バスと電車と足で行くひろしま山日記 第92回日本ピラミッド・葦嶽山(庄原市)
広島にピラミッドがある。そんな話を聞いたのはいつのことだっただろう。県北・庄原市の葦嶽山(あしだけやま、815メートル)がその場所だということは覚えていて、興味がないわけではなかった。ただ、利用できる公共交通機関がないので車で行くしかないうえ、登山口と山頂の標高差は150メートルと、単体の登山の対象としてはいまひとつ魅力に欠けることもあって見送ってきた。前回第91回帝釈峡トレッキング(https://hread.home-tv.co.jp/post-532600/)を計画した際、帝釈峡に向かう途中に寄ることができることがわかった。暑さが心配だが、早い時間であれば影響も少ないだろう。伝説の山に向かった。
▼今回のルート
*葦嶽山登山口の駐車場までカーシェアを利用
道路案内標識に「日本ピラミッド」
中国自動車道を庄原インタチェンジで下り、国道432号、県道庄原東城線を東城方面に向かう。15分ほどで県道中領家庄原線との分岐へ。道路案内標識には「日本ピラミッド」と明記してある。予備知識なしに見たら驚くことだろう。
右折して中領家方面に向かう。「登山本格派コース」と注釈のある野谷ルートへの分岐を見送り、「ハイキングコース」の灰原ルート方面を目指す。途中、左折すると1車線ぎりぎりの狭い道になり、行き止まりの地点が駐車場兼登山口だ。石碑が立っており、「念ずれば花ひらく」と刻まれている。何を意味するのかは表記もなくわからなかった。さあ、「ピラミッド」登山だ。
戦前の研究者が「発見」
葦嶽山がピラミッドといわれるようになったきっかけは、戦前の昭和9(1934)年、キリスト教伝道者の酒井勝軍氏が現地調査をしたことだった。著書「太古日本のピラミッド」によると、京都で開いた講演を聞きに来た元代議士から「広島県神石郡の山に文字を刻んだ石柱が立っている」と教えられ、興味をひかれて現地に入った。調査の結果、どこから見ても三角形の葦嶽山の頂上に太陽石とそれを囲むように石を並べた磐境(いわさか)が見つかり、古代の神殿だったと断定。向かい合う鬼叫山(ききょうざん、800メートル)が供物台(ドルメン)を備えた拝殿だとし、葦嶽山を最古のピラミッドだと主張した。当時、大変な話題になり、見物(参拝)人が数多く訪れたという。
酒井氏は当時の正史と矛盾する、神武天皇以前に古代王朝が存在したとする竹内文書(学術的には偽書と断定)の信奉者だった。そのせいなのか、葦嶽山山頂の太陽石の遺構は戦時中に軍部により破壊されてしまったため残っていないという。
歩きやすい葦嶽山への道
灰原ルートはハイキングコースというだけあって木段が整備されている。個人的には自分の歩幅で歩けない木段は苦手なのだが、比較的歩きやすい。途中1カ所倒木でふさがれた場所があったが、くぐれば問題なかった。
20分ほど上って稜線上に出ると「頂上まで390m」の案内板。さらに進むと標高770メートル付近から急な木段の道になる。標高800メートル付近の登山道脇には鷹岩。少し息が上がるが、午前9時過ぎに頂上に着いた。登山口からわずか30分ほどだ。
山頂は疎林に囲まれているが、北側の比婆山連峰方面は眺望が開けている。酒井氏が発見したという太陽石や磐境の痕跡は残っておらず、見る限り普通の山頂だ。
鬼叫山の不思議な巨石群
「日本ピラミッド」こと葦嶽山を後に、「拝殿」こと鬼叫山へ向かう。鞍部への下りは急で、滑らないように注意しながら下る。5分ほどで東屋の立つ鞍部へ。ここは野谷ルートとの合流点だ。一服して巨石群へ。数分で机のように石が積み重なったドルメン(供物台)が見えてきた。この上に神殿に向けて供物を捧げたという説明だ。説明板には世界各地の古代文明の遺跡にも同様の遺構があると書かれているがどうなのだろう。
ドルメンの少し上から右に入ると、神武岩と呼ばれる石柱が立っている。かつては複数あったらしいが、大正時代に神武天皇の財宝が埋まっているといううわさが流れ、人々が一帯を掘り返して倒してしまったため、残っているのは1本だけになっている。あたりには倒れて壊れてしまった石柱の破片が転がっていた。酒井氏の著書に出てくる「文字を刻んだ石柱」とはこのことなのだろうが、確かめようがない。石柱の背後には鏡岩とされる巨岩があった。
元の道に戻って少し上ると、ライオンの横顔のように見える獅子岩や、岩の切れ目が東西南北を向いているという(実際には少しずれている)方位石があった。自然の造形のように見えるものも、人の手が入っていると思われるものもあるが、不思議な雰囲気だ。
巨石群はここまで。この先には登山道が整備されていないと注意書きがあったが、踏み跡をたどって鬼叫山のピークを踏んで引き返した。
「ピラミッド」を確認
日本ピラミッドと呼ばれる葦嶽山だが、登山ルートからは伸びた木々がじゃまになって三角形の姿を見るのが難しい。山頂が見える場所を探しながら下っていると、右手に少し道を外れた場所でかろうじて三角の山頂を見ることができた。酒井氏の著書には「拝殿より仰ぐピラミッド」と題した挿絵が掲載されていたが、当時は山容が良く見えていたのだろう。
この後の帝釈峡トレッキングのために早く下山しなければならない。再び葦嶽山の山頂を経由し、下りはバリエーションルートを通って下山した。
ところで、葦嶽山は酒井氏の言う「ピラミッド」や「神殿」だったのだろうか。正直、わからないとしかいいようがない。少なくともエジプトのピラミッドのような人工の墓所ではあるまい。地元では神武天皇の墓所だという言い伝えもあったそうだが根拠はない。ただ、三輪山(奈良)や大山(鳥取)を例に挙げるまでもなく、古来山は日本人にとって神聖な場所、信仰の対象であり、美しい三角形の山容をもつ葦嶽山を信仰していた人たちがいたということも十分あり得る話だろう。「日本ピラミッド」。これはこれで太古のロマンとしておくのがいいのかもしれない。
行動時間は1時間40分、歩行距離は2.4キロのコンパクトな山行だった。
2025.7.6(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》
ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」