第11回『東宝映画スタア☆パレード』久保 明&水野久美 恐怖映画『マタンゴ』コンビの行く末は……
今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。
少年・少女期に映画やテレビを見て、あまりの恐ろしさに寝るとき電気を消せなくなったという経験は、どなたにもあるのではないか。筆者にとってそうした作品は、テレビなら「恐怖のミイラ」(61/NTV系)、そして映画なら『マタンゴ』(63/東宝)にとどめを刺す。
東宝映画では豊田四郎監督の『四谷怪談』(65/お岩は岡田茉莉子)も子供には相当ショッキングな作品だったが、本多猪四郎&円谷英二の名コンビによる『マタンゴ』には心からの恐怖を覚えたものだ。
封切当時、〝変身人間〟シリーズなる呼称など未だなかった本作の併映作は、なんと『ハワイの若大将』。当時、若大将=加山雄三の活躍を楽しみに劇場に駆けつけた少年少女たちは皆、思いもよらぬ〝恐怖のどん底〟に突き落とされたのだった。
▲『マタンゴ』劇場宣伝心得帖と懸賞ぬり絵。怖くてとても色などつけられない(寺島映画資料文庫所蔵)
地位や名声はあるが、いかにも一癖ありそうな七人の男女がヨットで航海に出て、嵐に遭い漂着する島は、キノコ以外の食べ物がほとんどない無人島。浜に打ち上げられた難破船(これがまた堪らなく不気味!)には、キノコの標本と「キノコを食べるな」と書かれた航海日誌が残されている。
そして、船内の鏡は何故かすべて割られており、雨が降りしきる晩、甲板をピチャピチャと音を立ててやって来るのは、醜く顔が変形したキノコ人間(これを演じたのが天本英世であることは、のちに知った)だった……。
と、文字で書くとどうということもないのだが、これを小学3年生で見た筆者の恐怖感たるや、今思い出しても背筋が凍るほど。色鮮やかなカビやキノコに、言いようのない不安を覚えた方はさぞや多かったに違いない(※1)。
さて、この映画で最も印象に残った場面は、何と言ってもラストの精神病院シーンである。
恐怖の島から帰還したのは城東大学の助教授・久保明ただ一人。その彼は「最後までキノコは食べなかった」と証言するが、振り返ったその顔には……、という衝撃的な結末に、底知れぬ絶望感を覚えて劇場を後にしたことを、六十年以上経った今も昨日のことのように思い出す(※2)。
▲最後までキノコは食べなかったと主張する久保明だが… イラスト:Produce any Colour TaIZ/岡本和泉
一人、またひとりと姿を消す若者たちの中で、久保と共に最後まで生き残ったのは水野久美扮する歌手・麻美。水野の本名は「麻耶」といい、福田純監督『情無用の罠』(61)以降、『青い夜霧の挑戦状』(同/古澤憲吾監督)、『顔役暁に死す』(同/岡本喜八監督)、やはり福田純の『吼えろ脱獄囚』(62)などで、〝悪女〟役を本人自ら望んで演じてきた、東宝では希少な女優さんである。
岡本喜八監督『ある日わたしは』(59)で演じた、意地の悪い大学生も「もう一度やってみたい」と語っていたほどだから、やはりダーク・ヒロインに魅力を感じていたのだろう。
結局、久保も食べてしまったキノコは「成城凮月堂」製。現社長のH氏に伺うと、このキノコのレシピは今も会社に残されており、メレンゲ製であることから食べても美味しかったはずだという。道理で水野さんや土屋嘉男が恍惚の表情(?)を浮かべていたわけだ。
▲「美味しいわ」とキノコを口にする水野久美のメイクはド派手 イラスト:Produce any Colour TaIZ/岡本和泉
そんな水野が新人時代に出演した東宝映画が、『二人だけの橋』(58)という丸山誠治監督作(※3)。石鹸工場で働く女工ながらも、明るさを忘れない少女役は、デビュー作『気違い部落』(57)における肺病やみの少女にも通じる初々しさがあった。
そして、隅田川に架かる白髭橋を舞台とした、この瑞々しい下町もので水野の恋人役を演じたのが他でもない久保明、その人であった。
