【特集】ベンチャー企業が田植えで社員研修? 「法人棚田研修サービス」で里山の保全と関係人口増を目指す星裕方さん(新潟県十日町市)
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初回掲載:2024年7月19日
田植えを体験するASTRA FOOD PLANの社員たち(写真提供:星裕方さん)
5月後半のある日、県内屈指の景勝地である星峠の棚田(新潟県十日町市)で田植えが行われていた。顔ぶれを見ると、若い人も多い。実は彼らは地元の住民ではなく、フードテックベンチャー・ASTRA FOOD PLAN株式会社(埼玉県富士見市)の社員たちで、棚田を通した社員研修を行っているのだ。
発案したのは、十日町市の地域おこし協力隊でもある星裕方さん。星さんは、新たな方法で棚田の保全と関係人口増を目指している。
企業と棚田を「研修」で結ぶ
星裕方さん(写真)。星さんは東京都の出身で、PR会社での勤務やライターなどの経験を経て、現在は十日町市へ地域おこし協力隊として移住。星さんは「PRの仕事をやっていて、ある時からブームに疲れる」ようになっていたと話す。「里山での、棚田のある暮らしも、それを守る父ちゃん母ちゃんも、僕の中では『不易』な存在。ネットでどれだけディープフェイクや一過性の情報が氾濫しても、自然と向き合い、汗を流す姿には嘘偽りがない。そういった、リアルでひたむきで実直な暮らしができるのが、この棚田地域の最大の魅力」と語る
全国に存在する棚田。その景観の美しさはもちろんだが、雨水・雪解け水の貯蔵や洪水・土砂災害を抑制するなどの効果もある。特に新潟県は面積が広いこともあり、農林水産省の「つなぐ棚田遺産(ポスト棚田百選)」に選定された棚田は全国で最も多い。一方で、山間部の過疎化などによって棚田は減少の一途をたどっているのが現状だ。
前出の星峠の棚田を含め複数の棚田を抱える十日町市でも危機感を募らせるが、そんななかで星さんが発案したのが法人棚田研修サービス「Rice Co-Work」だ。
これは企業に棚田を通じた研修を提供するもので、舞台となる棚田や宿、同時に行う室内研修や満足度の調査などといった点も含めてトータルプランニングする。基本的に、顧客の企業が棚田に赴くのは田植えと稲刈りの年2回だが、除草や稲揚げなどの作業もオプションとして用意する。
顧客の企業としては、共同作業によるコミュニケーションの円滑化や相互理解、日常の業務から離れて理念共有を図るなどの効果が期待できる。また直近の事例では、採用候補者にも参加してもらうことでその会社へのリクルートに繋がったこともあったという。
近年はチームビルディングの市場も伸びている。星さんによると、「Rice Co-Work」で主に狙うのは組織拡大期のベンチャーや人的資本経営を目指す上場企業。一方で棚田の保全に繋がる点も最重要で、農業体験指導料として売上の一定割合を関わった地元農家へ還元するシステムを構築する。
田植え研修で「上下関係のない素のコミュニケーション」
田植えを体験するASTRA FOOD PLANの社員たち(写真提供:星裕方さん)
田植えを体験するASTRA FOOD PLANの社員たち(写真提供:星裕方さん)
今春、星峠の棚田を訪れたASTRA FOOD PLANは、食品工場から出る「食品ざんさ」を活用しフードロスの削減を目指すベンチャー企業。「Rice Co-Work」に参加するのは昨年に続き2回目で、前回は蒲生の棚田(新潟県十日町市)で田植えと稲刈りを体験した。
今回参加したのは、社員とその家族含め15人ほど。古民家を改修したシェアスペース「IZUMIYA」に宿泊し、1日目は「MBTI」を使った自己理解のワークショップで社員の相互理解を深め、2日目に田植えに赴いた。
田植えを終えて同社の加納千裕代表は「十日町の棚田群の景観は非常に素晴らしく、日頃都市部で仕事をしている私たちにとっては非日常的な環境でとても新鮮だった。田植えは初めての人が多く、最初は深水で足を取られて苦戦したが、次第に慣れて、時間内までに植え切ったときには、みんなで達成感を共有できた」と話す。
一方で、社員研修としての効果はどうだろうか。田植えから約1カ月後、社内での様子を聞くと「田植え体験を含む十日町での合宿がきっかけで、入社したばかりの社員もチームに打ち解けて、コミュニケーションが円滑になった」と加納代表。「田んぼの中では上司部下ではなく、田植えを時間内に完了する目的を共有したフラットな関係性になる。上下関係のない、素の状態のコミュニケーションは純粋に楽しく、和気あいあいとできた」という。
「里山と都市の循環を」
星峠の棚田
星さんは今年2月に開催された「NIIGATAベンチャーアワード2023」で法人棚田研修サービス「Rice Co-Work」と「棚田ステーション」の事業を発表。ビジネスアイデア部門最優秀賞を受賞した
星さんによると、現在田を「契約」している農家は1軒(面積は5反程度)だが、受け入れ先が必要な際に協力を仰げる農家は4~5軒(面積は1.5~2町程度)ほどあるという。今後も「研修の案件が増えた際に、いつでもご相談できる関係性を築いていくことが重要。例えば、企業研修でなくても過去に学生の農業体験を受け入れた経験がある農家さん、ないしは移住者などで新しい取り組みに前向きな農家さんなどから関係性を広げていく予定」(星さん)だ。
事業を進めるなかで農具の手配や着替え場所の確保などの壁に当たり、現在もスタッフの確保といった課題はある。しかし、今年は作業道具の保管や着替え場所、コワーキングスペースなどを備えた施設「棚田ステーション」のクラウドファンディングを達成し整備に乗り出すなど、着実に前進を続けている。来年度の研修受け入れ目標は3社で、その翌年は7社を目指す。
星さんは語る。「棚田で汗を流しながらお米を作ってきた先輩たちの背中を見ていると、彼らのような存在が自分たちの世代にも増えれば、もっと明るい未来が来るんじゃないか、と希望が持てた。これまで培ったPRの力を信じて、里山と都市の循環を生み出す役割に徹しようと覚悟を決めた」。
棚田と企業を結びつける発想と手腕は、PR会社などでの経歴を持つ星さんだからこそ。ユニークな手法で地方・都心の境界を飛び越えていく十日町の里山に、今後も注目したい。
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