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夢と現実の中で葛藤する人生にこそ楽しさがある 映画制作を経て、橋本匠さんが今伝えたいこと【我孫子市】

チイコミ!

夢と現実の中で葛藤する人生にこそ楽しさがある 映画制作を経て、橋本匠さんが今伝えたいこと【我孫子市】

千葉県我孫子市にゆかりのある大学生たちと一緒に、市内を舞台にした映画「それでも、夢を。」を制作した橋本匠さん。その背景には、学校のボランティア活動などで子どもの生きづらさに接したことや、東京大学入学後、自らも目的を見失った経験、若者の地域参加を促進したい想いなどがあったといいます。

「なぜ生きているかわからない」と言う子どもに接して

幼少期から我孫子に住んでいた橋本さん。子どもの頃は手賀沼公園での遊具や芝生の広場で遊び、今も気分転換に沼ぞいを散歩することもあるそうです。勉強は嫌いだったけれど、難解な問題に取り組むことには面白みを感じ、都内の中高一貫校から東京大学教育学部に進学しました。

「目的を持たないまま大学に進み入学後、コロナ禍だったこともあり『大学生活ってこんなにつまらないんだ』と嫌になったことも。自分の原点に立ち返ろうと、小学生の時に通った塾に講師のバイトに行くと、そこですごく勉強を頑張る子と、せっかくお金払って来させてもらっているのに全く勉強しない子がいたんです。疑問に思い、その子たちの普段の様子を見たいと思って、小学校のボランティア活動を始めました」

週2回、授業に出られない子どもたちと一緒に過ごし、話しているうちに、子どもたちの生きづらさに触れたと言います。

「『学校に行きたくない』『なぜ生きているのかわからない』と言う子どももいました。自分が子どもの頃は何も考えずに学校に行ったり、遊んだりして1日が過ぎていたことを思い返すと、小学生がそんなふうに言うことに違和感があって。その子たちにただ『生きろ』とか『死ぬな』とか言うのではなく、心からそう思えるようにするためにはどうしたらいいかと考えるようになりました」

そこで高校生の探求学習支援活動を始め、インターンで入った企業でも学校での講義を担当するなど、子どもたちと出会う機会を増やしていきました。

大学最後の1年は、育ててもらった地域への恩送りに使いたい

映画作りを考え始めたのは、大学3年の終わり。就職先も決まり、残り1年をどう使おうかと考えていた時でした。

「ボランティアを辞めた後、市内の川村学園女子大学の学生が小学生に勉強を教える『寺子屋コホミン』で一緒に勉強を教えながら、『自分もこうやって地域で育ててもらったな』と思い出して、あと1年は地域への恩送りに使おうと思ったんです」

ほっとリラックスルームでの交流のひととき

高校生とボードゲームなどをしながら交流するイベント「ほっとリラックスルーム」を開催しながら、集まる高校生や大学生と話すうちに、映画制作のきっかけが訪れました。

「川村学園女子大学生の今井桜子さんから、同大学の教育課程が停止すると聞 いて、これはやばいぞと。もともと地域での子どもの社会教育に興味があり、大学生が地域に入ることで生まれる交流に価値があると考えていました。その背景には、フィールドワークなどで、大学がない他地域では若者を地域参加させるために悪戦苦闘しているのを見てきたことが関係しているんだと思います。教育課程がなくなることで地域と大学との関わりが薄れることに対して、危機を感じました」

地域のためにできることを話し合ううちに、川村学園女子大学は映画などのロケ地として使われることも多く、市内全域でも映画やドラマのロケ地巡りが盛んになっていたことから、 “ロケのまち我孫子”の場所を生かして映画を作ってみたらどうか、という話になりました。

記録を映像として残すことにも価値があると思った、と橋本さん。

「大学3年の時に、長崎県の五島市で伝統芸能を継承するためのプロジェクトに携わっていた時に、やはり映像を撮るのが一番簡単に記録として残せるし、話をするより見せた方が手っ取り早く理解してもらえる、という結論になったんです。川村学園女子大学の教育課程がなくなることは止められないけれど、確かにここにあったという記憶、記録は残すことができると考えました」

学生40人と、地域で活躍する人たちの協力も得て初めて映画を制作

映画制作に携わった仲間たち。我孫子市内の高校、大学生が中心

映画制作は未経験だったという橋本さん。まずは映画作りに何が必要なのかを調べ、仲間を募ることにしました。

「橋本のパーソナルな課題として、人を巻き込むのが下手であることと言語化から逃げる癖があることがありました。その課題に向き合うためにも一人で制作するのではなく、あえて仲間を募ることに決めたんです。中学校から都内に通っていたので我孫子に知り合いがいない中で、高校生、大学生を募集すると予想した以上の40人が集まってくれました。他に市内でフィルムコミッションをされている方や、イベントを開催している方、俳優やミュージシャンの方々とも知り合うことができ、ロケ地の提供や演技指導、主題歌の制作演奏などにご協力いただけることになりました」