丸山誠治は〝丸山学校〟と呼ばれるほど、新人を育てることに定評のあった監督である。小学生時代から学校演劇をしていた久保は、すでに『思春期』(52)という丸山作品で映画デビューを果たしており、その役名をもらって、やはり丸山学校の生徒である江原達怡と共に『十代の性典』(53/大映)に出演。そこから東宝入社の道を歩んでいる。
久保明の代表作と言えば、どなたも『潮騒』(54/谷口千吉監督)の新治役を挙げるだろう。原作者の三島由紀夫自身、新治と初江(青山京子)の配役を映画の成功の一因と認める発言をしており、青山とのコンビは大いに人気を博したという。
再び青山と共演した『麦笛』(55/豊田四郎監督)や、実弟・久保賢=のちの山内賢と出演した『あすなろ物語』(同/堀川弘通監督)での久保の溌剌ぶりも実に印象深い。これが本人にとって幸福なことであったかどうかはさておき、こうして久保には終生、青春スタアとのレッテルがついて回ることとなる(※4)。
▲『東宝映画』61年10月号グラビア、63年8月号表紙を飾った久保明と水野久美(寺島映画資料文庫所蔵)
前述の傑作青春映画『二人だけの橋』以降、東宝で久保が〝主役〟級で活躍する作品は、あまり見られなくなる。黒澤映画にせよ成瀬作品にせよ、怪獣・特撮ものにせよ、さらには岡本喜八監督作にせよ、久保が演じる役柄はどれもありきたりの青年役ばかり。『マタンゴ』以外で異彩を放ったのは、石原慎太郎が監督した『若い獣』(58)のボクサー役くらいで、後年は誠に気の毒な俳優生活を送ることに。
肝心要の黒澤映画『椿三十郎』(62)に若侍役で抜擢を受けたときも、弟の久保賢とセットでの配役=兄弟役であり、悲しいほどに見せ場はなし(※5)。同じく山本周五郎原作の藩政改革もの『斬る』(68/岡本喜八監督)にまたも若侍として出演するが、ここでも星由里子をめぐって同志に殺されてしまうという悲惨な役柄だった。
その後、東宝の演劇部に移った久保をスクリーンで見ることはほぼゼロ。候補に上ったハヤタ隊員役=ウルトラマンを演じていていたら、運命はまた違った方向に進んだのかもしれないが、これも実現せず。久保明こそ、まさに〝悲しき青春スタア〟と呼ぶべき映画俳優なのであった。
二人のその後の俳優人生を振り返ると、やはり特撮ヒロインの人気は根強く、〈特撮ものにも出演経験はあるが決定的な役がない〉久保との差は歴然。水野は悪女より、フランケンシュタインの良き理解者や、南海の孤島に生きる女として、特撮・怪獣マニアの心に残る女優となる。
ただ、『怪獣大戦争』(65)で演じたX星人役が代表作と言われたら、ご本人はどうおっしゃるだろうか。筆者は『コタンの口笛』(59)のアイヌ娘や『その場所に女ありて』(62)の落ちこぼれキャリアウーマン、後年だと『恋は緑の風の中』(74)のお母さん役、それにテレビドラマ「気になる嫁さん」(71)の長女役などに魅力を感じたクチだが……。
※1 『マタンゴ』の大筋はウィリアム・H・ホジスンの短編『夜の声』に基づく。「原案」に名を連ねる星新一と福島正実がどこまでアイディアを出したかは不明だが、和田誠氏は、本作の元はサボテンと人間が合体するイギリス映画『原子人間』(55)にアメリカ映画の『ハエ男の恐怖』(58)と『恐怖のワニ人間』(59)だと指摘する。
※2 マタンゴたちの笑い声(?)にゾッとさせられた子供たちは、後年バルタン星人に恐怖の記憶を呼び起こされることになる。
※3 その初々しい演技が評価され新人賞候補に挙がった水野。某プロデューサーから「今年は佐藤允に譲ってくれ」と言われ、これを了承すると佐藤が本当に新人賞を受賞。映画界の裏側・実情を知り、大きな衝撃を受ける。
※4 当時、東宝青春スタアには江原達怡の他、『夏目漱石の三四郎』『朝霧』などの山田真二などがいたが、やはり大成せず。
※5 『二人だけの橋』でも久保明の少年時代を演じた久保賢。日活と契約したことで、結局、兄弟共演は叶わず。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。