東大卒アイドルだった私が、最年少26歳で渋谷区議会議員になった理由。「東大の恥」など誹謗中傷も。
東大卒アイドルから最年少(26歳)で渋谷区議会議員になった橋本ゆきさん。一見すると順風満帆で華やかなキャリアに見えますが、東大受験時代から渋谷区議会議員になるまでにはさまざまな試練や困難を乗り越えてきたと言います。「東大の恥」「アイドルなのに舐めている」インターネット匿名掲示板での誹謗中傷、両親の反対、アイドル出身議員に対する偏見など、幾度となく自分を否定される経験をされてきたのだとか。
そんなつらい経験や逆境にもめげず、橋本さんは1期目で100以上の政策を議会に提案し50を実現。現在は2期目の議員として渋谷区長を目指しています。一体なにが橋本さんを突き動かしてきたのか。アイドルから政治家までの軌跡を聞いてみると、「想いを軸にキャリアを切り拓く」ヒントが隠されていました。
人と違うことは尊い。両親の教えが育んだ、挑戦を楽しむ姿勢
──橋本さんは「東大受験生アイドル」として17歳でデビューされました。アイドルを始めたきっかけはなんでしたか?
小さいころから歌が好きで、高校入学後にNHK児童合唱団へ入団したんです。部活にも入り充実した日々を送っていたのですが、合唱団は2年生で卒団、部活も3年生で引退しなければなりません。どちらも終えてやることが減り、寂しくなったので「歌える活動ができるなら」と芸能事務所のオーディションを受けてみたんです。
面接時に事務所から「最初から自分の好きな仕事を選べる人はいません。人気があってはじめて自分で仕事が選べるようになるから、まずは下積みとしてアイドルを始めてみましょう」と言われ、まんまとアイドルをやることになりました(笑)。
──オーディションを受ける前から東大受験を決めていたと聞いています。どうして東大を目指し始めたのでしょうか?
もともと勉強するのが好きだったんです。中学2年生の夏、父の転勤で三重から東京へ引っ越したのをきっかけに、のんびりとした暮らしから“勉強中心”へと環境がガラリと変わりました。
そこから「目標は高ければ高いほど面白い」と思った私は、塾で一番上のクラスに入ることを目指して猛勉強。昔から両親に「人と違うのは尊い」と教えられていたので、誰も挑戦していないことに魅力を感じる性格で。大変ではありましたが、分からないことが分かるようになる、模試の成績がどんどん上がっていく楽しさにハマって、夢中で勉強していました。
そのまま高校生になり、進路を考えるタイミングでなんとなく手に取ったのが、東大の入試問題。謎解きのような論述方式の過去問に興味をそそられ、「私も解けるようになりたい!」と東大を目指すことに。芸能事務所のオーディションを受ける前から東大を受験することは決めていたので、合格後は事務所の意向で「東大受験生アイドル」としてデビューすることになりました。
──「東大受験生アイドル」として受験ブログを開設し、毎日投稿されていたそうですね。受験前後では誹謗中傷のコメントも多かったと聞いています。
受験前日には「落ちろ」、不合格だった時には「ざまあ」などとブログに書き込まれていました。私が東大を受験した2011年は匿名掲示板の全盛期でもあったので、私の悪口を言うだけのスレッドが立って「受験をなめている」とか「東大生の恥」とかいろいろ書かれ続けましたね。人生ではじめて人の悪意に触れて、すごく落ち込みました。
でも、ここであきらめてしまうと私が損をして、叩いた人たちが喜び、得することになってしまう。それは悔しいので「見ていろよ」という気持ちで、自分を奮い立たせました。ブログに毎回コメントを送ってくれていたファンの応援は励みになりましたね。
アイドル仲間が不慮の事故で車いす生活に。政治家へ転身を決意
──そうして現役合格は逃すも、翌年の2012年には東大へ見事合格。「東大受験生アイドル」から「東大生アイドル」になりました。在学中も、そして卒業後も就職を選ばずにアイドルを続けられたのはなぜですか?
