マリー・アントワネット展 美術品が語るフランス王妃の真実
ハプスブルク=ロレーヌ家の皇帝フランツ1世と大公マリア・テレジアの15番目の子として生まれたマリー・アントワネット。嫁ぎ先として選ばれたのは、フランス国王ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト、後のルイ16世(1754-1793)です。 魅力的ではあったものの真面目ではなかったマリー・アントワネットに対し、マリア・テレジアはフランス人俳優や神父を使って徹底的に教育。フランス語や文学はもちろん音楽、詩、舞踏、素描まで教え込まれました。
会場は年代順、最初はオーストリア時代です ふたりは1770年に結婚。美しいマリー・アントワネットは宮廷で評判になりましたが、不真面目な態度は相変わらずでした。 ルイ15世の死去にともない、ルイ16世は20歳で即位。マリー・アントワネットは19歳でした。ルイ16世の王位継承から4年後に女児が誕生、その3年後についに男児を出産した事で、マリー・アントワネットの地位は磐石なものとなっていきます。 流行の服とアクセサリーを見事に着こなしたマリー・アントワネット。上流階級のファッションリーダーとしてもてはやされる一方で、庶民は反発を強めていきます。
美しく着飾った肖像などが並びます 展覧会の注目のひとつが、空間展示。マリー・アントワネットのプライベート空間である、ヴェルサイユ宮殿の「プチ・アパルトマン」が、壁の装飾なども含めて原寸大で忠実に再現されました。 プチ・アパルトマンは長女を出産したマリー・アントワネットが子供部屋の近くに設けた浴室・図書室・居室の3室で、当時使われていたベッド、椅子、同時代の浴槽などを設置。図書室は残っていないため、かつての設計図などをもとにクリエイティブカンパニーNAKEDがバーチャルリアリティで再現しました。
原寸大の空間展示 マリー・アントワネットがこよなく愛したのが、私的な邸宅であるプチ・トリアノン。夫から与えられたこの離宮で、古い宮廷のしきたりに囚われることなく、マリー・アントワネットは独自の決まりごとを設けて、大胆なファッションを満喫しました。 数人の忠実な友人のために舞踏会やバレエを催すなど、浪費を重ねたマリー・アントワネット。そしていよいよ、悲劇が彼女を襲うのです。
「王妃の私的な離宮:トリアノン」 王家の名を語った詐欺である、首飾り事件。この事件とマリー・アントワネットは無関係でしたが「浪費家の王妃」というイメージは決定的なものとなります。 革命が勃発、逃亡に失敗したルイ16世一家はヴァレンヌで捕らえられ、タンプル塔に幽閉。革命裁判を経て1793年1月にルイ16世が、10月にマリー・アントワネットは処刑されました。会場には処刑台に上った時にマリー・アントワネットが履いていたとされる靴も展示されています。
首飾り事件から処刑まで 実在の人物ながら、物語のような運命をたどったマリー・アントワネット。王妃が愛用した食器や漆器なども展示されていますので、その人となりを思い浮かべながらお楽しみいただけると思います。巡回はなく、東京だけでの開催です。 [ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年10月24日 ]
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■マリー・アントワネット展 に関するツイート
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