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第24回【私を映画に連れてって!】浅田次郎『地下鉄に乗って』、大沢在昌『新宿鮫』で体験した映画プロデューサーと原作者との密な関係

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第24回【私を映画に連れてって!】浅田次郎『地下鉄に乗って』、大沢在昌『新宿鮫』で体験した映画プロデューサーと原作者との密な関係

1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。

 

 これまで70本以上の映画に携わってきたが、多くは「オリジナル企画」と呼ばれるものだった。

 大別すると、映画は「原作あり」か「オリジナル」だ。

 アカデミー賞を見ていると「脚本賞」と「脚色賞」と2つの賞に分けられているが、日本での賞はほとんどが区別されていない。「Based on the novel」だと原作の小説を元に脚色、映画化されたことになる。「Original Screenplay」と表記があれば「オリジナル脚本賞」である。

『新宿鮫』(著:大沢在昌)、『リング』『らせん』(著:鈴木光司)、『手紙』(著:東野圭吾)、『地下鉄に乗って』(著:浅田次郎)など、思い起こせば10数本の原作をベースに映画化させてもらった。『孔雀王』(著:荻野真)などコミックの原作を加えると、思ったより多いことに気付く。

 映画に最初に関わった『南極物語』(1983)はオリジナル作品だが、実話ベースの話であり、ぼくも昭和30年~40年代のあらゆる教科書をコピーして資料にした覚えがある。動物写真家の岩合光昭さん等の写真集はすべて揃えたりして、ペンギンの種類や姿も教えてもらったのだ。

『私をスキーに連れてって』や『病院へ行こう』などは個々の体験ベースの映画でもあり、オリジナルストーリーが多くなった。あまり積極的に自ら本屋に行って、企画としての原作を求めることも無く、本屋で背表紙(装丁)を見るのが好きだった。

 それでもこれまで100人以上の作家の方とお会いし、その中で、十数本の映画が誕生したことは幸運だ。

 先般、日本テレビの連続ドラマではあるが、プロデューサー側の意図と、作家(原作者)とのコミュニケーション、各々の認識違いで不幸なことになってしまったことがあった。自戒の念を込めて、接していかなければならない。

 昔は作家と直接会うことから映像化が始まることが多かったが、最近は出版社の担当編集者などが間に入って、エージェント的な役割をしてくれることが増えた。編集者も、作家とプロデューサーの間、あるいは自分の所属する出版社の意向などを汲みながら進めるので大変なことが多い。ただ、原作の映像化は原作者ありきが原則だ。

『地下鉄に乗って』(浅田次郎:著/篠原哲雄監督/2006)の映画化の際は、文庫本が「講談社」と「徳間書店」から発売されていた。我々は「講談社」の編集者と話をしながら、作品の方向性や監督の意向、プロット、脚本などを見てもらいながら進めていた。一方で、ある時に「徳間書店」にも映画化のオファーがあって、脚本を進めていることが発覚。しかも、そのプロデューサーは大先輩で、仕事をご一緒したことのある尊敬する方だった。

▲浅田次郎が吉川英治文学新人賞を受賞した1996年に刊行された小説『地下鉄(メトロ)に乗って』。2006年に篠原哲雄監督により映画化され、主演を堤真一と、NHK連続テレビ小説「オードリー」でヒロインを演じた岡本綾が務めた。共演は大沢たかお、常盤貴子、笹野高史、吉行和子ら。映画のチラシは、原作者・浅田次郎を前面に出したものになった。テレビドラマ化、ミュージカルとして舞台化もされている。

 
 困ったことになり、編集者に、浅田次郎さんご本人に現状をぼくが直接話す機会を作ってもらった。作家としては、まさか同時に1つの作品で2つのプロジェクトが進んでいるとは知らず、他意はなかった。ぼくも「此方を優先してほしい!」とは言えず、最終的には浅田さんの判断になった。プロデューサーとしては、その時点できちんと契約書を交わすべきだったと反省も残った。ある程度のシナリオを原作者に了承を得てから、という時代ではあったかもしれないが、やはり、ゼロの段階でオプション権契約をしていれば二重の進行は避けられる。オプション契約後に作家側から、契約を見直すことも可能である。

