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【犠牲者数250万人?】国が滅ぶほど過酷すぎた隋の暴君・煬帝の大運河工事とは

草の実堂

画像 : 隋の第2代皇帝 煬帝 public domain

隋朝とは

画像 : 609年の隋王朝の領土 wiki c Ian Kiu

(ずい)は、中国史において幾つかの面で重要な役割を果たした王朝である。

西暦581年に楊堅(ようけん)が建国し、西暦618年に滅亡するまでのわずか37年間であったが、後世に大きな影響を及ぼした。

隋の統一は魏晋南北朝時代の混乱を終結させ、中央集権的な国家体制を再構築する契機となった。隋朝の政策はその後の唐朝に継承され、中国の安定した発展に寄与した。

隋はまた、日本とも交流を深めたことで知られる。

特に607年、推古天皇の命を受けた小野妹子(おののいもこ)が第二回遣隋使として派遣されたことは、歴史の教科書にも必ず出てくる。

この際、日本は隋に「日出ずる処の天子」から「日没する処の天子」へ、と宛てた国書を持参した。

この表現は隋の第2代皇帝煬帝(ようだい)に対し、対等な外交関係を求める意図が含まれていたとされ、煬帝が「天子」という言葉に不快感を示したという逸話は有名である。

遣隋使の派遣は、単なる外交目的に留まらず、文化や制度の吸収という意味でも重要であった。小野妹子をはじめとする使節団は隋から仏教、法律、行政制度などを学び、それらを日本に持ち帰った。

特に仏教文化は、日本における宗教的発展の礎となった。

隋の大運河建設

隋は、魏晋南北朝時代の争いを終結させ、中国を再び統一した。その結果、全体的な経済と文化の発展が促進された。

その象徴的な成果の一つが、大運河の建設である。

この大規模な土木事業は、南北の経済的な結びつきを強化するだけでなく、その後の中国史において、物流や行政の基盤として欠かせない存在となった。

隋の大運河は、中国の主要な河川を結ぶ壮大なインフラとなり、具体的には、黄河・長江・淮河(わいが)が運河によって連結された。

画像 : (1)〜(4)が大運河。青は文帝が建設した大運河、赤は煬帝が建設した大運河。 (1)=永済渠 (2)=通済渠 (3)=山陽瀆(邗溝) (4)=江南河 wiki c LiDaobing

淮河は、日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、黄河と長江の間を、同じように西から東に流れる川である。

司馬炎が建国した西晋が滅亡して以降、およそ300年間、中国は南北に分裂した状態が続いていた。
この分裂が長期化した一因として、淮河と長江の間に存在する無数の小河川が挙げられる。

この地形が軍の進軍を妨げ、北方からの攻撃が南方へ及びにくくなっていたのである。
例えば、曹操が敗北した赤壁の戦いや、苻堅が敗北を喫した淝水の戦いなどは、いずれも北方の騎馬軍団が南方の水軍に劣勢を強いられた結果と見ることができるだろう。

この運河建設は、隋の初代皇帝・文帝(楊堅)の治世に着工され、2代皇帝・煬帝(楊広)の治世で完成した。

建設期間は595年から608年までとされ、その全長は1700kmにも及ぶ。

現代のような高度な技術がない時代に、これほどの大事業を可能にしたのは、多大な人力の投入によるものであった。

しかし、その規模と労働環境の過酷さから、建設には多くの犠牲が伴った。

大運河建設の犠牲者たち

この大運河建設の壮大なプロジェクトの陰では、計り知れない数の労働者が命を落とし、隋朝滅亡の一因になった。

画像 : 隋の第2代皇帝 煬帝 public domain

特に2代皇帝・煬帝の治世では、3度にわたる大規模な労働力の徴用が行われたと伝えられる。

推定ではあるが500万人以上が工事に駆り出され、その多くが命を落としたという。

たとえば、大業元年(605年)には河南地方から100万人以上が徴用され、黄河や淮河を結ぶ運河の掘削が進められた。
同年、淮南地方でも10万人以上が動員され、邗溝(かんこう)と呼ばれる水路の修復工事が行われた。

この水路は、淮水から長江へ至る重要なルートであり、南北物流の要であった。

しかし、これらの工事の代償は大きかった。過酷すぎる労働環境が労働者たちを苦しめたのである。

唐代に記された雑録ではあるが『開河記』によれば、煬帝は「開河に反対する者は斬首する」と布告し、15歳以上の男子が強制的に徴用されたという。
女性や子どもたちも、食事の提供や作業補助に駆り出された。しかも、人員を隠匿した者は三族皆殺しであった。

監督官による暴力的な管理のもと、労働者は逃げ出す自由すらなく、次々と命を落としていったという。
飢餓や病気が蔓延し、監督官の厳しい取り締まりも相まって、1年足らずで動員された360万人のうち、250万人が死亡したとされる。

現場の環境は劣悪で、労働者は栄養不足や過労に苦しみ、医療もほとんど受けられなかった。「人が人を食べた」という伝説が残るほど地獄のような環境だったのだ。

運河が完成した後、煬帝はその壮大さに満足し、巡幸を行った。
しかし、大運河建設の過剰な労働力の動員や、度重なる高句麗遠征の失敗などが重なり、隋朝の国力は著しく低下していた。

このような状況に、次第に民衆たちの不満は高まり、各地で反乱が相次ぐようになる。

最終的に、煬帝はクーデターにより命を落とし、隋朝も滅亡した。

おわりに

画像 : 長江の夕暮れ public domain

煬帝は「中国史を代表する暴君」とされる一方で、この大運河は隋の滅亡後も唐や宋の時代に受け継がれ、中国の発展に欠かせない存在となった。

物流の効率化をもたらし、経済や文化の交流を支える基盤となったのだ。

しかし、これほどの成果を生むまでには多くの犠牲があった。隋朝の大運河建設は、その壮大さとともに、過酷な歴史の一面を物語る遺産でもあるのだ。

参考 : 『開河記』『隋唐大運河 中史百科』
文 / 草の実堂編集部

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