デビュー30周年!あの頃の hitomi チーフマネージャーが語る「SAMURAI DRIVE」エピソード
短くも色濃すぎるhitomiと共に駆け抜けた2年間
DJ BLUEです! 実は自分、今から約25年前、2000年末〜2002年末までの約2年間、hitomiのチーフマネージャーを努めていました。そう、“アノコロ hitomi 元マネ” であります。
hitomiの2000年末〜2002年末というと、「LOVE 2000」がヒットした年末の紅白出演から、「SAMURAI DRIVE」がヒットした年末の紅白出演までの2年間にあたります。前マネージャーからの引き継ぎで “hitomiさんよろしくお願いします!” と満面の笑みで丁寧なあいさつをした自分に対して、“うち、厳しいんで!” の一言でニコリともせずに立ち去っていったあのバチバチモードなスタートが忘れられません。
そこからシングル6枚、オリジナルアルバム2枚、ベストアルバム1枚。そして2回の全国ツアーと初の武道館公演、2冊の写真集、海外撮影が多くマイルがたまりまくったCM・広告出演10本以上。数えきれないテレビ・ラジオ・雑誌など多数のメディア露出。アーティストであり、ファッションアイコンであり、ライフスタイルの提案者だったhitomiと共に駆け抜けた、短くも色濃すぎる2年間でありました。
女子マラソン金メダリスト高橋尚子が聴いていた「LOVE 2000」
昨年(2024年)の11月よりhitomiがデビュー30周年イヤーに突入ということで “おめでとうございます” の気持ちを込めて、28年前の今日、1月9日にリリースになった「SAMURAI DRIVE」について語らせていただきます。
まず、hitomiにとっての2000年から。その年のシドニーオリンピック・女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんが「LOVE 2000」をレース前に聴いているという話題も追い風になって、収録アルバム『LOVE LIFE』が大ヒット。また、セミヌードスタイルのビジュアルも話題になった写真集を筆頭に、雑誌『Tarzan』の表紙を飾ったり、女性ファッション誌『JJ』でのレギュラー連載「hitomiになりたい」が人気を博したり、音楽だけでなく、ファッションやライフスタイルなどの多方面で人気が上昇していった年でありました。
その流れを受けた2001年〜2002年は、多種多様なオファーが舞い込み、特に本人出演、および本人楽曲使用のCMという最強タイアップのお話をいくつかいただきました。その中のひとつが花王さんの『AUBE』という人気ブランドのCM出演と楽曲使用というお話だったのです。そのイメージや出稿量など間違いなく超A級なタイアップにスタッフ一同、すごく熱が入った記憶があります。で、そのタイアップ曲をどう作るか…。
現代を旅するフューチャー女サムライ、それが「SAMURAI DRIVE」
hitomiの場合、楽曲のデモを多くの関係各社から預かり、セレクトしていく作業から始まるのですが、この時はなかなかイメージに合う曲が見つからず、だんだんと時間が無くなってきて焦っていました。そんな時、担当ディレクターのTさんから “CUNE” というメジャーデビュー前のバンドの既存曲を聴かされたのです。
それが「SAMURAI DRIVE」でした。歌詞もメロディも素晴らしく、hitomiが歌う姿もイメージできたのですが、これまでのhitomi作品は本人作詞のため、そもそも他者の曲を歌う、ましてやその曲がシングルとしてリリースされることにおそらく抵抗があるのではと思いました。本人いわく、確かに最初はその感情が渦巻いていたようなのですが、その後、何度も聴いているうちにhitomi自身の心とこの曲が強くつながっていったとのことです。
そして凄いのはここから。さらにどんどん膨らんで到達したイメージが “現代を旅するフューチャー女サムライ”。そう、あの洋装と和装が混在する斬新な着物ファッションです。この頃のhitomiは、衣装イメージを自分でイラストにしてスタッフに共有するという形をとっていたので、会社のFAXにガガガがと手書きで描いたイラストが送られてきた時、一目見た瞬間 “これはインパクトあって面白い!絶対にいける!” と思ったことは今でも忘れられません。
そんな経緯を経て「SAMURAI DRIVE」は誕生し、シングルジャケットやプロモーションビデオの中で “フューチャー女サムライ” が形になったわけです。そして、花王『AUBE』のテレビCMでは本人がスタイリッシュに登場し、楽曲も使用されました。また、発売日当日には渋谷の数ヶ所で “フューチャー女サムライ” スタイルでライブを行い、翌日のスポーツ紙、ワイドショーを総なめにすることができました。素晴らしい楽曲とビジュアル、それを世に広めてくれたCMタイアップ、スポーツ紙やワイドショー、そして各種メディア露出… こうして2002年1月、ヒット曲「SAMURAI DRIVE」は誕生したのです。
23年前の1月9日にリリースになった「SAMURAI DRIVE」
当時、毎日のように早朝から深夜まで、hitomiと共に膨大な仕事を推進する中で、平穏に終わる日は少なく、何らか勃発する “事故や衝突 × 365日 × 2年間” の日々を振り返ると、TK(小室哲哉)プロデュースから離れ、自分の見せ方・聴かせ方・発信のあり方など、全てにおけるセルフプロデュースを徹底させながら、努力を重ねたhitomiであったからこそ生じた事故や衝突でした。そして、そこから生まれた音楽・映像・写真など、全てのクリエイティブは平成を超え、令和の今も光り輝く宝物です。
皆さん、23年前の2002年1月9日にリリースになった「SAMURAI DRIVE」をぜひもう一度聴いてみてください。サブスクにはそんな「SAMURAI DRIVE」の生まれた背景をhitomi本人が語っている『TALKIN’ ABOUT SAMURAI DRIVE』というコンテンツも同時に配信されているので、そちらもチェックしてみてください。
そして最後にーー “アノコロ hitomi 元マネ” のDJ BLUE自身も、アノコロの日々が今の自分の血肉になっていることは間違いないと日々感じています。hitomi、デビュー30周年おめでとう、そしてありがとう。
TALKIN’ ABOUT SAMURAI DIRIVE