怒りを御するとはどういうことか
父は若いころ、すぐに怒る人だった。
自動車の運転をすれば前の車のマナーに怒り、仕事では「きっちり仕上げない人」に対して怒り、自分の書斎の物を動かす家族にも怒った。
イライラがデフォルトのようだった。
学生の時の担当教官も、すぐに怒る人だった。
論文の読み込みが甘い学生を厳しく叱責し、発表に対してはパワハラまがいの容赦ない非難を浴びせた。
他の研究室で、その様子が噂になっていたほどだった。
私の上司も、よく怒る人だった。
クライアントへサービスする部下たちの能力の低さに怒った。
会社の方針に賛同しない社員に対して怒った。遅刻者やルール違反を犯した人間にはさらに激しく怒った。
あまりに彼が激しく怒るので、多数の人が辞めていった。
そうかんがえていくと、私の生涯におけるキーパーソンには「いつも怒っている人」が少なからずいた。
もちろん、ビジネスの現場だけではなく、世の中全体も同じだ。
妻は「激しく怒る人」によく遭遇しているという。
子どもに対してすぐに怒りを爆発させる母親。
自分の思い通りにならないと、すぐにキレる知人。
あるいはツイッターを見れば、そこかしこに「怒り」がある。
無能な政治家に、不倫した芸能人に、裁判の判決に、犯罪者に、暴言に、ブラック企業に、外国人に、税金に……
それこそ無数の怒りが、webを覆っている。
つまり、多かれ少なかれ、実際には、ほとんどの人は毎日「怒っている」。
ただ、私は「怒ることが悪い」というつもりはない。
そもそも、怒りを「我慢している」状態は、とても体に悪い。よりストレスに晒されてしまうからだ。
精神科医の片田珠美氏は、怒りを抑圧していると、ある時突然キレて社会的に取り返しのつかないことになったり、飲酒などで自分を破壊する衝動につながったりする、と警告している。
だから、「怒り」を感じるのは自然なこととして受け入れなければならない。
ただ、怒りは、負の側面も大きい。
時と場所をわきまえず怒る人、いつも怒っている人が好きな人はいない。
社会的な制裁が待っている。
だからトータルで見て我々に必要なのは、、怒りをうまく御する方法、怒りを原因とする社会的な破滅や、私的生活の破滅を防ぐ方法なのだろう。
実際、「激しく怒る人」は、企業内、ビジネスではかなり減ってきているように感じる。
コンプライアンスを意識しているのか、怒りでは何も変わらないと諦めているのか。その両方か。
「怒ると頭が悪くなり、やらかす可能性が高くなる」
そういうことを教えられ、平静を保つ訓練を受けている人も増えたのかもしれない。
「怒り」に振り回されず、それを使いこなす人たち
一方で、世の中には非常にしたたかな人も存在している。
「怒り」に振り回されず、それを使いこなす人たちだ。
彼らは「怒りをガマンしているので怒らない」と誤解されがちだが、実はそうではない。
そもそも、「怒る」という事に対して、ちょっと考え方が異なる。
私の知人もその一人だ。
例えばどこにでも、人が集まると「老けた?」とか「太った?」とか余計なことを言って、他人を怒らせる輩がいる。
しかし、その知人は、そう言われて怒るどころか、「いやー俺も歳だからさ」と軽やかに受け流す。
あまつさえその輩に「君は若いね、全然変わってないよな」と、褒めさえする。
周囲の人間の中には、それを見て「いや、そこまで言われたら怒れよ!」と、本人でもないのに怒る人もいるくらいだ。
だから、聞いてみたことがある。
「なんで怒らないの?」
「我慢するのは体に悪いよ?」と。
彼は言った。
「何で怒る必要があるの?時間もったいないじゃない。」
怒りを御するとはどういうことか
いったいどういうことなのか。
大多数の人が、「怒りたくないのに、怒ってしまう」ことに悩んでいるのに対して、彼は全く逆の発想を「怒る」に対して持っていた。
彼はこういった。
「怒ることに実入りがある、怒る必要がある時には、ちゃんと怒りを表明しますよ。」
発想の違いが判るだろうか。
多くの人にとって「怒り」は、一種の生理現象であるのに対して、彼にとって、「怒り」は、たんなる問題解決の「手段」の一つに過ぎない。
これはなかなか賢い発想だと思う。
だから、私はきいてみた。
「話を聞いてると、まるで「怒り」を感じない人みたい。なんでそんなことができるの?」
彼は言った。
「怒りを感じるのは誰でも一緒。だけど「怒る」と「我を失う」こととは、実は簡単に切り離せる。」
「どうやって?」
「カンタンだよ。「ここで相手を責める、不快感を示す、怒鳴る、そしたら問題は解決するか?」って考える。」
つまり、彼の言い分はこうだ。
我を失って、怒鳴り散らして問題が解決するならぜひそうする。でも大抵は無駄で結局、気分も全くスッキリしない。揉め事が大きくなる。
だから、まずは怒鳴るのではなく、「ほしい結果」だけを考える。
彼の言う「ほしい結果」とは例えば、こんな感じだ。
・相手が反省する
・相手の行動が変わる
・自分の理想の状態になる
そして最後に、彼はこういった。
「もちろん、「相手を全力で傷つけたい」ときには、怒鳴るしかない。でも幸いなことに、今までそういうケースはない。」
「イヤなことを言われたとき、「やり返したれ!」と思わないの?」
「ん-、やり返したら、そいつがビビッて、そういうのが止まるんだったら、やるかな。ただ、そういう姿を第三者に見られてしまうデメリットもあるからね。迷うね。そこに誰もいなかったら、「二度というな」って脅すかも(笑)」
なるほど、と思った。
彼の中では、「怒ること」と、「我を忘れてバカになること」が、別に定義されている。
だから、感情と行動を切り離せるのだ。
後先考えずに怒りを表明すれば「愚か者」のレッテルを貼られてしまう。
だが、それを知って、適切に怒りを使えば、相手を動かすこともできる。
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アンガーマネジメント協会理事の安藤氏によれば、怒りとはほとんどの場合において、「コアビリーフ」、つまり我々が「こうあるべき」と信じていることが、裏切られたときに発生するという。
精神科医の水島広子氏は怒りの原因を
1.期待値や予定が狂ったことに対する怒り
2.軽んじられた・侮辱されたことに対する怒り
3.我慢をさせられたことへの怒り
といった形に分類している。
世の中はままならず、思い通りにいくことはほとんどない。
だから、我々は日々、怒っている。
しかし、それが、後先考えない愚かな行動に転換されるかは、自分で選択できる。
「7つの習慣」は、「刺激」(不快な現状)と、「反応」(我を忘れて怒鳴るなど)の間には、スペースがあり、人間は他の動物と異なるのは、「反応は自分で選べる」点だと主張する。
精神科医の水島氏は「傷つけているのは自分」と言い、安藤氏は、「怒りの感情のままに行動するのではなく、自らの意志でどのように行動すればよいのかを考えて選択する」という。
つまり「怒り」を感じることは真っ当で、そこには自分にとって大切な欲求が発生している。
しかしそんな時こそ、頭を使って、戦略的に動かないと、望む現状は手に入らない。
感情を爆発させるだけでは、ますます人は去り、現状は細っていく。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」65万部(https://amzn.to/49Tivyi)|
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Photo:Andrea Cassani