藤枝MYFCの須藤大輔監督が語るクラブの今と未来「静岡ダービーの0−5があったから今がある」
SBSラジオの静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」に、藤枝MYFCの須藤大輔監督をお招きしました。聞き手はパーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さん(2024年12月17日放送)
(鬼頭)須藤監督のキャリアを紹介します。1977年生まれの47歳。神奈川県横浜市出身。神奈川の名門・桐光学園高に進学。1年生の時に学校初の全国高校選手権に出場。東海大学を経て2000年に水戸ホーリーホックでプロ生活をスタートしました。
その後、湘南ベルマーレ、ヴァンフォーレ甲府、ヴィッセル神戸と渡り歩き、現役生活の最後は藤枝MYFCでプレー。2010年限りで現役を引退しました。
引退後は山梨学院大学でコーチ、ガイナーレ鳥取で監督、2021年7月から藤枝MYFCを指揮しています。
(ヒデ)サッカーを始めたきっかけは?
(須藤)やっぱりキャプテン翼ですかね。
(ヒデ)どストライク世代でしょ。
(鬼頭)少年団に入ったんですか。
(須藤)横浜中央YMCAという関内駅のすぐ近くにあるスポーツクラブに入りました。
(ヒデ)お坊ちゃまだったんですよね。だって、妹さんはピアニスト。
(鬼頭)モテたでしょうねえ。名門の桐光学園時代は?
(須藤)当時は名門じゃなかったんですよ。僕は桐蔭学園に行きたかったんですが、いろいろな事情で桐光学園に。ただ、本当にメンバーに恵まれて、1年の時に桐蔭に勝って、そのままの勢いで全国大会に行っちゃいましたね。
(ヒデ)シュンスケ(元日本代表・中村俊輔)が一つ下ですよね。
(須藤)僕らの代は雑草だったんですよ。桐蔭に行けないとか、Jリーグのユースに上がれないとか。2番手が集まっていて、だからこそ「やってやろう」と。今の藤枝MYFCに似てるかなと思います。エリートじゃないけど、やってやろうという野心がパワーになってましたね。
泥くさくプロの世界に飛び込んだ
(鬼頭)さらに2000年、水戸ホーリーホックでプロキャリアをスタート。
(須藤)ちょうどJ2昇格1年目でした。僕は東海大学がちょっと低迷していた時で、どこからもオファーがなかったんです。プロに行きたくても監督には無理だと言われて、サッカーダイジェストかサッカーマガジンを買って、全部のクラブに電話して「セレクションやってください」とか「練習だけでも参加させてください」って。
当然「いや、いらないよ」と言われ続けてました。でも、それを4月からずっと続けて、12月のクリスマスぐらいにやっと受かったのが水戸ホーリーホックでした。10月ぐらいには「普通に就職しようか」と思ったぐらいだったんですけど、最後までやりきった結果、プロになれました。
(ヒデ)やっぱり、そういうの大事。多分聞いてる親御さんも子どもたちも、今ちょっとしびれたと思う。最後の最後までやった上で諦めりゃいいけど、そこまでやらないと次のも見つからない。
(須藤)あとはやっぱり口にすることじゃないですかね。目標とか目指すところ、ゴールを。言わないと周りも分からないから応援してくれないし、言えば「こいつ頑張ってんな、応援してやろうかな」と思ってもらえる。
桐光が桐蔭に勝てたのも、やっぱり本気のやつが集まったから。俺は絶対選手権出るよっていう思いが、同じようなやつらを磁石のように引きつけて、パワーとなっていく。
それは今までも同じ。水戸もそうだし、甲府もそう。甲府で歴史上初のJ1昇格した時も、全員クビになったやつらが集まって、でも「やってやろう」と。パワーが集まったんですね。
(ヒデ)ピースを集めて素晴らしい絵が完成する。
神戸の0円提示を受けて…
(ヒデ)引退した時、藤枝MYFCは当時地域リーグだったんですよね。どういった経緯?
(須藤)まず神戸を0円提示で解雇になりました。それをベッドの上で電話で聞きました。ヘルニアの手術をして「もう無理だな。クビだな」と思っていたんですけど、悔しい気持ちがあって、このままじゃ終われないなと。
1回でもピッチに立って、やり切って終わりたいと思って、1人で甲府に帰ってリハビリをしていました。ようやく6月ぐらいにピークパフォーマンスになったので、どこかないかなと受けたのが藤枝でした。
(ヒデ)芸人も「どうせ死ぬなら舞台の上で」みたいな人がいます。やっぱピッチで終わらせたいですもんね。
(須藤)ただ、神戸の時からちょっと体が悲鳴を上げていたので、その頃から指導者になってもいいように指導者目線でいろんなゲームを見てましたね。
指導者の最初は山梨学院大学のコーチだったんですが、Bチームの監督みたいなことをいきなりやらせてもらいました。「この仕事、自分に合っているな」と思いましたね。今までずっと貯めてきて貯めてきて準備してきたものを出して、「これ通用するじゃん」とか「これ駄目だな」とか、精査するのがすごく楽しくて。
(ヒデ)選手の気持ちにも寄り添えるんでしょうね。雑草魂。
1本の電話「藤枝の監督に興味ありますか」
(鬼頭)そして恩返しのように藤枝MYFCに戻ってきました。
(須藤)2018年に鳥取の監督をやった後、いろんな家庭の事情で甲府に帰って、幼稚園児や小学生を教えてたんですよ。
ただ、鳥取でも3位という成績を出してたので、いつオファーが来てもいいようにずっと準備はしていました。しばらくして、神戸の時に一緒だった選手からいきなり「須藤さん、藤枝の監督に興味はありますか」と電話がかかってきました。
その時は「今の状況じゃちょっと無理だから断ります」と。3年後ぐらいには家族も落ち着くかもしれないから、一応オファーをくれた偉い方に挨拶しに静岡に来ました。
でも、偉い方に「いや、通いでもいいからやってくれ」と言っていただいて。「マジか。そこまで思ってくれるの?」と。断りに来たのに、1回持ち帰ることになって、やりましょうって。
(鬼頭)今も山梨から通っているんですもんね。すごいです。
(ヒデ)先日のイベントで藤枝MYFCの中川創選手と浅倉廉選手に、須藤監督について聞きました。中川選手は「普段は須藤さんがチームで一番ふざけてます」、浅倉選手は「サッカー以外でお世話になってます」って(笑)。なんちゅう監督や!
