目指すべき未来を教えてくれる象徴的存在【イエロー・マジック・オーケストラ】の革新性
YMOは「MUSIC AWARDS JAPAN」が目指すべき未来
国内最大規模の国際音楽賞『MUSIC AWARDS JAPAN』(以下:MAJ)がいよいよ開催される。そして、今年のMAJを象徴するアーティスト「SYMBOL OF MUSIC AWARDS JAPAN 2025」としてYELLOW MAGIC ORCHESTRA(以下:YMO)が選ばれているのは周知の通り。
YMOの選出理由としては、《海外でもセールスと芸術性の両面で成功を収めた唯一のポピュラーミュージックグループ。その活動の軌跡は「本アワードが目指すべき未来を示唆する」こと》であると発表された。そう、YMOは “目指すべき未来” を教えてくれる存在であると定義付けられたのである。
そして、MAJ授賞式を前にした5月20日には国立京都国際会館にて、トリビュートコンサート『MUSIC AWARDS JAPAN A Tribute to YMO -SYMBOL OF MUSIC AWARDS JAPAN 2025-』が開催される。
世界に向けて発信した日本発のアーティスト
YMOは世界に向けて発信した日本発のアーティストとして、パイオニア的存在であった。メンバーの細野晴臣が1970年代後半に提唱していた “イエロー・マジック" というワードがグループ名 "イエロー・マジック・オーケストラ" の語源である。白魔術=白人音楽、黒魔術=黒人音楽のどちらでもない、黄色魔術=黄色人種独自の音楽を作り上げようとしたのがグループ結成の動機でもあった。
当初、細野はティン・パン・アレーのドラマー林立夫とシンガーのマナを加えたユニットを構想していた。他にも、林とキーボーディスト佐藤博とのユニットも企画していたがいずれも頓挫。東京芸大在籍時からスタジオミュージシャンとして活動していた坂本龍一、そしてサディスティック・ミカ・バンド〜サディスティックスのドラマーとして活躍していた高橋幸宏がメンバーとなった。
3人が細野の自宅で会合した際に、細野がエキゾチック・サウンド=エキゾチカのアーティストとして知られるマーティン・デニーの《「ファイアークラッカー」をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、シングルを世界で400万枚売る》ということが当初の目標の1つだったのは、YMO結成時のエピソードとしてよく知られている。
"イエロー・マジック" というコンセプト
1970年代、細野晴臣はティン・パン・アレーでの活動とは別に、辺境の音楽、エキゾチック・サウンドを独自に展開していた。1975年発表の『トロピカル・ダンディー』を起点として、『泰安洋行』『はらいそ』といったソロアルバムをリリースする過程で、"イエロー・マジック" というコンセプトが明確になっていった。そして1978年2月19日、アルバム『はらいそ』収録の「ファム・ファタール〜妖婦」のレコーディングで、細野、坂本、高橋の3人が初めて顔を合わせることになる。
アルバムのアーティスト名義は “ハリー細野とイエロー・マジック・バンド” であり、既にここでYMO初期コンセプトの萌芽が見られる。細野は世界の音楽を貪欲にインプット&アウトプットし続け、この1978年のタイミングで坂本、高橋両名と共振しあったことで、世界へ向けて日本から発信できる斬新な音楽スタイルを生み出せる自信がついたのだろう。機は熟したのだ。
その後、1978年11月25日にデビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』を発表。1979年5月には同アルバムをアメリカのマーケット向けにリミックス。同年8月にはロサンゼルスのグリーク・シアターで初の海外公演を行い、10月には初のワールドツアーを敢行する。1980年には2度目のワールドツアーが行われ(8カ国19公演)、このツアー中の11月2日には、アメリカの人気音楽番組『ソウル・トレイン』にも出演している。
このように、デビュー当初からワールドワイドな活動を実現させたことは、この時代の日本人アーティストとして破格の出来事であった。これは、YMOが所属していたレコード会社がアルファレコードであったことも大きい。アルファの総帥である作曲家の村井邦彦は、細野晴臣と同社の間でプロデューサー契約を結んでおり、細野の活動を背後で支える存在でもあった。また、アルファは設立当初から世界戦略を視野に入れ、同社が1978年にアメリカのA&Mレコードの販売権を獲得したのとほぼ同時に、YMOのワールドツアーを実現させたのである。
世界的な広がりを見せたテクノポップ
YMOは当初からシンセサイザーやコンピューターを用いた音楽制作を行い、エキゾチックな東洋趣味とダンスミュージックの要素を重ね合わせたシンセサウンドを生み出していく。その音楽は “テクノポップ" の呼称で世界的な広がりを見せ、ゲイリー・ニューマン、リップス、ヒューマン・リーグ、ウルトラヴォックス、ユーリズミックスなどのシンセポップへと進化していった。
1980年代後半にはイギリス、ドイツ、オランダなどで新たなジャンル "テクノ" が電子音楽の主流となり、2000年代以降のポップミュージックの主流であるEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)にもその影響は波及している。YMOの遺伝子は現在の音楽に、確実に継承されているのだ。
YMO以前の日本の音楽シーンで、電子音楽とダンスミュージックの融合は実現していない。そのことからも彼らが日本におけるこのジャンルの始祖であり、原点であるのは間違いない。今回、デビューから47年の時を経て、その先見性と革新的な音作りが改めて認められる形となったわけだが、『SYMBOL OF MUSIC AWARDS JAPAN 2025』としての選出にはそんな意味合いが強く込められているのだろう。
YMOの偉大さを祝福するイベント
トリビュートコンサートは、YMOメンバーと長年交流を続けてきた高野寛がバンドマスターを務める。網守将平(Key)、大井一彌(Dr)、ゴンドウトモヒコ(Seq / Horns)、鈴木正人(Ba)、高田漣(Gt / Cho)をメンバーに迎え、ゲストミュージシャンとして岡村靖幸、小山田圭吾、坂本美雨、ジンジャー・ルート、東京スカパラダイスオーケストラ HORN SECTION、テイ・トウワ、原口沙輔、松武秀樹、山口一郎といったアーティストが出演。
特に、YMOワールドツアーでサポートメンバーを務めた矢野顕子と坂本龍一の実子・坂本美雨や、コンピューター・プログラマーとして活躍した松武秀樹の参加は、YMOの活動期を知る者には胸熱の人選といえる。坂本、高橋の両名が鬼籍に入ったのちも、こうして彼らの遺伝子は脈々と受け継がれて行くのだ。これは、過去の功績を振り返るだけではなく、現在まで連なる音楽シーンの太い幹に種を蒔いたYMOの偉大さを祝福するイベントでもある。過去から見据える未来が、確かにあの時、そこに存在していたのだ。