突然の誤認逮捕。人生最悪の状況を支えた、自分への問いかけ/村木厚子「40代・50代の決断」
人生は決断の連続。就職や転職、さらには結婚、子育てなど、さまざまな局面で選択を迫られます。時には深く悩み、逡巡することもあるでしょう。
充実したキャリア、人生を歩んでいるように見える先人たちも、かつては同じような岐路に立ち、悩みながら決断を下してきました。そこに至るまでに、どんなプロセスがあったのでしょうか。また、その選択は、その後のキャリアにどんな影響を及ぼしたのでしょうか。
そんな「人生の決断」について、村木厚子さんが振り返ります。村木さんは1978年に労働省(現・厚生労働省)に入省して以来、女性政策や障がい者政策に携わり続け、国家公務員として37年間勤め上げました。
40代で初めて課長になり、最終的には官僚のトップである事務次官に昇進。上がり続けるポストに重圧や力不足を感じつつも、全力で職責を全うしてきたといいます。キャリアの最終盤に差し掛かった50代では、誤認逮捕によって約半年にわたり勾留されたことも。激動の40代・50代に、村木さんは何を考え、どのような決断をしてきたのでしょうか。
3回目にフォーカスするのは、「40代・50代の決断」です。
※全3回のシリーズの最終回です。初回の「20代の決断」、2回目の「30代の決断」はこちらからご覧ください
就職・結婚・昇進、すべてが「想定外」だった|村木厚子「20代の決断」 - ミーツキャリアbyマイナビ転職( https://meetscareer.tenshoku.mynavi.jp/entry/20250421-muraki )
激務と育児を両立するために“開き直った”|村木厚子「30代の決断」 - ミーツキャリアbyマイナビ転職( https://meetscareer.tenshoku.mynavi.jp/entry/20250516-muraki )
41歳での課長昇進。同時に芽生えた「いつでも辞められる覚悟」
41歳で障害者雇用対策課の課長になった時、ふと思ったことがあります。それは「もう組織や上司のせいにできない」ということ。組織にいると、自分の意に沿わないことも多いですし、あってはならないことですが、時には不正に加担させられそうになることもあるかもしれません。そんな時に「自分はやりたくなかったけど、上司に言われたから仕方なかった」「自分ではなく会社が悪い」と言っていいのは、管理職になるまでだと思います。
それなりのポストを得て誰かをマネジメントする立場になったら、上司や組織のせいにしてはいけない。本当にそれをやりたくない、やってはいけないと思うなら、きっぱりと断る。場合によっては辞職する覚悟を持たなくてはいけないだろうと。
そう考えると、何かあった時にすぐ辞表を提出し、組織から身を引ける状態をつくっておく必要がありました。
当時、私たち家族は国家公務員宿舎で暮らしていましたが、ここに住んでいたら辞めたいと思った時に素早く行動できません。辞表を出したのに、(引っ越しまでの間)しばらくここに住まわせてくださいとは言えませんから。そこで住宅を購入し、すぐに引っ越しました。
また、同じく国家公務員の同期である夫とも、改めてお互いの意思を確認しました。私たち夫婦は、性格や考え方が似ています。どうしても許せないことがあった時に、自分を殺してまでそこに留まり続けることが難しい性格であることも、お互いに分かっていました。そこで、夫か私のどちらかがどうしても我慢できなくなったら、辞めていいことにしよう。収入は半分になるけど、少なくとも3年くらいは片方が経済的に支えることにしようと約束したんです。実際は夫婦ともども定年まで勤め上げましたが、あの時「どうしても嫌になったら、いつでも組織を去れる状態」をつくっておいたことは、覚悟を持って仕事に向き合ううえで大事なことだったように思います。
《画像:家族集まって撮った一枚。40歳ごろ》
とはいえ、私自身は公務員を辞めたあと、どこかに雇ってもらえる自信はまったくありませんでした。当時の公務員は今のように民間企業などでの研修の機会もほぼありませんでしたし、つぶしの利かない仕事だと思っていましたから。
今にして痛感していますが、もっと若い頃から公務員以外の世界も知っておきたかった。海外に留学したり、企業に出向したりして、役所とはまるで違う組織で経験を積んでみたかったです。実際、私は59歳で退官してから初めて民間企業で仕事をするようになりましたが、その年齢になって初めて知ることも少なくありませんでした。
転職していく同僚に焦るも、この場所で「大きな判子」を持てるようになろうと決意
公務員の昇進は年功序列の傾向が強く、年齢が上がるとともにポストもついてきます。私自身も41歳で課長になって以降、49歳で審議官、52歳で局長、最終的には厚生労働省の事務次官になりました。正直、上がっていくポストに対して力不足を感じることもありましたし、自信なんてまったくありませんでした。
それでも昇進を受け入れてきたのは、ポストが上がるにつれて視野が広がり成長できるということもありますし、より大きな権限を持つと、できることが増える実感があったからです。
実は一時期、自分に近い同僚が立て続けに役所を辞めたことがあったんです。NPOに行ったり、民間企業に行ったり、机の上ではなく実際の現場に出てやりたいことをやるという道に進んだ仲間の姿を見て、私自身の気持ちも揺らぎました。「みんなは本当にやりたいことがあって転職している。私は変化が怖くて、ここにいるだけなのかな」と。
でも、元同僚も含めて集まる機会があった時に、あるNPOの方からこう言われました。「市民活動をやりたいと役所を辞めてしまう人がいるけれど、本当はそういうことに理解のある人が役所でしっかり昇進して、大きな判子を持てるようにならないとダメじゃないか」。