実は就職活動をしていた時期もあったんです。両親から「せっかく東大に入学できたのだから、卒業後はアイドルを辞めて、就職してほしい」と言われて……。私は「今まで好きなことをやらせてもらったから親孝行するべきなのかな」と就職活動をスタート。でも、面接で学生時代に力を入れていた活動について話せば話すほど、矛盾を感じる自分がいたんです。
アイドル活動がどれほど楽しかったか。アイドル活動をしながら、いかに試練を乗り越えてきたか。
アピールするほどに「なぜアイドルを辞めるんだろう」という気持ちになっていったんです。アイドルという仕事が大好きで誇りを持っているのに——。
そんな矢先、事務所の社長から「アイドルを辞めれば、桜雪(さくら・ゆき:アイドル時代の芸名)は死ぬことになる。このままで桜雪は成仏できる?」と問われました。「絶対に成仏できない」と思った私は、両親にアイドルを続けたいと伝えたのですが、「あなたは芸能で生きていける才能はない」の一点張り。話し合いは平行線のままでした。
ついに両親から「本当に自分の力で生きていけると思っているなら、家を出て自分の力で生きていきなさい」と言われ、その日のうちに荷物をまとめて家を出ました。一人暮らしをする部屋が見つかるまで、事務所の一角に布団を敷いて生活していましたね。
それまでの私は「大学生」と「アイドル」だったわけですが、卒業後は「アイドル」で生きていく覚悟を決めたわけです。むしろ、仕事として自分のパフォーマンスに責任を持たなければいけないという気持ちが一層強くなりました。
──アイドル一筋の生活から、政治にも関心を持たれたきっかけはなんだったのでしょう?
卒業後は「東大出身アイドル」としてクイズ番組に出演したことをきっかけに、報道番組や選挙特番のコメンテーターのお仕事をいただくようになりました。その際に、きちんと自分の考えを発信できる前提知識を身につけるべく政治塾へ通い始めたのです。
政治家の方と共演し、対話させていただく機会が増えるにつれて、若者や女性の声が政治家に届いていないと感じる場面も多くて。「若い世代が政治に参加して、政治を語れるようにならなければ日本は良くならない。政治を身近に感じてもらえる発信ができるタレントになろう」というモチベーションが生まれました。
──そこからなぜ政治家に?
政治家を目指すようになった直接的なきっかけは、同じアイドルグループのメンバー猪狩ともかさんが不慮の事故で脊髄を損傷し、下半身不随になったことです。
知らせを聞いたとき、なんと言葉をかけていいのか分かりませんでした。私はこのようなかたちでアイドルを卒業するのだと思い込み、本当に無念でしかないと胸が一杯になっていて……。でも、2018年4月に事故に遭った彼女は、リハビリをして4カ月後の8月、ライブで復帰を果たしました。車いすでアイドルを続ける選択をしたんです。
しかも、車いすをピカピカ光らせて回転するなど、新しいライブのパフォーマンスを創り上げていて。その姿を見た瞬間、感動とともに、勝手に引退だと決めつけていた自分が恥ずかしくなりました。
マイノリティや困難を抱えている人に対して「どうせできない」「難しいよね」と決めつけ、できない前提で組まれている制度が、今の社会にはまだたくさんあると思います。でも、猪狩さんのように「やり方を変えればできる」と社会に示していくことが非常に大切だと感じました。
私は「アイドルとして、若い世代に政治参加を訴えるインフルエンサーになるのではなく、自分が政治に関わる人になろう」と、復帰ライブを共にした直後に渋谷区議会議員選挙の出馬を決めました。
一つひとつの積み重ねが未来を変える
──その後、26歳の最年少で渋谷区の区議会議員選挙に初当選されました。アイドル出身が政治家になるという前例のない挑戦を、色眼鏡で見てくる人も多かったのではないですか?
そうですね。アイドル出身というだけで、真剣な想いがあっても「チャラチャラしている」「媚びている」など言われました。当選してからも「若くてアイドルだから当選できたんだよね」と、マイナスの評価を受け続ける状態でした。
──それはつらいですね……。どのように乗り越えたのですか?
マイナスの評価をそのままに受け取りたくはないので、その評価をなんとしても覆そうと。私がここでくじけてしまうと、若者が政治に参画する必要性を痛感した経験や、メンバーの輝く姿を見て受けた衝撃、感動が無かったものになってしまいます。私は政治活動の軸を再確認しながら、小さなことから積み重ねていき、市民の皆さまに信頼していただける活動をしようと心に誓いました。
──その誓いのとおり、橋本さんは1期目で100以上の政策を議会に提案。そのうち50もの施策を実現されました。まさに有言実行ですね。
具体的には、以下のような政策の実現に力を尽くしました。
●行政手続きをオンライン化、AI導入による作業効率の向上●すべての避難所に大容量のバッテリーを整備。災害時もスマホの充電ができる体制を整備●性別によらず相談できるIPV(親密なパートナー間の暴力)・DVに対応する相談窓口を開設●若い世代が環境政策を議論する「シブヤ若者気候変動会議」の設置●渋谷区独自の不妊治療支援を実現させ、治療開始日が43歳未満の区民の金銭的負担を軽減
政治家って経験と時間を重ねていかないと発言力が得られない、政策実現できないと思われがちです。でも、民間企業ではたらいたことがない、前職はアイドルだった私が26歳で最年少の渋谷区の区議会議員になり、1期目でこれだけの政策を推し進めてきた。
この議員活動に関して積極的にSNSなどを通じて発信していく中で、若い政治家が増えてきたと感じています。それは私が社会に対して影響力を持って貢献できたことの一つなのかなと。前回の統一地方選挙前も、「政治家になりたい」という20代の方からの相談がすごく多かったんですよ。
──すごいですね。発信する際に意識されていることはありますか?
