の目玉焼きをつくりに」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第27回は篠原さんが塾講師をしながら抱えている気持ちです。新鮮な卵があれば大丈夫!
※NHK出版公式note「本がひらく」の連載「卒業式、走って帰った」より
世界一の目玉焼きをつくりに
私は、タレントであり、作家であり、博士課程の学生であるのと同時に、塾講師でもある。
歴としては、これらの中でも最も長く、今年で13年目になる。大学1年生のときに、初めての定期的なアルバイトとして勤め始めた推薦入試専門の個別指導塾に今も勤めている。
まだ私が芸能事務所に入っていなかった頃、「本名でSNSをやるなんてとんでもない」というネットリテラシーを持っていたがゆえに、私につながる連絡先が、当時、この塾のHPしかなかったため、テレビ番組の出演依頼が塾に来たことがある。
12年勤務を続けるうちに指導した生徒が大学生になってアルバイトとして塾の同僚になり、就職に伴ってアルバイトを卒業していくのをもう何度も見送った。ファンタジーのエルフのような長命な種族になった気持ちを味わっている。
学生講師の区分から居座り続け、現在はプロ講師として登録されている。名前だけ残しているというわけでもなく、昨年度は出産の予定があったので、休業状態であったが、今年度は既に受け持ちの生徒がいる。現役の塾講師である。
8年目を終えるくらいの頃、私と同じような年齢の学生講師がもういなくなったので、さすがに居座り過ぎたかなと考え、期末に「今までありがとうございます」の気持ちを込めて大きなクッキー缶を持って、あいさつに行き、思い出話に花を咲かせているうちに、まだ続けても大丈夫そうな気配を感じたため、その場で契約を更新し、ただ、クッキーの缶を持ってきただけの人間になった。その後は、当たり前の顔をして毎年契約を更新している。
私は、この社会を大きな「キッザニア」だと思って生きている。本当は、まだしたことのないいろいろな仕事をしてみたい。あと500年生きて、200種類くらいの仕事をしてみたい。私の人生があと何年あるのかは分からないが、500年はないので、限られた時間の中で、自分の仕事と言えるほどに極めるには、ある程度自分を律して数を制限しなければいけない。その中で選んだ仕事が塾講師だ。
予定としては、この後、研究者としても生きていくし、家業も継承していきたい。家業は、これまた500年生きて200種類の仕事をしようとしているのではないかと思われる父親によって今なお生み出され続けているので、全てを説明することが難しい。ドリアン果樹園などをやっております。
大学のサークルの後輩が言っていた。「篠原さんは、着実に人生を進めているのに、ずっと、学生と塾講師をしていて怖い」と。
学生としての日々はそろそろ区切りがつきそうであるが、一生、塾講師をやれたらいいなと思っている。
塾講師という職業を気に入っているというのもあるが、それ以上に勤務先の塾が好きで12年間続けることができた。
私は、社会不適合と言われる人間の中では珍しく、労働意欲に満ちあふれているタイプなのだが、環境にハマるかどうかで戦力となるか否か、大きく変わる。塾講師と同時期に始めた料亭の仲居さんは、出勤2日目くらいに次のシフトを入れられず、サイレントでクビになった。すごいのが、この料亭は、昔から家族で通っていた馴染みの店であったことだ。さぞ、苦渋の決断だっただろうと思うと、非常に申し訳ない。
初めて塾の採用面接を受けたときのことは、今でもよく塾で働く人々に話題にされている。
行き道でニホントカゲを捕まえてしまい、非常に迷った結果、右手で優しくトカゲを握りながら面接を受けたのだ。いっこく堂の腹話術人形のように、トカゲと並んだ私を前に、面接を担当してくれたGM(ゼネラルマネジャー)は、かなり迷いながらも、一か八かで採用してくれたらしい。
この時の話が語り継がれるたびに、伝言ゲームのように少しずつ形を変え、先日、他で聞いたときには「ネズミを持って面接にきた」ことになっていた。私が持っていったのは、断じてネズミではなく、ニホントカゲである。ただ、それとは別に塾にネズミを持っていったこともあるような気がするので、混ざるのもやむなしだと思う。