その一言にとても励まされ、迷いが晴れました。新しい場所で活躍するのも、もちろん素晴らしいこと。でも、私がここに残って昇進し、より大きな判子を持てるようになれば、もっと世の中に貢献できるじゃないかと。昇進のチャンスがあるなら、怯むことなくお受けしよう。そう思えるようになり、後輩にも「現時点で力不足だと思っても、昇進には尻込みしないでね」と伝えるようになりました。
ただ、そうはいっても事務次官(国家公務員のトップ。官僚の最高位)のオファーをいただいた時は、さすがに躊躇しましたね。
《画像:次官室で撮った一枚》
「お断りします」という言葉が、喉元まで出かかりました。でも、後輩たちに昇進のオファーは受けなさいと言ってきた以上、ここで断れば大嘘つきになってしまう。ぎりぎりで思いとどまり、お受けすることにしました。
拘置所で過ごした164日間。心を保つための「2つの問い」
53歳の時、冤罪により誤認逮捕されました。無罪判決を勝ち取るまでの164日を、拘置所で過ごしました。
勾留期間中は、差し入れてもらった本をひたすら読んでいました。そのなかの一冊、『サマータイム・ブルース』(サラ・パレツキー著・山本やよい訳、早川書房)という小説のなかで、主人公の女性探偵が不遇な状況におかれた少女にこう語りかけるシーンがありました。
「あなたが何をしてても、あるいはあなたになんの罪もなくても、生きてれば、多くのことが降りかかってくるわ。(中略)だけど、それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること」
これってすごく厳しくて、ある意味残酷な言葉だと思いますが、当時の私の胸にズシンと響いたんです。
私は何の罪も犯していないし、真面目に仕事をしてきた。それなのに、今は拘置所にいる。とてもひどい状況だけれど、このことをどう受け止めて、これからどう振る舞うかは私の責任で決めなければならない。だからこそ、カッコ悪いことはしたくないと思いました。
この状況に翻弄されないため、精神的に押し潰されないために、私は2つの問いを自分自身に投げかけました。
1つは「私は変わったのか」。もう1つは「私は失ったのか」。
まず「私は変わったのか」については、変わっていないと明確に言える。こんなにひどい目に遭っているのは、私が変わったからじゃない。自分は今まで通り、真っ当に仕事をしてきた。今の事態は、自分の手が及ばない外側で何かが起きたせいなんだ。そう改めて確認したら、心が落ち着きました。また、状況を冷静に捉えて、自分でコントロールできる部分・できない部分を分けると、やるべきことも見えてきました。
もう1つの「私は失ったのか」という問いについては、確かにいろんなものを失ったかもしれない。没頭してきた仕事を取り上げられ、「村木は悪いやつだ」という認識が世の中に広まってしまった。でも、家族は自分のことを200%信じてくれているし、たくさんの友人や仕事仲間が応援してくれている。失ったものもあるけれど、まだまだこんなにもたくさんのものを持っている。そう答えを出したことで、気持ちに整理をつけられたんです。
私のように逮捕・勾留されるケースは稀だと思いますが、人生ではいろいろなことが起こります。仕事で大きな失敗をしたり、産休でキャリアが途絶えたりすることを挫折と捉える人もいるでしょう。でも、そんな時はかつての私のように、「自分は変わったのか、失ったのか」と問いかけ、今やるべきことや気持ちを整理してみてほしいのです。
停滞してもいい。「初体験」で得られる発見を楽しもう
もちろん、それでも焦りや不安に苛まれてしまうことはあるでしょう。特に、産休や育休の期間はできないことがたくさんあって、いろいろなことが停滞しているようにも感じられると思います。
でも、人生って結構長いんです。2年や3年くらい立ち止まったって大丈夫だから、何も気にする必要はありません。たとえば、20代の2年間を育児に費やしたとします。その時にはとても大きなロスに思えるかもしれないけれど、60代まで働くとしたら、全体のキャリアのたった40分の2に過ぎません。長い目で見ればノーダメージです。むしろ、そこからまた何十年も積み重ねていけるのだから、必要以上に焦らなくていい。
それに、せっかくなら妊娠や出産という「人生の初体験」を楽しむほうがいいと思います。私自身も妊娠した時には、自分の身体の変化、日本の医療のこと、女性と男性どちらが電車やバスで席を譲ってくれるかなど、新しい学びや気づきがたくさんありました。珍しい体験のなかで得られる発見を楽しむことで気持ちも随分と楽になりましたし、それらの知識は後々の人生でも意外と役に立った実感があります。
繰り返しますが、それでも辛い時は立ち止まったり、うずくまったりしてもいい。しんどい時は無理せずに、その場にしゃがんで自分の膝を抱いてあげましょう。そして、体力が回復したら膝を伸ばして、ゆっくり歩いてみたらいい。うずくまってもいいけど、いつかはしっかりと自分の足で歩くことです。それができたらきっと、後で振り返った時に納得できる人生になるのではないかと思います。
村木厚子さん プロフィール
1955年高知県生まれ。高知大学卒業後、1978年、労働省(現・厚生労働省)に入省。女性政策や障がい者政策などを担当。2009年、郵便不正事件で逮捕。2010年、無罪が確定し、復職。2013年から厚生労働事務次官。2015年退官。退官後は、困難を抱える若い女性や累犯障がい者の支援にも携わる。著書に『公務員という仕事』(ちくまプリマー新書)など。
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構成:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部
制作:マイナビ転職