日々の等身大の発信を心がけています。最近、政治の分野でも派手なパフォーマンスや物言いで注目を集める手法が増えています。でも、私はそれには乗りたくないです。現実との乖離を強く感じているので、つまらなくてもいいから「ありのまま」を伝えることを忘れないようにしています。
──1期目の4年間を経て、2期目へと突入された今、周りにいる方や区民からの評価に変化はありますか?
確実に変わってきていますね。最初は周りの方から「アイドル議員」と言われることが多かったのですが、今では多くの方が「優秀な『議員』さんです」と紹介してくださるようになりました。渋谷区長になりたいと公言しているので、区民の方からも「ぜひ区長になってください!」と応援していただく機会も増えてきて。こうしたポジティブな評価をいただくと、期待に応えられる自分でいようと一層頑張る力が湧いてきます。
──渋谷区長になって実現したいことを教えてください。
区サービスのアップデートやバリアフリー社会の実現、スタートアップ支援など、今取り組んでいることをさらに強化していきたいです。
中でも、渋谷区のポテンシャルを活かして、「渋谷ならではの豊かさ」をもっと外に出していきたいですね。都市に住む主な理由に「仕事へのアクセスが良いから」などが挙げられると思うのですが、リモートワークが当たり前になったら渋谷を選ばなくなってしまう状態はあまりにも悲しいなと。
音楽やアートなど渋谷には「ならでは」のカルチャーがたくさんあることを、アイドルで渋谷中のライブハウスをまわっていた私自身も感じています。だから、街に路上アーティストがいて、当たり前にカルチャーに触れられる海外の都市のように、オープンスペースを活用しながら渋谷での生活体験をさらに豊かにしていきたい。そしてそこからコミュニティなどが生まれて、愛着が湧いて……と、「ただ職場と近いから渋谷に住むのではなく、渋谷の人や“渋谷ならでは”の体験が好きだから住み続けたい」と思ってもらえる街づくりに尽力していきます。
渋谷区は日本ではじめてパートナーシップ制度を導入した自治体なんですよ。なにかを変えようとするとき、最初の一歩を踏み出し、影響を与えられる街だと確信しています。
一人ひとりが自分の幸せを自分で選び、実現できる社会を目指して「公平性」も大切にしながら、渋谷区長に就任できたあかつきには、渋谷区から社会を変えていく所存です。
「できない理由」を考えてしまうあなたへ
──ご自身のキャリアを振り返ってみて、“はたらくこと”についてどう思われますか?
私は政治家になった今でも、「アイドルをやっていて良かった」と思っています。最初の職業としてアイドルを選んでいなかったら、今のようにタフではなかったし、コミュニケーションや発信もうまくできていなかっただろうなと。
これまで頑張ってきたこと、はたらいてきた経験は絶対に今後に活きると身をもって実感しているので、これからも突拍子もない挑戦でも恐れずにやっていきたいですね。自分がやってきたことに自信を持って歩みを進めていきます。
──最後に、変わりたいと思いつつも一歩を踏み出せない人にメッセージをお願いします。
小さくてもいいので、自分ができることから取り組んでみてはどうでしょうか?そうすれば、新しい出会いやきっかけが広がり、もう少しだけできることが増えていきます。それを繰り返していくうちに、自分が思い描いてきたことに近づいていくと思うんです。
最初から理想に到達できなくても、私は「求めていたのは100だったのに、実際は10しか達成できなかった」と悲観するのではなく、少しでも前進している事実に目を向けて、「ここからまた一歩ずつ進んでいこう」と考えるようにしています。あきらめずに理想を追い求めていけば、あなたも必ず理想に近づけるはずです。
(文:平谷 愛 編集:おのまり・いしかわ ゆき 写真:目次ほたる)