 その後、映画の記者発表、完成試写会や、プロモーションにも協力していただき(撮影にもカメオ出演されている)感謝でいっぱいだった。映画上映の最終日、丸の内ピカデリーでの最終回。メイン館への挨拶も兼ねて此方は行くのだが、上映終わりの観客の中に浅田さんの姿が。「この映画好きなんだよ」と言うような有難いお言葉をいただき、諸々の事も救われた気持ちになった。

 その後、『蒼穹の昴』の映画化にもチャレンジさせてもらった。あまりに壮大で、映像化に時間がかかり過ぎている時に、NHKから日中合作で連続ドラマ化の話が来た。

▲1996年に刊行された浅田次郎の長編小説『蒼穹の昴』。清時代の中国を舞台とした歴史小説で、浅田次郎は「私はこの作品を書くために作家になった」と、本の帯でコメントしていた。直木賞受賞の『鉄道員(ぽっぽや)』をはじめ、『ラブ・レター』、『壬生義士伝』、『憑神(つきがみ)』、『オリヲン座からの招待』、『日輪の遺産』、『王妃の館』など多くの小説が、映像化、舞台化されており、『蒼穹の昴』も、2010年に日中共同制作でテレビドラマ化され、日本からは田中裕子が西太后役で出演している。2022年には宝塚歌劇団により舞台化もされた。

 
 浅田さんからは「映画化もやってね」とのことで了承を得た。このドラマは25話前後(中国は話数が多い)でNHKと、中国のNHKと言われるCCTV夜帯で同時期放送になった珍しい作品である。NHK内でのドラマの完成試写の際に浅田さんから「映画もよろしくね!」と言われたのに、未だに約束を果たせてなく、今でも自分の力不足を感じたままである。

『眠らない街~新宿鮫~』(大沢在昌:原作/滝田洋二郎監督/1993)も著者の大沢在昌さんとのことは記憶に残っている。滝田洋二郎監督、脚本の荒井晴彦さん、そしてぼくの3人がどうしても映画の方向性で一致しなかった時期があった。本来の原作をベースに〝映画的〟な設定、ストーリーを目指す2人。それに対してフジテレビの社員でもあったぼくは「40歳刑事と20歳のロック歌手のラブストーリー」に拘った。  

 頭の片隅にはいずれ「ゴールデン洋画劇場」で15%以上の視聴率を獲ることも考えていたこともある。もちろん、興行収入10億円以上(当時の配収では5億前後)のノルマも。

 結果、映画の評価はある程度もらえて、真田広之さんが主演男優賞に輝いたりと、今でも『新宿鮫』が好きな人は多くいる。それでも、プロデューサーとしての自分にとっては配収5億円に届かない(4億円弱)初めてのメジャー公開映画になった。

 その後も小説の『新宿鮫』シリーズは大好評でずっと続くことになり、4作目の『無間人形』では直木賞にも。

 元々、大沢さんと会った頃は『無間人形』を執筆中だった頃かと思う。1作目の『新宿鮫』は言わば、登場人物の紹介も含めて展開するストーリーであり、2作目の『毒猿』の方が、単体としてはとても映画的原作だった。一読して「まず毒猿を映画に……」と思ったが、原作者からすれば4作目の執筆中で、順番として1作目からの映画化をやって、次に『毒猿』を、の思いは当然である。

 ヒロインのキャスティングでも躓いた。20歳のロックスターと40代のキャリア刑事との通常あり得ないラブストーリーを目指したので、どうしても本物のロック歌手を起用したくて探した。初めて会った時、「イケる!」と思ったが、彼女の個人的理由により、降板となる(後に彼女はNHKドラマ「新宿鮫・屍蘭」のヒロインになるのだが)。

 そう言えば、天海祐希さんにも会った。ちょうど宝塚月組トップスターになった頃だと思うが、宝塚歌劇団が許可することは当然なかった。もちろん、実際に好演してくれた田中美奈子さんには感謝している。

 大沢在昌さんには映画にも出演してもらい、ご本人は出来上がった映画も気に入ってくれた(と思う)。1993年の10月に公開したが、同年の直木賞に『無間人形』が選ばれ、授賞式に滝田洋二郎監督、真田広之さん、ぼくも招待された。その頃、「大沢オフィス」を立ち上げられ、会場で、宮部みゆきさんを紹介されたことを覚えている。

