パスタの箱はなぜ青い? パッケージに秘められた物語:大矢麻里&アキオ ロレンツォの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #21
ものづくり大国・ニッポンにはありとあらゆる商品があふれかえり、まるで手に入れられないものなど存在しないかのようだ。しかしその国の文化や習慣に根ざしたちょっとした道具や食品は、物流や宣伝コストの問題からいまだに国や地域の壁を乗り越えられず、独自の発展を遂げていることが多い。とくにイタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。
棚を埋めるパッケージ色といえば
毎年10月25日は「世界パスタデー」である。1995年にローマで開かれた「第1回世界パスタ会議」を機会に始まったものだ。パスタの普及を目指して、2024年もイタリアをはじめアメリカ、イギリス、日本などでさまざまな催しが行われた。
イタリアは世界第1位のパスタ消費国である。一人あたり年間で約23キロ、国民全体で130万トンを消費している。年間生産量も約360万トンで国・地域別のトップであり、世界に流通するパスタの4箱中1箱はイタリア製という計算だ(データ出典 : イタリア統計局 2023年)。
イタリアのスーパーマーケットを訪れると、パスタの陳列棚がえんえんと続き、おびただしい形状・種類のパスタが並んでいる。参考までに、この国を代表するパスタ・ブランド「バリッラ」は今日、120を超える形状のパスタを生産している。
そうした棚を見ていて気づくのは、主要メーカーを中心に、パスタのパッケージには青を基調としたものが多い、ということだ。
近年、フードビジネスのパッケージや店舗デザインでは、高級感や環境保護性を消費者にイメージさせることを意図して、寒色系の色使いが増えている。外食大手のマクドナルドが、暖色である赤の面積を抑えたのは好例だ。欧州の同チェーンの看板に至っては、すでに赤が消え、代わりに緑地に黄色のMマークである。
だがそれ以前、食品パッケージといえば食欲を誘う暖色系が多かった時代から、イタリアのパスタ包装にはブルーが多かった。「なぜなのだろう?」と、私は不思議でならなかった。
はじまりは乾物用の包み紙
答えを教えてくれたのは、エミリア-ロマーニャ州パルマにあるバリッラ歴史資料館の名物学芸員で、同社に関する数々の著書があるジャンカルロ・ゴニッツィ氏だった。
パスタ生産は18世紀後半から19世紀にかけた産業革命の時代に、機械化へと移行していった。1877年創業のバリッラにおいても乾燥パスタの大量生産が始まり、1910年には1日あたり約8トンを生産するに至っている。
だが、ときはスーパーマーケットの普及前夜。箱入りや袋入りのパスタは存在しなかった。なぜなら工場で生産されたパスタは大袋で街の食料品店まで運ばれ、客が望む量を店員が量り売りしていたからだ。
その際、包むのに用いていたのは豆・砂糖といった乾物用の紙だった。カルタ・ダ・ズッケロ(砂糖用の紙)と呼ばれたその包装紙は、青い色をしていた。「そこで後年に箱入りパスタを普及させるにあたり、パスタの製造業者は、長年親しまれてきたカルタ・ダ・ズッケロを想起させる青を選んだのです」とゴニッツィ氏は語る。
青で攻める
実はバリッラはパッケージ以前から、広告でも「青」を意識していた。それは早くも1916年の「バリッラ総合カタログ」にみられる。ただし、当時は前述のように店頭売りが主流であったため、食料品店にバリッラ製品を扱ってもらうためのカタログであった。
第二次世界大戦後になると、バリッラは他社製品との差別化を図るコーポレイト・アイデンティティの重要性にいち早く注目する。オリヴェッティやカンパリなどの企業広告でも知られるパルマ出身のグラフィックデザイナー、エルベルト・カルボーニを採用。彼による簡潔でリズム感あるデザインは、当時イタリアで大きな話題となり、広告史の名作となった。
バリッラの成功に刺激された他のパスタブランドが、同様にブルー系のパッケージやプロモーションを採用していったのは想像に難くない。
日頃何気なく目にしているパスタのパッケージひとつにも、食品産業の歩みや広告デザイン史が隠されている。あなたが店頭で商品を手にした瞬間から、イタリア文化との素敵な出会いが始まっているのだ。