<社会人野球・日本選手権>ヤマハ 9年ぶり優勝 エース左腕・佐藤廉がMVP 中高は「無名の補欠選手」 人生を変えたある人の助言
社会人野球の日本選手権で2016年の第42回大会以来、9年ぶり2度目の優勝を飾ったヤマハ。エース左腕、佐藤廉投手(修徳高―共栄大)が初戦から決勝まで全5試合に登板し、決勝は1失点完投でチームを頂点に導いた。
決勝で投じた115球のうち140㌔台の球は10球ほど。11安打されたが、制球力と巧みな投球術で打たせて取り、走者を背負っても決定打を許さなかった。
要所で見せた胆力
八回に1点を失ってなおも1死一、二塁のピンチは併殺。九回1死二、三塁と一打サヨナラの場面は、得意のスライダーで連続三振と驚異の胆力を発揮した。
「(九回の)あの場面は三振を取らなきゃいけないと思ったので、特に腕を振って、狙って三振を取れたのが良かったです。あまり疲れは感じてなくて、もう一試合投げられるくらいの体力があります。プレッシャーを楽しさに変えてできたので良かったです」
しびれる場面を乗り越え、偉業を達成した直後とは思えぬ、ひょうひょうとした語り口でヒーローインタビューに答えた佐藤廉投手。
「無名の補欠選手」
名門の大エースに成長した左腕だが、中学、高校時代は「無名の補欠選手」。高校1年の冬には自らの判断で外野手に転向し、1年間は外野手として練習していたという。
人生を変えた言葉
ところが、社会人の元選手だった同級生の父親から、思わぬ言葉をかけられた。
「お前はピッチャーをやっていたらいいところまで行く。ピッチャーに戻してほしいと監督に言ってきなさい」
それが転機だった。「投手に戻らせてください」と監督に伝えたその日から、練習姿勢も一変。大学で野球を続けることが目標になった。
後輩を導く立場に
大学1年のころに、三つ上の先輩が社会人野球に進み、「結果を出せば社会人に行ける」と触発された。ヤマハ入りしてからは「東京六大学や東都のように全国常連ではない大学出身でも社会人でやれるということを示せたら」と、今度は自分が後輩を導く側に回った。
日本一、MVPに
今大会の最高殊勲選手賞(MVP)に輝いた佐藤廉投手。
「友達のお父さんが思っていた以上になれたんじゃないかと思う。ただ、その人がピッチャー戻れと言ってくれなかったら、野球は大学でやっていなかった。改めて感謝する気持ちがあります」と、恩人に思いをはせた。
(編集局ニュースセンター・結城啓子)