2025年5月の総括(1−2)|青山吉能『みずいろPlace』#99
皆さんこんにちは、元気ですか?
わたしは元気です。
青山吉能です。
余韻。
よ い ん
それぞれの文字の間に、皆さんの輝かしい笑顔や拳ががひしめきあっています。
ぎゅうぎゅうに押し込まれた思い出は、次の日もそのまた次の日も、なにごともなかったかのように当たり前に電車などに揺られていくのです。
わたしたちだけが持つことのできる宝物を、これからも置き忘れることのないよう大切にしまっていてください。
ライブもひと段落して、先日はじめて「Fluctus」を聴きました。聴くことができました。
語弊のある言い方をしています。
もちろん1曲1曲ちゃんとわたしが歌ったし、ミックスやTDもチェックしたし、晴れて完成もして皆さんに届けられて嬉しい言葉もたくさんいただけて、冥利に尽きるなあと達成感のようなものをちゃんと得ていました。
でも、なんだかぼんやりと自分のどこかが置き去りになっている気がしていました。
いつもなら発売日に嬉々としてダウンロードする自曲のサブスクに、そのぽち、と押すだけの指が止まってしまって、動かない。
置き去りになっているものがなんなのか分かりたいし救いたいと思えば思うほど、シャッフル再生でFluctusが流れてきた時に自分がこのままの状態でどう思うのか怖くなって、その一押しができないまま、ライブへのカウントダウンは刻まれていきました。
創り出されたものはすべて出会うべくして出会った楽曲たちで、クリエイターの皆さまへの感謝と尊敬が止まることは絶対にありません。
ただただ、自分がぽとぽとと落とし物をしていて、上手に歩けなくなっていく感覚だけがありました。
その答えがずっと分からなくて、分からないことなんて言葉にもできなくて、自分だけが不甲斐ないまま過ぎていく日々のなかで、大好きな人間たちとお話をする機会に恵まれました。
人間たちによるラジオの収録が終わって、ああだこうだと世間話をしながら、なにかきっかけがあったわけでもなく、ぽつりぽつりとお三方にまだ形も出来ていないなにかを打ち明けている自分がいました。
そんな自分にも驚きつつなんとか言葉を紡ぎます。分からない、情けない、知られたくない、知って欲しい、すべての欲をかき集めたようなわたしのことを、助けるでも慰めるでもなく、落ちていく言葉をただただ掬いあげてくれました。
そののちにべこべこに泣くわたしことを、笑うでも寄り添うでもなく、ともに思案して、ときに変なポーズで写真を撮ってみたりして同じ時間を過ごしてくれました。
鷲崎さんや青木さんや涼子ちゃんが鷲崎さんで青木さんで涼子ちゃんであるということがわたしにとって救いだったようです。
それは同じく、わたしがわたしであるということだけで、誰かを照らすかもしれない。
まさに「I’ll DO me.」。
答えが見つかったあの日のおかげか、次の日はやけに足取りが軽かった覚えがあります。
そんなこんなでライブは無事に終演しました。
ライブの時のことは本当にすべて余すことなく丸めてパク、有楽町はヒューリックホールにてお伝えできたので、そこに至るまでの一節を今日はお届けしました。
涼子ちゃんなんてはじめましてだったのにとっても気を遣わせちゃったよな、と眠る間際に一筋の反省が夜空を駆け抜けていきましたが、それもよかったのだと今は思えます。
未完成のままでいい、愛おしい日々を征け
なのです。
それではこの辺りで終わります。
さようなら。
青山吉能
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企画協力:81プロデュース
編集担当:川野優希