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【三島・三嶋大社】8月16日は「源頼朝公旗挙出陣式」100日祈願の足跡をたどる

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静岡・三島市にある三嶋大社では、毎年8月16日に「源頼朝公旗挙出陣式」が行われます。出陣まで源頼朝が100日間祈願したと言われることにちなんだこの祭。三嶋大社と頼朝の関係に迫ります!

頼朝と三嶋大社の関係は

三嶋大社(三島市大宮町) 本殿と舞殿の前にある神門

源頼朝と三嶋大社とのつながりは、頼朝14歳の頃からです。

平治の乱の後、父と兄は処刑され伊豆に流された頼朝は、再び源氏の力を取り戻そうと、三嶋大社へ祈願していたのです。

8月16日に開催される源頼朝公旗挙出陣式について、権禰宜の髙松慎至さんに聞きました。

権禰宜の髙松慎至さん 本殿の前で

三嶋大社 権禰宜・髙松慎至さん:
三島は国府が置かれ交通の拠点だったので、三嶋大社は伊豆国の一宮の神社として厚く信仰を集めました。鎌倉幕府を開く約12年前、頼朝の出陣はこの地から始まったことが分かっています。出陣までには、100日祈願などの伝承があります 

流人の身から再興を果たすことは大変だったことでしょう。100日祈願はどんな様子だったのでしょうか。

出陣まで「100日祈願」の全貌

100日祈願とは、100日間毎日、神社に通って祈願することです。頼朝は100日祈願を達成した際には即座に出陣したと言われています。

当時、頼朝がいたのは蛭ヶ小島(伊豆の国市)。馬に乗ったかもしれませんが、徒歩では片道約2時間かかります。

蛭ヶ小島にある頼朝と政子の銅像

三嶋大社 権禰宜・髙松さん:
頼朝が100日祈願をしたという文献はありませんが、さまざまな逸話や奉納された品々から、100日祈願に来ていたと伝わっています。境内には、頼朝と政子が座ったと言われる腰掛け石や、警護のお付きが待っていた「相生の松」などがあります。

三嶋大社から徒歩5分の法華寺には、頼朝が写経した般若心経が納められ、境内には、頼朝が座ったと伝わる「頼朝公腰掛石」があります。

法華寺にある頼朝公腰掛石

他にも道中には人目を避けて夜参拝したため、眠たくなった頼朝が仮眠をしたという「間眠神社(まどろみじんじゃ)」、祈願に通う頼朝の身代わりになって殺された大庭景親の「妻塚」、立ち寄った店での「餅売り婆さん」の話など、頼朝にまつわる話が残っているそうです。

三嶋大社 権禰宜・髙松さん:
なぜ100日だったかは不明ですが、それくらいできないと願いは成就しないと思ったかもしれません

吾妻鏡には、頼朝が流された土地で次々と周りの人を味方にしていく姿が描かれています。

14歳から34歳で旗挙げするまでの20年間、平氏側の監視下で暮らしていたにも関わらず、いつの間にか頼朝に引かれて味方になったり、後に重要な家臣となった武士たちも多くいます。妻の政子もまた、監視役であった北条家の娘です。

頼朝が挙兵した日に「出陣式」

「吾妻鏡」によると、源頼朝は三嶋大社祭礼の日の8月17日(旧暦)に戦勝を祈願し、深夜に挙兵。戦いは18日未明に及び、敵方を討ち果たしたとされています。

その文が、境内にある石碑にも刻まれています。読んでみると、挙兵から敵を討つまで休むことなく次から次へと動き回る緊迫した様子が伝わってきます。

三嶋大社の境内にある石碑(画像提供:三嶋大社)


この故事にちなんで始まったのが「頼朝公旗挙出陣式」です。

頼朝や家臣役が、まず三嶋大社で祈願し、馬で市内を回って出陣の様子を再現します。

出陣式の過去の様子(画像提供:三嶋大社)

2025年の出陣式は、8月16日午後2時45分から本殿で出陣奉告祭が行われた後、舞殿前で始まります。

午後4時頃から、頼朝一行が大鳥居前を出発。2025年の頼朝役は、俳優の金子貴俊さんです。

旗揚げの様子が描かれた絵馬

三嶋大社 権禰宜・髙松さん:
出陣式はどなたでもご覧いただけます。馬に乗って市街へ出発する際は、境内の宝物殿前の道を通って行くので、そこでも行列を見ることができます

16日夜には「手筒花火神事奉告祭」、17日は「流鏑馬神事奉告祭」など、1年に1度しか見られない神事が行われます。

境内に残る2人の足跡

旗挙出陣奉告祭に訪れたら、境内の頼朝・政子ゆかりの場所も見学しましょう。

入口の松にある「相生の松」

大鳥居をくぐったすぐ右手には「相生の松」があります。黒松と赤松が一緒に生えている珍しい松です。

頼朝の側近である安達藤九郎盛長がこの場所で警護していたそうです。

「相生の松」前が赤松 奥が黒松

三嶋大社 権禰宜・髙松さん:
安達藤九郎盛長は、吾妻鏡にも登場する昔からの御家人です。相生の松は1つの根から異なる黒松と赤松が生え出ているように見えることから、縁結び、夫婦円満や長寿などの象徴とされています

安達藤九郎盛長がここで待機していたのなら、間違いなく頼朝もこの松を見ていたことでしょう。

頼朝・政子の腰掛石

総門の前の参道脇には、頼朝と政子が腰かけたと伝わるそれぞれの「腰掛石」があります。

ちなみに、頼朝と政子の腰掛石は熱海市にある伊豆山神社にもあり、そちらの腰掛石は二人掛けです。

三嶋大社の腰掛石

厳島神社

大鳥居を入った左手の池「神池」には、広島県にある厳島神社の御分霊を勧請し、頼朝が祈願達成の感謝の意を込めて建て、格別に崇敬していたと伝わっています。

厳島神社の神様は、安産・裁縫・家門繁栄などの守護神として信仰される市杵島姫命という女神様です。

神池に鎮座する厳島神社

厳島神社は平清盛が造営した平家ゆかりの神社です。

1185年4月に平家が滅亡したのは瀬戸内海の壇ノ浦。頼朝は同じ年の8月に、神池で魚などを放して殺生を戒める「放生会(ほうじょうえ)」を行っています。

吾妻鏡によると、源平合戦の勝利の知らせを聞いた頼朝は、歓喜することなく、しばらく黙していたそうです。

三嶋大社 権禰宜・髙松さん:
戦での殺生を戒めていたのか、鎮魂や殺生がない世を願って放っていたのか。いずれにしても祈願達成後に放生会を行ったという記録から、頼朝がどんな人物か分かるのではないのでしょうか

頼朝の人となりや志がわかり、誰しも祈願成就のために努力を惜しまないのならば、その祈願は達成できると教えてくれるのが、「頼朝公旗挙出陣奉告祭」なのかもしれません。

神池を悠々と泳ぐコイを見ながら吾妻鏡を回想し、頼朝と政子の時代に思いをはせる筆者でした。

■スポット名 三嶋大社
■住所 静岡県三島市大宮町2丁目1-5
■社務所開所時間 平日8:30~16:00 
      土日祝8:30~16:30
■問合せ 055-975-0172

取材/麻衣子

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