#3 最も重要とされているものが欠けた作品──川島隆さんと読む、カフカ『変身』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
京都大学教授・川島隆さんによるカフカ『変身』読み解き#3
ある朝目を覚ますと、自分は巨大な「虫」になっていた――。
衝撃的な冒頭に始まるフランツ・カフカの小説『変身』は、彼の死後100年以上経つ現在まで、多くの人に読み継がれてきました。
『NHK「100分de名著」ブックス カフカ 変身』では、川島隆さんが、「自分を知るための鏡」や、個の弱さを知ることでつながりの大切さを考える「介護小説」として『変身』を読み直すことで、その魅力に迫ります。
2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします。(第3回/全6回)
第1章──しがらみから逃れたい より
意味と理由が存在しないストーリー
はじめてこの作品を読んだとき、人間がいきなり虫けらに変身するという荒唐無稽な設定に斬新さを感じる方も多いと思われますが、実際には、人間が人間以外のものに姿を変える「変身譚」は決して珍しいものではありません。古今東西の神話・伝説には、人間が動物や植物をはじめ、ありとあらゆる人間以外のものに姿を変えるエピソードが、よく出てきます。古代ローマの詩人オウィディウスは、そういう物語を集めて『変身物語』という本にしました。「変身もの」は、文学の一ジャンルとして古くから確立されていたのです。
しかし、カフカの『変身』と他の変身文学を読み比べてみると、そこには大きな違いが見受けられます。それは、「なぜ主人公は変身してしまったのか?」という、物語の核となるべき「意味」や「理由」が、カフカの作品の中には一切描かれていないという点です。
たとえば、カフカを愛読していた日本の作家、中島敦の『山月記』の場合を考えてみましょう。この物語の中では、虎になった主人公が、自分がなぜ虎になってしまったのかを、再会した友人に切々と語って聞かせます。── 読者としては、そこは当然ながら一番気になるところでしょう。主人公が人間でないものに姿を変えるに至った「理由」こそが、変身文学の核心にあると言っても過言ではありません。さらに、他のいろいろな変身文学に目をやると、元の人間の姿に戻れるのかどうか? 戻れるのならば、そのために何をすればいいのか? といった「条件」が設定されていることもあります。でも、カフカの作品には、そういった部分がごっそり抜け落ちています。
『変身』の第一章だけをみても、そのことはよく分かります。虫になってしまった主人公は、「なぜ、こんな姿になったのだろう?」と疑問を感じることもなければ、「人間の姿に戻れなかったらどうしよう」と思い悩むこともありません。不思議なことに、主人公のグレゴールの関心は、虫に変身したという衝撃的な事実よりも、「このままでは出張のための列車の時刻に遅れてしまう」という、人間としての日常に終始注がれています。自分の置かれた状況を考えれば、仕事のことなど考えている場合ではないのに、なぜか肝心な部分を置き去りにしたまま、ストーリーがどんどん展開していくのです。
作品において最も重要となるはずの「意味」や「理由」というものを、なぜか欠落させたまま書いていく──。いわば「引き算」的手法を使って書かれているのが、カフカ文学の最大の特徴と言ってもいいでしょう。
だからこそ、カフカの『変身』を読んだ多くの人は、虫への変身という設定の裏側に隠されているはずの「意味」や「理由」を探りたくなります。その証拠に、作品が書かれて一世紀が経った今も、この作品の読者のあいだでは、「虫はいったい何の象徴として描かれているのか?」「変身にはどんな意味があるのか?」といった、意味づけについての議論が盛んに交わされています。
もちろん、そうした議論にまったく価値がないとは言いません。ですが、本書では「なぜ虫けらに変身したのか?」といった謎解きは、あえて行なわないつもりです。なぜなら、私自身は、カフカはそこまで深く考えて『変身』を書いたわけではないと感じているからです。
作家には、まず自分の言いたいメッセージありきで、それを伝えるために頭であれやこれやと論理的に構想を練りながら書いていくタイプもいるでしょう。しかし、カフカの場合はそうではなかった。彼の他の作品や、残された手稿を見ていくと分かりますが、カフカは自分の言いたいことから逆算してストーリーを考えるのではなく、頭に浮かんだイメージを一気に吐き出すように書きとめていくタイプだったのです。
