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愛知県美術館で約30年ぶりの大規模な「パウル・クレー展」(読者レポート)

アイエム[インターネットミュージアム]

愛知県美術館で「パウル・クレー展 創造をめぐる星座」が始まりました。 パウル・クレーはスイスで生まれ、独特な線描と豊かな色彩を特色とする作品を制作し、シュルレアリスムの先駆者ともいわれています。

もしかすると、パウル・クレーに対して孤高の作家というイメージをお持ちの方もいるかもしれませんが、彼は同時代の作家たちとお互いに影響を受けたり、与えたりしながら、制作をしています。その中には、例えばヴァシリー・カンディンスキーらの結成した「青騎士」の作家も含まれます。

本展は、愛知県美術館としては約30年ぶりに開催される大規模なパウル・クレーの回顧展です。展示作品数は約100点で、パウル・クレーの出身地であるスイスのパウル・クレー・センター、バーゼル美術館のほか、日本国内各地の美術館から60点以上のパウル・クレーの作品が集結しています。

本展の展示は6章に分けられ、パウル・クレーの作品だけでなく、彼と交流のあったヴァシリー・カンディンスキー、アウグスト・マッケ、フランツ・マルクなどの作品も展示されています。


会場入口


会場入口に立てられた大きな顔のパネルの前を通り、展示室に入ります。それでは、順番に作品を見ていきましょう。

第1章 詩と絵画

本章の冒頭には、1906年のミュンヘン分離派展に展示されたの連作の一部が展示されています。分離派展への参加は、パウル・クレーが初めて自分の作品を公に発表する機会でした。

本章で気になった作品は、〈インヴェンション〉の連作の先にあります。 パウル・クレーと聞くと、抽象的な作風が思い浮かびますが、こちらの3点は、描かれている対象が読み取りやすいです。

左側の《リリー》は、シンプルな白のブラウスに濃い灰色のスカートを着用した女性の立ち姿を横からとらえています。描かれているのは、後に彼の伴侶となる女性です。ベルトに下げられたチェーンのアクセサリーが、とてもおしゃれだと思います。

右隣の《おりたたみ椅子の子供》、《座っている少女》も、モデルに対する温かいまなざしを感じる、優しい印象の作品です。


左から パウル・クレー 《リリー》1905 パウル・クレー・センター、《おりたたみ椅子の子供》1908 宮城県立美術館、《座っている少女》1909 パウル・クレー・センター


第2章 色彩の発見

1914年、パウル・クレーは、ルイ・モワイエ、アウグスト・マッケとともに、チュニジアに旅行しています。この旅行の日記には「色彩が私を捉えたのだ」という有名な一節が出てきます。本章以降、色彩にあふれた、パウル・クレーらしい作品が出てきます。

本章で紹介するのは、キュビスムから受けた影響が強く表れている《北方の森の神》です。本作では、大小多数の四角形で構成された神様の上半身(と思われる)を、濃い緑と青で塗分けています。服(と思われる)の輪郭が、四角く角張っているので、鎧をつけた戦の神様のように、いかめしい印象です。右隣の《無題》と比べると、キュビスム的な描き方をいろいろと試しているように思われます。


左から パウル・クレー 《北方の森の神》1922 パウル・クレー・センター、《無題》1914 パウル・クレー・センター 


第3章 破壊と希望

1914年、ヨーロッパは第一次世界大戦の荒波にさらされます。パウル・クレーと交流のあった作家の中には、兵士として戦場に赴き、戦死する者もいました。

《破壊と希望》は、当初、「攻略された要塞」というタイトルでしたが、パウル・クレーは後にリトグラフに手彩色を加え、タイトルを「廃墟と希望」に変更し、さらに《破壊と希望》に変更しました。悲惨な戦争の体験により、誰もが「希望」を必要としていたのでしょう。

右隣の《インテリア》を見ると、これまでの作品に比べ、かなり織り目の粗い画布が使われています。絵の具がつかず、布の地色の目立つ画面を見ていると、当時の荒々しい空気感を感じます。


