ジャパニメ―ション史上欠かせない作品「幻魔大戦」キャラクターデザイン担当は大友克洋
連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.7 -「幻魔大戦」
角川映画初の長編アニメーション「幻魔大戦」
今でこそアニメーションはカルチャーのひとつとして地位を築いているが、昭和の大人にとってアニメーションは子どもが観るものだった。子どもは成長するにつれて大人っぽくてかっこいい他の何かに興味が移り、緩やかにアニメを “卒業” する。筆者も高校の頃、つまり1980年代の前半には音楽に入れ込むようになり、アニメへの興味を失いかけていた。『銀河鉄道999』も『機動戦士ガンダム』も終わったし、『宇宙戦艦ヤマト』ももうじき完結するし、大期待していた『コブラ』の映画版にはズッコケたし、もういいかなあ… と。
そんな1983年3月に公開されたのが『幻魔大戦』。角川映画初の長編アニメーションとなれば、子ども向けではないだろうと期待も高まる。平井和正の原作小説は当時ベストセラーになっていたし、その原点である漫画版を平井と共同で生んだ石森章太郎(石ノ森章太郎)も製作に名を連ねている。これは面白そうだ!
結論からいうと、当時高1の自分には、あまりピンとこなかった。大宇宙の破壊者に対抗する超能力者たちの共闘というストーリーは確かに興味を引くのだが、なんというか、エモくない。なんでもかんでもエモけりゃいいってものではないが、2時間を超える大作にしては淡白な印象が残った。
劇中で音楽監督を務めていたキース・エマーソン
しかし、それでも収穫はあった。“ハルマゲドン” という宗教用語を知ったのは、まずこの作品だ。CMでさんざん耳にしたローズマリー・バトラーの主題歌「光の天使」は、そんな神秘性にハマッていて、やっぱりシミた。この曲をつくったほか劇中で音楽監督を務めていたのがキース・エマーソンというプログレ界の大御所であることも、ロックにハマリだしていた音楽好きには嬉しい情報だった。
エマーソンは言わずと知れた、エマーソン・レイク&パーマー(=ELP)の一角。ELP解散後のころの頃は映画音楽を頻繁に手がけていた。ダリオ・アルジェントのホラー『インフェルノ』や、シルベスター・スタローンの刑事アクション『ナイトホークス』が知られているところ。「光の天使」はイントロのシンセサイザーだけで、今聴いてもゾクゾクするが、他のスコアも “ひとりシンフォニー” というべき壮麗さで聞き惚れてしまう。
キャラクターデザインは当時カルト的な存在だった大友克洋
当時、角川が薬師丸ひろ子に続けとばかりに売り出していた原田知世が声優として出演していたことも、十代の観客には得した気分になるには十分。この頃はまだテレビドラマへの出演にとどまっていたが、やっとスクリーン上で声が聴けた。この3か月後、『時をかける少女』で映画初主演を果たしたことで、知世人気は一気に広まっていく。
しかし、何より個人的に収穫だったのは、キャラクターデザインを担当していた大友克洋という漫画家の方。今や『AKIRA』で世界的に名を知られているが、当時はカルト的な存在で、田舎の高校生には知る由もない。で、肝心のキャラクターだが、それまで見てきたどのアニメーションとも違っていた。なんというか、キツネ目の日本人的な顔立ちだ。アニメに必ずいる、不自然なまでの美男・美女はいない。アニメーションというドリーミーなビジュアルが、一気に現実に近づいたような、そんな感覚を覚え、特別なものをみているような気がした。
この頃は、もうあまり漫画も読まなくなっていたが、それでも大友克洋の名前はしっかりこびりつき、当時の最新刊『童夢』を買ったのだが、これが少年誌では描けないような過激さのあるSF大作で、こちらにもハマッてしまった。あくまで肌感覚だが、高校のころ『童夢』のコミックを読んでいるクラスメイトも少なくなかったし、それに対する『幻魔大戦』の貢献は小さくないと思う。一方で、『幻魔大戦』から『童夢』、そして『AKIRA』へといたる大友体験は、サイキックバトルという要素の点でスルリと飲み込める。
大人の鑑賞に耐えうるアニメ―ションの波を作り出すうえで、欠かせない作品だった「幻魔大戦」
『幻魔大戦』によってアニメ熱に踏みとどまれた… と言えればよかったのだが、残念ながら筆者の熱は、ここで一度途絶えてしまう。それでも日本のアニメ映画は進化を続け、翌年、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』がヒットしたことによりスタジオジブリが設立される。同年には押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が公開され、賞賛の声を集めた。さらに4年後には『AKIRA』のアニメーション映画が登場し、世界を席巻する。この後のアニメーション人気は説明するまでもない。『幻魔大戦』は名作とは言えないかもしれないが、大人の鑑賞に耐えうるアニメ―ションの波を作り出すうえで、欠かせない作品だったのではないだろうか。