1日に20kg食べる熊。、餌を求めて動き回ると、行動範囲は一気に広がる
今年の“異常事態”は偶然なのか
今年、全国でツキノワグマの出没が過去最多を記録。ニュースでは「クマが危ない」「クマが増えた」などの言葉が並び、対策をめぐる議論も一気に活発になった。ただ、その背景には、クマの数だけでは説明できない、森と人の暮らしの変化が深く関わっていることが、専門家の話を聞くと見えてくる。そこで今回は、ツキノワグマの個体数をDNAで追い、行動・分布まで精密に把握する山内聖さん(岩手大学)ブナ林の“森としての寿命”を追い、長い時間スケールで山の変化を見てきた井田秀幸さん(信州大学)という、野生動物と森林という“両側から森を見る”専門家に話を聞いた。
2人の話は驚くほどよくつながり、「森・クマ・人間」の3者が互いに影響しあう構造が、今年の出没急増の背景にあることが浮かびあがってきた。
「ブナの森は“木の集まり”ではなく“長寿の生き物”のようなもの」
井上アナ: 改めて伺いたいのですが、ブナの森ってどんな特徴があるのでしょう?
井田さん:「ブナは非常に長生きです。1本の木は300~500年くらい生きるんです。ただ、もっと重要なのは“森そのものがどう続いているか”という視点で…場所によっては、森全体が1万年くらい続いているところもあるんですよね。」
井上アナ:木ではなく、“森そのものが生きている”ような感覚ですね。
井田さん:「そうです。森って、1本1本の木を見ていても本質が分からないことが多くて。枝が落ちて、次の木が育って、また倒れて……というのを何千年も続けている。そういう循環を“森としての寿命”と呼ぶなら、ブナ林は非常に長命なんです。」
「ブナが豊作か凶作かで、クマの行動は本当に変わる」
井上アナ:今年はそのブナが凶作だったと聞きます。
井田さん:「はい。今年はかなりひどかったです。特に長野県では、ブナの実がほとんど見られませんでした。」
井上アナ:クマにとってブナの実は非常に重要なんですよね。
井田さん:「ブナの実って、脂肪分がとても多いんです。どんぐりは炭水化物中心ですが、ブナは脂の塊みたいなもので、100gで600キロカロリーあるくらい。
冬眠前に大量のエネルギーが必要なクマにとっては“最上級の食べ物”なんです。」
井上アナ:その“冬のためのエネルギー源”がなくなった。
井田さん:「そうです。これはクマにとっては相当厳しい状況です。」
「クマの数は、同じ県内でも“増えてる地域と減ってる地域”がある」
井上アナ: 山内さん、クマの数は本当に増えているのでしょうか。
山内さん:「よく“東北でクマが増えている”と言われますが、県内で見ても、増えている地域、横ばいの地域、逆に減っている地域が、はっきり分かれます。」
井上アナ:それは意外です。
山内さん:「クマって、地域ごとに違う動きをするんですよ。岩手県みたいに大きい県だと、山のつながり方、餌の状況、人の生活の仕方……全部バラバラですから。」
井上アナ:まり、“今年の出没増加”は“個体数増加”だけでは説明できない?
山内さん:「その通りです。」
井上アナ:お二人とも、今年の出没については“異常”という認識ですか?
山内さん:「はい。率直に言うと、異常です。」
井田さん:「現場を見ていても、今年は“何かがおかしい”という感じがありますね。」
井上アナ:それが、ブナ凶作・里山の変化・クマの学習……と複合的に重なった?
山内さん:「そう思います。クマって、単純に“数が増えたから”出るわけじゃないんですよね。」
「1日に20kg食べる動物が、餌を求めて動き回ると、行動範囲は一気に広がる」
山内さん:「クマって、1日20kg近く食べると言われてます。これはものすごい量で…。だから山に餌がないと、動く範囲も当然広がるわけです。」
井上アナ:山の餌が足りなければ、人里につながる。
山内さん:「そうなんです。しかも、今年はタイミングが悪かった。餌の凶作、里山の荒廃、住宅地との距離の近さ……全部が重なっちゃった。」
里山が使われなくなったことで、森が家のすぐ裏まで“接近”した
井上アナ:里山の変化という話も出ましたが、どんな影響がありますか?
山内さん:「昔は薪を取ったり、草を刈って畑を維持していたりして、里山って人がよく使っていたんですよ。それが“人と森の距離”を自然に保っていたんです。」
井上アナ:今はそうではない?
山内さん:「はい。今は使われなくなって、森がそのまま住宅地の裏まで来てしまっている。クマからすると、隠れながら移動しやすい環境になっているんですよ。」
井上アナ:それは、人間にとっては“気づかないうちに接近されている”ということですね。
山内さん:「まさにそうです。」
国の対策は「動いたのは良かった。ただ、もっと早くできたはず」
犬山さん:今年、政府がクマ対策パッケージを発表したことについてはどうですか?
井田さん:「ようやく動いた、という印象です。」
山内さん:「2年前から同じことを指摘されていたので、『もっと早く動けたんじゃないか』という気持ちはありますね。ただ、今回は実行可能な内容になっているので、評価はできると思います。」
井上アナ: 研究現場から見ると、改善の余地も大きい?
山内さん:「はい。現場の声がもっと政策に反映されるといいなと。」
「クマは数を減らせばいいという動物じゃない。問題は“行動の質”です」
犬山さん:人身被害が起きると“駆除して数を減らせばいい”という意見も出ますが…。
山内さん:「クマはそういう動物じゃないんです。シカやイノシシは、ある程度“数の管理”が効果的な場合もありますけど、クマは違う。」
井上アナ:何が違うのでしょう?
山内さん:「クマは学習するんですよ。人の食べ物を覚えた個体、里に執着する個体、危険な行動を取る個体…。
そういう“問題個体”だけを的確に見つけて対処する必要があります。」
井上アナ:つまり、行動の“質”を見極めるということですね。
山内さん:「そうです。」
「クマは本当に賢い。成功体験は必ず記憶される」
山内さん:「クマって本当に賢いんですよ。ゴミを漁って食べられたら、次も来ますし、その行動を子にも教えるんです。」
犬山さん:そうなると、個体差はどんどん広がりますね。
山内さん:「そうなんです。『同じクマやろ?』って思われがちですが、実際は“全然違うタイプのクマ”が混在してるんですよ。」
井上アナ:今年の出没は、その“問題行動を学習したクマ”が増えていた可能性も?
山内さん:「あると思います。」
「餌が少ない年は早く冬眠に入る。でも、人の食べ物を覚えたクマは入らない」
井上アナ:今年は冬眠入りも遅れていると言われています。
山内さん:「ええ。今年は餌が少ないので、普通なら早く冬眠に入るはずなんですけど…。人の食べ物に依存するようになった個体は、冬眠に入らないこともあるんです。」
井上アナ:その差が、冬の出没にも結びつく。
山内さん:「そうですね。」
個人ができることは、“小さく見えてすごく大きい”
井上アナ:最後に、個人ができる対策を教えてください。
山内さん:「派手じゃないけど、確実なことが多いんですよ。熊鈴をつける、ラジオを鳴らす、ホイッスルを使う……。」
井上アナ:家の周りの管理も大事ですよね。
山内さん:「そうです。柿の実を放置しないとか、草刈りで見通しを良くするとか。ゴミを外に置かないのも本当に重要です。」
井上アナ:長期的には?
山内さん:「里山をもう一度ちゃんと使うことです。人と森の間にクッションを作る。これが一番大事なんですよね。」
(TBSラジオ『井上貴博 土曜日の「あ」』より抜粋)