【ミリオンヒッツ1994】松任谷由実「Hello, my friend」サチモスや米津玄師にも影響が!
リレー連載【ミリオンヒッツ1994】vol.15
Hello my friend / 松任谷由実
作詞:松任谷由実
作曲:松任谷由実
編曲:松任谷正隆
▶ 発売:1994年7月27日
▶ 売上枚数:135.7万枚
あなたにとって初めてのユーミンは?
皆さんが最初に認識したユーミンソングはなんだろうか。筆者は1981年の「守ってあげたい」から熱狂的なファンになったのだが、原体験は1975年に大ヒットした「あの日にかえりたい」であり、バンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」である。平成生まれの人は、ジブリ映画『魔女の宅急便』の劇中で使用された「ルージュの伝言」「やさしさに包まれた」や、『風立ちぬ』の主題歌となった「ひこうき雲」だろうか。それとも、90年代にミリオンセラーを記録した「真夏の夜の夢」「Hello my friend」「春よ、来い」あたりだろうか。
ユーミンくらい多くの代表曲があると、人それぞれ入り方が違うので、そのあたりがとても興味深い。『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018』にユーミンが出演した際 “荒井由実と松任谷由実は同一人物です” とトークすると会場から驚きの声が上がっていたので、当時の20代を中心とする若者は、曲から先に彼女のことを知ったのかもしれない。
“月9ドラマ” の主題歌に起用された「Hello my friend」
さて、今回クローズアップする曲は、1994年7月27日に発売された、ユーミン通算25枚目のシングル「Hello my friend」だ。前年に発売された「真夏の夜の夢」は、ユーミン初のミリオンセラーになったシングルで、この曲でついにユーミンもJ-POPの最前線に躍り出ることになる。
90年代はミリオンヒットを生み出すことが音楽業界のミッションになっており、アルバムアーティストだったユーミンにとってシングルのミリオンヒットを生み出すことは大きな挑戦だったに違いない。そんな「真夏の夜の夢」の大ヒットから1年後、 “月9ドラマ” 『君といた夏』の主題歌に起用されたのがこの「Hello my friend」だ。
90年代前半の月9ドラマと言えば『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』『あすなろ白書』など、高視聴率を記録し社会現象になったドラマばかりだ。月曜の夜は街からOLが消えると言われた月9ドラマの主題歌はどれも大ヒットを記録しており、楽曲を担当するアーティストにとっては大きなプレッシャーになっていたはずだ。
ホテルの部屋で夜明けまでかけて仕上げた「Hello my friend」
『君といた夏』は、筒井道隆の初主演ドラマで、いしだ壱成、瀬戸朝香、大沢たかおなど、当時のトレンディ俳優が出演した話題のドラマだった。しかし、この主題歌はすんなりと決まったわけではなく、当初ユーミンサイドが提出した曲は、カップリングに収録された「Good-bye friend」のほうであった。
この曲は、1994年5月1日にイタリアのイモラ・サーキットで行われたサンマリノグランプリに出場し事故死をした、F1史を代表するドライバー、アイルトン・セナへの鎮魂歌として書かれた曲であった。セナと松任谷夫妻はかつてより交流があり、ユーミンにとっても大きな喪失だったのだ。
しかし、ドラマのプロデューサーからは「ドラマのイメージに合わない」と返答があったそう。もしかすると月9の主題歌にするには曲のテーマが重すぎたのかもしれない。当時、ユーミンは『U-live』ツアーの真っ最中だったが、ツアー中の名古屋のホテルの部屋で夜明けまでかけて仕上げたのが、この「Hello my friend」であった。サビのメロディーは「Good-bye friend」と同じだが、歌詞、Aメロ、アレンジは大きく変更された。
オリコンの初登場1位、1357万枚を売り上げる大ヒット
ひと夏の恋の喪失感が描かれたこの曲は大ヒットし、オリコンの初登場1位、翌週から2週連続2位になったものの4週目で再び首位に返り咲き、135.7万枚を売り上げる大ヒットになった。1994年7月4日に始まったこのドラマの最終回は9月19日。23.7%という高視聴率で幕を閉じた。
今年もたたみだしたストアー
台風がゆく頃は涼しくなる
この名フレーズを生み出した名曲は、のちに平成生まれのアーティストたちに大きな影響を与えることになる。
ユーミンから大きな影響を受けたSuchmos、米津玄師
SuchmosのYONCEは最初に観たコンサートが小学校5年生の時に行われたユーミンの『SHANGRILAⅡ』だったそうで、これまで多大なる影響を受けてきたそう。2018年に行われた音楽イベント『SONGS & FRIENDS 荒井由実「ひこうき雲」Produced by 武部聡志』に出演したYONCEは「Hello my friend」のカバーを披露している。ユーミンも当時Suchmosをフェイバリット・アーティストに挙げており、ユーミンのAORナンバー「深海の街」は、おそらくSuchmosの「STAY TUNE」からの影響を受けていると思われる。
米津玄師もユーミンから大きな影響を受けているアーティストの1人だ。本格的なストリーミング時代に突入した2018年の大ヒットナンバー「Lemon」は「Hello my friend」のコード進行の影響を受けているそう。「Lemon」の楽曲制作中に米津玄師の愛する祖父が他界し、精神的にかなりしんどい時期に制作されたこの曲は、コード進行だけでなく歌詞の中の “喪失感” もユーミンから影響受けているような気がする。
偶然にもYONCEと米津玄師は1991年生まれの同い年であり、「Hello my friend」が発売された時2人はまだ3歳だった。のちに第一線で活躍することになる彼らは、無意識のうちにこの曲を耳にしていたのかもしれない。
Spotify、松任谷由実のトップトラックは「Hello my friend」
時代は令和に変わり、動画サイトやストリーミングサービスの影響で、誰でもが多くの曲を気軽に聴くことができる時代になった。現在、Spotifyの松任谷由実のトップトラックが「Hello my friend」なのは、この曲が平成生まれのリスナーからも支持されているという証なのだろう。
ドラマ『君といた夏』の最終回。ラストシーンは海沿いの岬を走るバスのシーンで終わるのだが、普通ならそこで主題歌が流れて終わるはずだ。しかし、何とラストシーンで流れたのは「Hello my friend」ではなく、アルバム『DAWN PURPLE』の収録曲「9月の蝉しぐれ」という曲だった。
不意打ちのエンディングに、当時1人の部屋で見ていた自分はあまりにもショックで、そのままふて寝をしてしまったのを思い出す(笑)。あの時のやりきれないあの気持ちは一体何だったのか、未だ解明できない。30年経って思い出すのがこの程度のエピソードで申し訳ないが、音楽というのは時にどうでもいいような思い出を運んでくるタイムマシーンのような役割を果たしているのかもしれない。