(須藤)社会に出た時に生き残れる人材教育をしているんです(笑)
(ヒデ)もちろん、オンとオフをしっかりと持ってらっしゃることはサポーターの皆さんも存じているでしょう。
山梨からの道中は「一人演説」
(ヒデ)リスナーから。「須藤監督といえば甲府からの通勤で有名ですが、甲府から藤枝に来る間、何か音楽を聞いたりしてるのですか」
(須藤)無音です。1時間50分ぐらい。その日にある練習メニューをもう1回確認したり。そこでいろんなアイデアが浮かんじゃうんですよね。景色見ながら運転してると。
あとは1人演説をしてます。例えば、今日のミーティングはこのトーンでやろうとか。
静岡ダービーが生む力
(ヒデ)リスナーから。「私はエスパルスサポーターなんですが、須藤監督率いる藤枝は本当に難敵でした。最後まで繋ぐサッカー、心を熱くしてくれました。来年こそJ1昇格でダービーを」
(須藤)うれしいですね。まず昨年、アイスタでエスパルスとやった0−5。あれが一番の布石になったなと。あれがあったからこそ、次のホームで勝てたし、今年もいい勝負ができたのかなと思います。
我々の力以上のものを引き出してもらえるような雰囲気を作っていただいた。清水のサポーターや選手には失礼かもしれないですけど、切磋琢磨してレベルアップしていくことが日本のサッカーの明るい未来に繋がっていくのかなと思いますね。
(ヒデ)やっぱり清水はああしなきゃ駄目だったと思うんですよ。これが清水だ、どうだ見たかというのが、藤枝のサポーターや選手、監督を奮い立たせたわけです。
(須藤)本当にコテンパンにやられて。でも、後半は相当できたんですよ。それが一番我々の財産になりました。
(ヒデ)今年は清水とのダービーを見に行かせていただきました。後輩のヤムケン(矢村健選手、市立船橋高出身)がバチコーンって決めた時の僕の沸騰が…。やっぱ気持ち良かったですね、あれは…。でも、それで終わらない清水がいた。静岡のサッカーを見せてくれた。両チームに感激しました。
(鬼頭)来シーズンはジュビロが対戦相手になります。
(須藤)あの雰囲気をまた醸し出してくれると思いますから、あの雰囲気の中で、自分たちのサッカーを90分できるかどうか。前半だけでも駄目、ワンプレーだけでも駄目、90分通してやり切れば、その先が見えてくるのかなと思います。
サポーターへの思い「涙が出そうになった」
(ヒデ)今シーズンは13位。もう少しいけたかなと思います。
(須藤)まずはスタートダッシュができなかったこと。点も取れなかった、勝てなかった。それを乗り越えてプレーオフ圏内と2ポイント差までいきましたが、そこで清水に負けた。ちょっと僕も含めて、無意識的に切れちゃったのかなという思いがあります。
(ヒデ)モチベーションを上げていく時に気にかけていることは?
(須藤)1人でサッカーやってるんじゃないよということ。仲間もいるし、サポーターもいるし、それぞれの家族もいるし。何よりも未来があると。
(ヒデ)サポーターの存在は大きいですよね。
(須藤)本当に今年は。夏場のゲームで1回電気が消えた後のペンライト。新しい試みでしたが、あれはすごく選手も奮い立った。藤枝MYFCもここまで来たかと。そういう思いに駆られました。
(ヒデ)地域リーグ時代を知ってるわけですからね。アウェーサポーターの協力もあって満席になった時はどういう心境でしたか。
(須藤)本当に涙出そうになりました。その中でやれる幸せ。夢に描いていたものがやっと来たなと。だからこそ、もう1個上に行きたい。今はゴール裏が芝生席。J1に行けばあそこが変わる。そこまで行きたいなっていう思いになりました。
最後に“須藤節”
(ヒデ)来シーズンに向けたメッセージを。未来のビジョンも聞きたい。
(須藤)プレーオフ圏内まで迫ることはできましたが、行けなかった事実の方が多分、選手もチームも非常に重く受け止めていると思います。
でも、悲壮感を漂わせる必要はないと思っています。できることが増えたし、やりたいこともできています。あとは、その時間帯をどれだけ増やすか。シーズンで浮き沈みをなくすための強いメンタルをどれだけ保てるか。これが一番のキーポイントになると思います。
反省点はしっかり出てるので、改善のためにキャンプから早足でやっていきたい。超攻撃的エンターテインメントサッカーに上積みをしつつ、できない時には防ぎ切る。そういうマインドを持ったサッカーができるようにしていきたいです。それが解決できれば、6位以内、いけると思います。
(須藤)最後に頼もしい一言、須藤節を聞かせていただきました。