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奈良時代の『仏教宗派』は現代とは違っていた~ 「南都六宗」とは

草の実堂

画像:玄奘三蔵像 wiki c John Hill
画像:玄奘三蔵像 wiki c John Hill

日本に仏教が伝来した当初は、渡来人(帰化人)が信仰する異国の宗教として受け入れられた。

百済国王から正式に公伝された仏教は、現代のように死者を弔う法要を行うものではなく、大陸からもたらされた最新の文化の一部として捉えられていたのである。

当時の仏教は、伝えられた経典に基づいて厳しい戒律を守り、仏となるための解脱を目指すことを目的としていた。
解脱して仏となった僧が、国家や一族を守護する存在として期待されていたため、天皇や豪族は寺院を建立し、そこで僧侶たちが修行に励むことを奨励したのである。

奈良時代に入ると、飛鳥時代から続く遣隋使や遣唐使を通じて、多様な情報や知識が朝鮮経由ではなく、直接大陸から日本にもたらされるようになった。

こうして、日本において本格的に仏教が広がっていったのである。

奈良仏教は「宗派」ではなく「学派」の役割が強かった

画像:東大寺 大仏殿 wiki c 663highland

奈良時代において、仏教宗派は現代の日本仏教の13宗派とは異なる形で存在していた。

現代の13宗派は、奈良時代から現代に至るまでの間に、仏教の捉え方や経典の違いに基づいて分離や独立を経て成立したものであり、それぞれが独自の教えを持つ派閥である。これには、山岳仏教と呼ばれる密教系の宗派や、浄土教系列の宗派、禅宗系の宗派など違いがある。

しかしながら、奈良時代の仏教宗派は今とは意味合いが全く異なる。
それぞれの寺が各々にいずれかの宗派に属する現在とは違い、一つの寺の中に複数の宗派が存在していたのだ。
大学の中に複数の学部があるイメージである。

たとえば東大寺や四天王寺などは「八宗兼学」と呼ばれており、奈良仏教の南都六宗と平安二宗の8つの宗派が相乗りしていたのである。
このように、寺が特定の宗派に属してその教義に従って活動するのではなく、一つの施設内で複数の学問が研究されていたのが、当時の宗派の特徴といえよう。

平城京を中心に栄えた「南都六宗」

画像:唐招提寺に安置されている国宝「鑑真和尚像」 public domain

奈良時代に平城京を中心として栄えた奈良仏教。
当時は、6つの宗派に分かれていたため、後に「南都六宗」と呼ばれるようになる。

南都六宗とは「三輪宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗」の6宗派を指す。
遣唐使の帰国によりもたらされた唐からの仏教の教えから、南都六宗は生まれた。

「三輪宗、成実宗、法相宗、倶舎宗」については、仏教に関する論を中心に研究を進めた宗派であり、「華厳宗、律宗」については、仏教の経を中心として研究を進めた宗派であった。

「律宗」は、第45代聖武天皇が唐に戒律を求め、興福寺の栄叡(ようえい)と大安寺の普照(ふしょう)という僧が唐に派遣され、鑑真(がんじん)に日本への渡航を依頼したことで誕生した。

こうして日本に渡った鑑真は、唐招提寺を拠点に戒壇を設け、日本における律宗を確立したのである。

道鏡の野望と「宇佐八幡宮神託事件」

画像:興福寺東金堂(国宝)と五重塔(国宝) wiki c 663highland

奈良時代末期、第48代称徳天皇(しょうとくてんのう)からの寵愛を受けた僧の道鏡が、宗教上の頂点である「法王」となった。

道鏡は、あわよくば天皇の座をも狙おうとしたが、和気清麻呂(わけのきよまろ)に阻止された。(宇佐八幡宮神託事件

僧が世俗化し、仏教が政治にまで影響を及ぼすほどに、その介入が強まっていたのである。

このような状況に至った背景には、聖武天皇が掲げた「鎮護国家思想」がある。
聖武天皇は、男性天皇として初めて上皇となり、娘の第46代孝謙天皇に譲位する前後に出家したとされる。

聖武天皇の仏教への深い傾倒は、政治の中に仏教の影響を色濃く反映させる結果となった。

また、聖武天皇の譲位前にも、僧侶の政治介入はすでに始まっていた。

遣唐使として唐に渡った学僧・玄昉(げんぼう)が帰国後、右大臣である橘諸兄(たちばなの もろえ)の政治ブレインとして重用されていたのである。

桓武天皇の遷都と新しい宗派の誕生

画像 : 桓武天皇 public domain

第50代桓武天皇は、鎮護国家の実現を目指して仏教研究を行っていた南都六宗から距離を置くため、まず784年に平城京から長岡京への遷都を決断した。

しかし、長岡京での統治は短期間で終わり、794年に平安京への遷都を行う。
この平安京への遷都には、奈良仏教勢力の排除だけでなく、早良親王の怨霊の祟りを避けるための措置、人心の一新、水上交通の改善といった複数の理由が絡んでいたとされる。

この新たな都において、遣唐使として唐に渡った最澄が帰国後に天台宗を起こし、さらにその後に帰国した空海真言宗を起こした。

この二つの新しい宗派は、桓武天皇や第52代嵯峨天皇の保護を受け、力を持つようになる。

天台宗は奈良仏教と敵対し、真言宗の空海は奈良仏教とは融和的な対応を行う。
空海は東大寺にも影響を持つようになり、東大寺別当を4年間務めるのである。

南都六宗の衰退

こうして奈良仏教は平安二宗の台頭により、役割を終えていくことになる。

六宗のうち、倶舎宗は法相宗に取り込まれ、成実宗は三輪宗に吸収されたものの、三輪宗自体も消滅し、現存していない。
これにより、六宗の中で現在も存続しているのは、法相宗、華厳宗、律宗の三宗のみである。

法相宗で著名な寺院としては、藤原不比等ゆかりの興福寺、天武天皇ゆかりの薬師寺が挙げられる。

華厳宗は聖武天皇ゆかりの東大寺、律宗は鑑真ゆかりの唐招提寺、孝謙天皇ゆかりの西大寺が有名である。

参考文献
・ビジュアル百科写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史 西東社
・いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編 東洋経済新報社
文 / 草の実堂編集部

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