槇原敬之デビュー35周年!マッキーの好きな歌を挙げろと言われてもキリがないけど…
“もがき” まで歌い、心に寄り添ってくれるマッキー
2025年、槇原敬之、マッキーがデビュー35周年を迎える。
この人の歌を聴きながら、何度首がもげるほど頷いたことか。何度 “そうだよ、そうなんだよ(泣)” とCDプレイヤーを揺らしながら言ったことか。こんなに不器用族の気持ちを言語化してくれるアーティストはいない。そしてそれを、こんなに明るいメロディーと明るい声で、空に戻してくれる人はいない。
マッキーの好きな歌を挙げろと言われてもキリがないのは多くのファンの方と同じだが、あえて1位を選ぶとするならば、「HAPPY DANCE」(1998年)だ。あの美しさと切なさは何度聴いても鮮度を失わない!しかし、一番もんどり打った歌詞はといえば「夜空にピース」(2010年)である。
心配してくれる誰かに
せめて「ありがとね」と
ピースサインして返せるくらいの
自分になれればなぁ
この部分が、あまりにも己の願いそのままで、聴いた時のけぞりすぎてブリッジに至ったほど。やさしい人にやさしさで返せる心の余裕はこれっぽっちもないのだが、そうなりたいと強く憧れる。マッキーはそんな “もがき” まで歌い、心に寄り添ってくれるのだ。
彼の歌の主人公は気弱で素直だ。あまりにも素直すぎて “そこまで話してくれるんかい” と聴いていて眉毛が下がってくる。なのにメロディーはとても明るい。なんだか泣き笑いのような表情を思わせ、主人公の様子と自分を重ね、前を向けるのである。
無理に全てをチャラにして次に進もうとしなくてもいい。未練を持ったまま、自己嫌悪な気持ちも持ったまま前を向くのもありだ。それもあってこそ私だよね。彼の歌を聴いているうちに、そんな風に、消化できなかった寂しさや悔しさを “心のお荷物” から “自分を作っている一部” に変えてもらったことが何度もある。
まったく名も知らぬアーティストにもかかわらず、耳が無視できなかった「どんなときも。」
個人的な槇原敬之への思い入れを外したとしても、彼が天才であることはもうゆるぎない事実だろう。全曲、作詞作曲編曲するという音楽知識とテクニック。プラス、あの唯一無二の澄みきった声をセットで神から与えられているのだ。
私は何度か彼のコンサートに行ったが、いつも席は限りなく後ろで、見えるマッキーはアクスタくらいの大きさ。それでもリズミカルにぴょんぴょん跳ねる足がとても印象的で、彼しか見えない鍵盤がステージ中にあって、それを踏んで演奏しているみたいだった。
調べてみると、彼と音楽の出会いはとっても早い。5歳でピアノを習い始めメキメキと上達し、小学校高学年で矢野顕子のアルバム「ただいま。」を流しながら一緒に弾いたというのだからビックリだ。13歳でシンセサイザーを手に入れて自分なりにレコーディング。家が電器屋を営んでいる強みから、ウォークマンもいち早く手に入った。その時の喜びを “音楽がどこでもついてきてくれた” (『槇原敬之歌の履歴書』著:小貫信昭)とする表現はなんともマッキーらしい。1990年のデビューは遅いくらいだったのかもしれない。
私は翌1991年リリースの「どんなときも。」で初めて彼を知ったけれど、この年は音楽の神様がいつも以上にはりきったとしか思えない名曲ぞろいの1年。小田和正「Oh!Yeah!/ ラブ・ストーリーは突然に」、CHAGE&ASKA(現:CHAGE and ASKA)「SAY YES」、ASKA「はじまりはいつも雨」、小泉今日子「あなたに会えてよかった」など、ベテラン勢が容赦なく本気を出していた。ここに、まったく名も知らぬアーティストにもかかわらず、耳が無視できなかったのが、KANの「愛は勝つ」(リリースは1990年9月)と槇原敬之の「どんなときも。」だった。
ラジオから流れてくるマッキーの「どんなときも、どんなときも」と繰り返す歌声は、初めて味わうような軽やかさと淡さがあり、新種の花が咲いたようだった。しかも厄介なことに、この花は花粉も散らすのである。聴いていると目と鼻がむずがゆくなり、涙が浮かんでくるのだ。
その後「もう恋なんてしない」(1992年)や「足音」(1997年)など、彼は続々と名曲を出していくのだが、そのたびに、心になにかとびきり美しくて取扱注意なものを降らせてくる。涙もそうだし、桜吹雪、天使の羽根、しんしんと降りしきる雪―― 。毎回目はムズムズし、感情が積もっていく。
切ない気分になったとき、これからも聴きたくなるだろう槇原敬之の歌声
彼の35年の活動期間は紆余曲折があり、マッキーは、その度に重くなりすぎたものを捨てることになった。一方で、大切な部分は変わらず活動を続けているように見える。「遠く遠く」(1992年)にあるように、“変わってくこと” “変わずにいるいこと” を探りながら。
2021年10月に発表された復帰第1作のアルバム『宜候』のなかにある「悲しみは悲しみのままで」という曲の解説が忘れられない。
悲しみも大好きな人からもらったものだから、無理に形を変えずに、愛おしく感じていいと思います
悲しみも大好きな人からもらったもの。こんなやさしい言葉はない。
切ない気分になったとき、これからも聴きたくなるだろう槇原敬之の歌声。喪失感にハマって動けなくなっても、あのそよ風のような歌声が私を押すだろう。哀しいなら、悲しいままでもいいよ。その気持ちも愛おしいよね、と言ってくれるように。