おそらく、トカゲを握った私を採用してくれたところだから、12年続けられるのだと思う。料亭の採用面接には、履歴書だけを持っていくという、一般的に正しい選択によって、むしろ、見極めるための情報が不足してしまったのだと思う。履歴書では、私自身を十分に説明することはできず、それどころか誤解を招くばかりなのだ。
ずっと面接のときのことを忘れられずにいるのは、私も同じである。
面接で「合格に向けて、どのように指導しようと考えているか」を聞かれた。
私は、「その子の好きなものや特技に合った実績を作れるように指導する」と答えた。
高校を卒業したばかりの私にとって、自分を説明するために最も適したものは「実績」だった。日本生物学オリンピックで優秀賞を取り、クイズ研究会を立ち上げ、高校生クイズこと全国高等学校クイズ選手権に2年連続で全国大会に出場した。
学校でうまくやれず、先生からの評価はどん底、何もできないグズだと思われていた私は、自分がやれる人間だと証明するために、権威や説得力のある実績が必要だった。私自身の言葉だけでは、自分に価値がある人間だと説明するのに足りないと思っていた。あの頃、私は、はたからは立派に見える経歴を重ねながら、強くなっているようで深く傷ついていた。
GMから返ってきたのは意外な言葉だった。
「それぞれの子が冷蔵庫だったとして、君のようにロブスターとかステーキ肉のような高級食材であふれている子もいれば、卵しか入っていませんという子もいるだろう。それでも、その卵で世界一の目玉焼きをつくれば、合格できる。そんな目玉焼きを一緒につくってほしい」
この言葉を聞いて、自分の浅はかな考えが急に恥ずかしくなった。けれど、同時に自分の傷が癒やされていくのも感じた。私も、地位や実績で武装したかったわけではなく、先生という存在に、私自身が生まれ持った可能性を否定せず、導いてほしかったのだと思う。この人は、本物の教育者だと感じた。
一見、きれい事とも取れてしまうような言葉を信じてみようと思った。
担当した生徒には無事合格した人も残念ながら合格に結び付かなかった人もいる。
受かると自分のことのようにうれしいし、落ちると悔しくて眠れないことすらあるが、たかだか受験の結果というのは些細なことだとも私は知っている。
一般入試の勉強を教える塾は、合格しなくても、学力が残る。総合型選抜型入試(私の頃はAO入試だった)は、合格しか見ずに取り組むと落ちたら何も残らなくなってしまうリスクがある。かつての私と同じように実績が大事だと考え、見せかけだけの実績を作るというやり方をする人もいることも知っている。
ただ、私は、落ちても受かっても一緒に悩んだ時間が生徒の血肉になるものであってほしいと思っている。生徒の中にあるものを引き出すことに全力を注ぎ、土台のない飾り付けはしない。
それぞれの可能性を心から信じているからだ。10代の頃に自分がどんなふうに生きていきたいのか、時間を取って真剣に考え尽くすことの価値は計り知れない。
自己推薦による入試は、一般入試と比較して、努力していないと思われがちである。しかし、自分が何に心引かれて、どんな人生を送りたいか、社会の中で一体自分に何ができるのか、それらを叶えるためにこれから何を学ぶ必要があるのかを真剣に考え、誰かに伝えていくことは、そんなにたやすいものではない。
その努力の結果が大学受験の結果として返ってくるとは限らないけれど、きっとすばらしい大人になると信じ続けているし、担当した全ての生徒の幸せをずっと願っている。
つか、教えた生徒の子供や孫を担当してみたい。500年生きることはできなくても、長命な種族の気分だけは味わい尽くすつもりである。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)、『歩くサナギ、うんちの繭』 (大和書房) などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