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教会での聖歌伴奏と「俳句」──荒井千佐代さんの句を読む【NHK俳句】

NHK出版デジタルマガジン

教会での聖歌伴奏と「俳句」──荒井千佐代さんの句を読む【NHK俳句】

NHK Eテレで毎週日曜朝に放送の『NHK俳句』。第2週の選者・講師は、俳人の西山 睦(にしやま・むつみ)さんです。

第2週の『NHK俳句』は、「やさしい手」をテーマに、仕事をして手を使い、仕事を詠む俳人をゲストに、働く「私」と詠む「私」が互いにいい結果をもたらしていることを感じていきます。

今回は、奉仕活動として教会のオルガン奏者を続けてきた俳人、荒井千佐代さんを紹介したコラムを公開いたします。

オルガニストのみに灯や降誕祭

荒井千佐代(あらい・さちよ)

 キリストの誕生を祝う教会の神聖な雰囲気が伝わってきます。聖歌の伴奏をするオルガンだけに灯が当たっています。一人一人が静かに祈りを捧げている降誕祭です。聖書はキリストの生まれた日を特定していません。ですから降誕祭は「キリストの誕生日」ではなく、キリストが生まれてきた事をお祝いする日になります。だいたい十二月二十五日としているようです。

 今月の俳人は奉仕活動として教会のオルガン奏者を続けてきた荒井千佐代さんです。長崎生まれの荒井さんは、無事に育って欲しいという両親の願いによって、幼児のときに洗礼を受けています。洗礼を受けた荒井さんはやがて聖歌隊に入り、結婚し子供を儲けます。そして子供の通っていた幼稚園で聖歌の伴奏を頼まれたのがきっかけで、聖歌伴奏をするようになります。ちなみにカトリックでは聖歌、プロテスタントでは讃美歌というようです。

書き込みの多き楽譜を曝したる

荒井千佐代

ミサオルガン閉づ秋蟬か雨音か

白鍵に黒鍵の影凍返る

 これらの句には、荒井さんが聖歌伴奏に取り組んできた軌跡が見えます。一句めでは、慣れない伴奏にどれほど心を砕いたのかが想像出来ます。手擦れのした楽譜を和紙で補強して持参した事もあるようです。
 
 二句めは伴奏に集中したあとの疲れた耳が捉とらえた様子です。オルガンを閉じてもまだ耳にはミサの曲が残り、現実に戻るまでの戸惑いがあります。五感を使い切るというのはこういう事かも知れません。
 
 三句めは、春になり暖かくなりかけていたのに、突然凍りつくような日が戻ってきた厳しい日です。黒鍵の影が強調して見えたのは悲しみのための伴奏だったのかも知れません。

祝婚歌弾く梅雨冷えの鍵盤をもて

荒井千佐代

炎天を来て夭折の葬を弾く

 伴奏の要請があれば大晦日でも馳せ参じていた荒井さんです。あまりにも辛いお葬式のときは、オルガンを弾く手が震えるような時もあったとのこと。
 
 また子供たちが幼い時の日曜のミサではオルガンの隣で喧嘩を始め、曲の合間に𠮟ったりして、今は楽しい思い出になっています。
 
 さて、俳句へ誘ってくださったのも神父さんです。

大根の三畝を遺し神父さま

荒井千佐代

 神父様を悼んで詠んだ句です。自ら大根を作り、土の香りのするとてもあたたかそうな神父様のようです。信仰と俳句を手にした荒井さんです。

噴水に被爆二世が手を浸す

荒井千佐代

鍵盤のひとつ沈みて原爆忌

凍て兆す被爆マリアの眼窩にも

 荒井さんは被爆二世ですとさりげなくおっしゃいます。けれども被爆地長崎と向き合う姿勢には並々ならぬ思いが感じられます。二句めの沈んで元に戻らない鍵盤の象徴する重さ、三句めの決して消えることのないマリア像への冒涜を炙り出しています。穏やかな荒井さんのうちに沈潜している芯の強さを感じる句です。

鰺漁へ柱の洞にマリア匿し

荒井千佐代

紛れもなく隠れの血すぢ梟啼く

荒井千佐代

 荒井さんは「もしかすると私には隠れキリシタンの血が流れているかも」とおっしゃる。荒井さんの考えの芯には、隠れキリシタンの先祖がかつて踏絵を踏んだからこそ、今の自分の生があるとの思いがあります。

冬あたたか斜面都市の灯船の灯も

荒井千佐代

スタッカート効かせて弾きぬ春隣

 いつもの荒井さんは明るく、長崎を詠み、心の弾む日を詠みます。私がお会いした日は坂道の多い長崎を事もなげに軽快に運転し、暗さの片鱗もありません。
 

 聖歌隊もオルガニストもどんなミサでも最善を尽くすのみとの事。どんな場合でも静かに開式を待つ、この時間が心の浄化をもたらしてくれるのでしょうか。番組で聞いてみたいと思います。

聖夜弥撒始まる手燭ゆき渡り

荒井千佐代

食後の真水聖夜の吾子等祈り初む

中村草田男(なかむら・くさお)

 キリスト者の草田男の句です。「食後の真水」が強く迫ります。少しアルコールを飲んだ後でしょうか。いかにも汚れを流しているようで、謹厳な家庭の姿が美しく描かれています。

街は聖夜靴屋はなほも靴つくる

有馬朗人(ありま・あきと)

 華やかな雰囲気の街の一角に、こつこつと靴を作り続けている靴屋さんに目を留めました。聖夜とかかわりなく働く姿が却って好もしいと作者の目に映っています。

久々に妻へ聖夜の予約席

小島 健(こじま・けん)

 日頃妻を蔑ろにしていた罪滅ぼしでしょうか。今日は素敵なレストランで素敵なお料理を。こんな配慮は嬉しいものです。電飾で眩しい街並も非日常から離れる楽しいひとときです。

選者の一句

聖夜の手ひらいて星の匂ひかな

講師

西山 睦(にしやま・むつみ)
1946年、宮城県生まれ。1978年「駒草」入会。阿部(あべ)みどり女(じょ)に師事。みどり女没後、八木澤高原(やぎさわこうげん)、蓬田紀枝子(よもぎたきえこ)に師事。2003年より「駒草」主宰。句集に『埋火(うずみび) 』『火珠(かしゅ)』『春火桶(はるひおけ)』(平成24年度宮城県芸術選奨受賞)。日本現代詩歌文学館評議員、河北俳壇選者、俳人協会常務理事。

◆『NHK俳句』2024年12月号「やさしい手」より
◆写真提供:イメージマート(テキストへの掲載はありません)

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