【戸田書店発行の「季刊清水」57号 】 「静清国道」特集から、東洋音響と丸長鍍金の縁を見いだした
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は12月1日に発行(奥付)された 戸田書店発行の「季刊清水」57号 を題材に。
第1特集「静清国道沿線の工場地帯の今昔」がいい。昭和4(1929)年に開通した同国道は、戦前は沿線に軍需工場が集まり、戦後は昭和30年代の清水市の工場誘致が現在の姿を形作ったという。
特集では山北製作所、レンゴーなど静清国道沿いの11社の由来やエピソードを集めている。鍋倉伸子編集長による小糸製作所の項では、富士市出身の小糸源六郎(1883~1974年)による1915年の創業、関東大震災での打撃、1943年の静岡工場設立、小糸製投光器の普及、静岡空襲による社員の被災という山あり谷ありの歴史が手際よくまとめられている。
もう一つ、興味深いのが編集部の石原雅彦さんによる東洋音響の社内ルポ。オルゴール製作の現場を多くの写真で伝える。10年ほど前、筆者もこの会社を取材したが、その際に聞いた話がよみがえった。
オルゴールの国内での量産が始まったのは1940年代後半。旧静岡市周辺はオルゴール作りのメッカだった。同市のメーカー、フジオルゴールが先駆けの一つだった。横須賀基地から本国に帰る米兵の土産需要が多く、オルゴールが爆発的に売れた。漆の箱に蒔絵で富士山や芸者を描いた物が人気で、そのほとんどが静岡産だったという。「職人の町」の強みが生かされたかららしい。
「季刊清水」57号の静清国道特集には、丸長鍍金代表取締役の瀧井貞夫さんが1950年創業の同社の歩みを記しているが、創業者久慈直忠はもともと「三井物産が母体となった」富士時計に勤めていたという。滝井さんは、富士時計が1949年に工場閉鎖に追い込まれた顛末も書いているが、この際に富士時計を去った職人らが作ったのがフジオルゴールである。
オルゴールを介した静清国道近隣の2社の縁。両社は承知しているだろうか。(は)