たとえば、『変身』の数ヵ月前に書かれた『判決』という短編作品は、たった一晩で書き上げられています。彼の小説のうちには、ろくに推敲もせずに書いたために、登場人物の名前が途中で変わってしまっている例もあります。こうした事実をみる限りでは、カフカが細かい部分にいちいち「深い意味」を潜ませるようなタイプだったとは、とても思えません。
仮に、カフカが現代に生き返ったとしましょう。そこでカフカ本人に、「グレゴールが虫に変身したことにはどんな意味があったのですか?」と尋ねてみたところで、彼はもしかしたら、「うーん、どんな意味があるんでしょうね……」と、苦笑しながら答えるかもしれません。
ならば、『変身』という作品を、私たちはどんなふうに読めばいいのでしょうか。一番簡単に言えば、「好きなように読めばいい」のです。この作品に、「正しい」読み方など存在しません。そもそも小説の読み方は人それぞれの解釈や感じ方があっていいはずだし、正しい解釈なんていうものは、どこにも存在しない。──『変身』という作品に関しては、そういう主張が非常によく当てはまりそうです。
ただ、それだけ言って満足してしまうと、この本自体が終わってしまいますから、ここではあえて、一つの読み方を提案してみたいと思います。作者であるカフカの人となりや、育った環境、さらには彼が生きた時代背景を考えてみて、それからもう一度作品へと立ち戻る、という読み方です。
カフカの熱心なファンや専門家の中には、こうした作家の出自や時代と作品を結びつける読み方に「作品のイメージを限定することにつながるし、自分の抱いていたカフカ像が壊されてしまう」と抵抗を感じる方もいらっしゃると思います。「文学はそれ自体が独立した作品なのだから、読んだ人が純粋に自由に解釈すればいいのであって、事前知識は邪魔になるだけだ」という考え方もあるでしょう。
なるほど、それも一理あります。私自身も高校時代、何の知識もなく『変身』を読みましたが、ものすごく面白かったですし、共感もしました。主人公のグレゴール・ザムザにとても感情移入して、「この気持ちは今の自分と同じだ」と思いながら読んでいたのを、よく覚えています。
しかし、知識や情報を無駄だと言い切ってしまうのも乱暴です。先ほど「謎解き」は必要ないと言いましたが、「なぜ虫けらに変身したのか?」の答えにはたいした意味がないにしても、なぜカフカがこんな作品を書いたのか、という事情については、作家の育った環境や時代を知ってから読むと、おぼろげながら輪郭が見えてきます。それは必ずしも「不純な読み方」ではありません。むしろ、そこから見えてくるものを捨ててしまうことのほうが、少々もったいない。とくにカフカという作家の場合は、そうだと思います。
『変身』という作品を読めば、私たちは必ず何らかのメッセージを受け取るはずです。それは「カフカが伝えようとした」メッセージではおそらくないでしょう。私たちがそこでどんなメッセージを受け取るかは、私たち自身がどんな場所にいるかによって変わってきます。ですから、背後にある事情を知ったうえで作品を読み直すことが、ひいてはみなさん自身が今どんな場所にいるかを考えていただく機会になればよいと思っています。
著者
川島隆(かわしま・たかし)
1976年京都府長岡京市生まれ。京都大学教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。専門はドイツ文学、ジェンダー論、メディア論。著書に『カフカの〈中国〉と同時代言説』(彩流社)、共著に『図説 アルプスの少女ハイジ』(河出書房新社)など。訳書にカフカ『変身』(角川文庫)、編集協力に多和田葉子編訳『ポケットマスターピース01 カフカ』(集英社文庫)がある。
※刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス カフカ 変身 「弱さ」という巨大な力』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。
※本書は、「NHK100分de名著」において、2012年5月に放送された「カフカ 変身」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「ポスト・コロナの『変身』再読」、読書案内などを収載したものです。