監督は、橋本さんが「川村学園女子大学への思いを表現できるのは彼女しかいない」と感じた今井さんに依頼。写真が上手な中央学院大学の平井悠暉さんがカメラを担当し、橋本さんはロケ地の確保や絵コンテ、学生たちとのやりとりなどをすることになりました。

脚本のためのワークショップ

内容はドキュメンタリーよりストーリーがあった方が見る人の記憶に働きかけられると思い、川村学園女子大学の小侍万桜さんが脚本を担当。ストーリーを練るためのワークショップも開催して、夢に向かって突き進む高校生と、将来に不安を抱える大学生が交流し、成長していく姿を描くことになりました。

「夢を追い求めることは大事で、例えば学力がないから無理だと言って諦めるのでなく、追い続けることで見えてくるものがある。一方で宇宙飛行士になりたくても、ポテチを食べながら宇宙の漫画を読むだけではダメで、現実にも向き合わないといけません。何かを簡単に成し遂げるのは実は楽しくなくて、夢と現実の中で葛藤する人生こそ生を感じられて楽しい。それを表現したいと思いました」

市内のロケ用ファミリーレストランでの撮影風景

我孫子の風景を使うことにもこだわり、登場人物が夢について語り合うシーンは手賀沼をバックに撮影を行いました。他にも志賀直哉邸跡や川村学園女子大学、中央学院大学など、市内各所でロケを行いました。

制作期間は約2ヶ月。橋本さんは週1、2回の通学に加え、インターンの仕事が毎日あり、週数回は通勤もしながらの進行。それに加え、初めての制作では大変なことも多々ありました。

「手賀沼公園で夕日のシーンを撮影する日、空が曇っていて、脚本担当の子が『晴れていないとイメージと違う』と言うのですが、その日がロケ最終日だったので、しばらくやり合って(笑)。でもクオリティ的に満足いかなければ意味がないと思い、市役所の方に無理を言って再度撮影を行うと、その日は晴れて、撮り直してよかったと思いました。大変でしたが、そのくらいみんなの気持ちが盛り上がってくれていたのはうれしかったですね」

再撮影が見事成功した日の夕日

映画制作の経験を、高校生、大学生の居場所作りに繋げたい

出来上がった映画を見て、仲間とやり遂げることができて本当に良かったと感じた反面、技術的な未熟さもあり、そこに見る人の目が入ってしまったのは悔しかった、と橋本さんは振り返ります。

五本松公園近くの森林でも撮影

制作に携わった学生たちからは、きつかったという感想もありましたが、制作を経て、顔つきが変わったと感じる人もいたと言います。

「明るくなったと言うよりは、開けた感じ。40人の学生全員に面白みを感じながら取り組んでもらうために、もっと役割や繋がりを提供し続けることができればよかったのですが。『他大学生との交流ができてよかった』と言ってくれる人も多かったのはうれしかったです」

橋本さんが学生一人ひとりに差し入れたメッセージ入りキットカット

橋本さんは、映画制作の経験を活かし、大学卒業前に、高校生や大学生の居場所を作りたいと考えています。

「まだ悩んでいますし、実現できるかもわかりませんが、地域の人の接点を作り、そこからイベントとかボランティアとかバイトとか、遊び場を紹介できるような、そして単純に学生がゆったりできるスペースができたらいいなと思っています」

活動に必要なのは資金と場所。ちなみに映画の制作費は橋本さんがクラウドファンディングや有志から集め、足りない分は自費で負担しました。

「クラウドファンディングはお金集めよりも多くの方に興味を持っていただくためのツールとして活用できてよかったです。ただ身銭を切ることに慣れてはいけないので、場所作りのために持続的にお金を作れる仕組みを構想している段階。場所も欲しいし仲間集めもしたいですね。あと場所作り以前に、地域の人同士がつながり合うことが土台で必要になってくると思っています。皆さんもぜひ、子どもが歩いているのを見たら挨拶してみてください。僕もそういうのは苦手ですけど、そこから始まる何かがあると思うんです」

映画は昨年10月に開催の「あびこまち活フェス」で上映されましたが、次の上映会も計画中とのこと。詳細はメールで問い合わせを。

問い合わせ/abiko.world@gmail.com 橋本

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