左から パウル・クレー 《破壊と希望》1916 東京国立近代美術館、《インテリア》1918 宮城県立美術館


第4章 シュルレアリスム

第一次世界大戦中から、パウル・クレーの評価は次第に高まります。展覧会の経済的な成功、美術学校への招聘など、ドイツ国内だけでなく、フランスでも彼の芸術は受容されていきます。パウル・クレーは、シュルレアリストを自称することはありませんでしたが、同時代の多くのシュルレアリストは、彼の作品に注目しました。


展示風景


本章に展示されるジョルジョ・デ・キリコやマックス・エルンストなどのシュルレアリストの作品を見ると、パウル・クレーをシュルレアリスムの文脈に位置付けることになんの違和感もありません。

また、絵画だけでなく、立体作品にも興味深い作品がたくさん出てきます。本展の中で、一番楽しめるコーナーだと思います。


展示風景


第5章 バウハウス

1920年、パウル・クレーはヴァイマルのバウハウスに「マイスター」として招聘されます。 当時のバウハウスには、校長のヴァルター・グロピウスの他、リオネル・ファイニンガー、ヨハネス・イッテンなどがいました。また、パウル・クレーと同じ頃に、ヴァシリー・カンディンスキーもロシアから合流しました。

《緑に向かって》は、1929年のパウル・クレーの誕生日に、ヴァシリー・カンディンスキーから贈られたものです。画面の中央に、円形の重なりが描かれ、周辺に幅の広い、濃い灰色の余白がとられています。本作には水彩絵の具の吹付という技法が使われています。この技法は、以前からパウル・クレーも使っており、両者の呼応する関係性が見て取れます。 《無題》と《下部構造》には、ロシア構成主義の作品にみられる幾何学的な要素が見て取れます。カンディンスキーらしい作品であると同時に、パウル・クレーの作品との共通性も見て取れます。


左から ヴァシリー・カンディンスキー 《緑に向かって》1928 パウル・クレー・センター、《無題》1923 DIC川村記念美術館、《下部構造》1933 DIC川村記念美術館


第6章 新たな始まり

1940年、パウル・クレーは亡くなります。《無題(最後の静物画)》は、主なきアトリエに残された作品のひとつです。本作を見ると、花瓶やポット、彫像の他に、左下に天使を描いた「画中画」が見て取れます。

《天使、まだ醜い》と思われるこの作品を「画中画」として埋め込んだ時、パウル・クレーはどのようなことを考えていたのでしょうか。


左から パウル・クレー 《無題(最後の静物画)》1940  パウル・クレー・センター、《山への衝動》1939 東京国立近代美術館


本展を訪れ、久しぶりにパウル・クレーの作品をまとめてみることができました。また、2度にわたる世界大戦の時代に活躍した他の作家の作品も、いろいろと見ることができました。 展覧会を見終わったばかりですが、パウル・クレーや他の作家、彼らの活躍した時代のことをもっと知りたい、そういう気持ちをとても強く感じる展覧会です。

コレクション展

2024年度第4期コレクション展では「みんなの文化会館美術館」の展示が印象的です。 愛知県美術館と言えば、愛知芸術文化センター内に設置された現在の美術館しか知らない方もいると思いますが、現在の美術館の開館は1992年です。それ以前、愛知県の人々はどこで展覧会を見ていたかというと、現在のオアシス21の場所にあった愛知県文化会館内に併設された文化会館美術館を利用していました。


手前 愛知県文化会館の模型


この施設は、当初、コレクションを収集しない、展示会場のみのギャラリーとしてスタートしましたが、国内有数のコレクションを所蔵する現在の美術館の開館にあたり、その役割を終え、閉館しました。

愛知県美術館という呼称は同じでも、その規模と内容に大きな違いがあることが、本展の展示を見るとよくわかります。

[ 取材・撮影・文:