 問題はここからだ。僕はその年の夏休み公開映画『水の旅人 侍KIDS』(大林宣彦監督)の製作等で、てんてこ舞いの中、『新宿鮫』を並行してやっていた。7月に公開した『水の旅人 侍KIDS』は配収で20億円(興収40億円弱)を無事に超え(配収20億円がノルマ!だった)、その3か月後に『眠らない街 新宿鮫』公開となった。

『眠らない街』をタイトルに付けたのも若いカップルなどに訴求したかったからだと思う。『新宿鮫』だけだと男っぽいイメージだったので、何とか若い人に受けたい気持ちがあったのだろう。

▲大沢在昌のハードボイルド小説『新宿鮫』シリーズ。長編は『新宿鮫』、『毒猿 新宿鮫Ⅱ』、『屍蘭 新宿鮫Ⅲ』、『無間人形 新宿鮫Ⅳ』(直木賞受賞作)など12作におよぶ。映画『眠らない街~新宿鮫~』は、1993年10月9日に東映配給により公開。興行成績は振るわなかったものの、主演の真田広之は『僕らはみんな生きている』とあわせて日本アカデミー賞優秀主演男優賞を、滝田洋二郎は優秀監督賞を受賞した。ヒロインを務めたのは田中美奈子で、主題歌も歌っている。音楽を手がけたのは梅林茂。筆者とは86年の映画『そろばんずく』で出会い、92年の『病は気から 病院へ行こう2』でも組んでいる。その後、2000年のウォン・カーワイ監督『花様年華』など世界で活躍している。室田日出男、奥田瑛二、浅野忠信らも出演している。台本は決定稿まで何度も刷り直され、5、6時間かけて読んで面白い小説を、2時間サイズの映画にまとめる難しさを経験した、と筆者は言う。

 その後、何故『毒猿』の映画化をやらないのか……。多くの関係者、映画人からの声が上がった。一番は大沢在昌さんであろう。

 振り返ると残念なことだが、もし『新宿鮫』が配収5億円以上の興行になっていれば、『毒猿』は出来たかもしれない。フジテレビの映画の優先事項が「ヒット映画」の方向に傾いて行き、ぼくは『水の旅人 侍KIDS』を最後に、『南極物語』から始まった「夏休みの国民的ヒット映画」製作は降りたような形になった。

 ちょうどその頃、岩井俊二監督と出会い、『Love Letter』の映画化、そして翌年の『スワロウテイル』と独自路線に走ることになる。

 それでも大沢在昌さんに会うと『新宿鮫』の映画チームで、是非『毒猿』の映画化を! と言われ続け、今でも日本で『毒猿』の映画化は行われていない。NHKからのドラマのオファーの際も連絡をいただいた。

▲小説『新宿鮫』シリーズの第二作『毒猿』は、現在まで映画化が実現されていないが、テレビではNHKBSで、舘ひろし主演によりドラマ化されている。テレビで最初にドラマ化されたのは「新宿鮫 無間人形」で、続いて「新宿鮫 屍蘭」、「新宿鮫 毒猿」、「新宿鮫 氷舞」と4作が放送されている。演出はすべて、ドラマ「2丁目3番地」、「冬物語」、「さよなら・今日は」、「池中玄太80キロ」シリーズなどの石橋冠が手がけている。草刈正雄、多岐川裕美、原田芳雄、西田敏行、黒木瞳、鷲尾いさ子など、各回のゲストもいい顔ぶれだった。

 

 生前、酒の席だったか崔洋一監督と二人になった時「君らが毒猿やらないんだったら俺にやらせてくれ!」と懇願されたことがある。無論、ぼくが権利を持っているわけではないのだが、多くの映画人が熱望していた原作であることは確かだ。

 フジテレビの放送で『新宿鮫』は15%以上の視聴率を取り、番組としては「合格」だったが、その時点で、ぼくの中ではそれまでの地上波をベースにした旧来の映画製作とは決別しようとしていたのだと思う。フジテレビの外(ポニーキャニオン)に出るのはそれから数か月後のことである。

 それにしても、大沢在昌さんの想いを思い起こすと、顔向けできない気持ちは今も続いている。

かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。

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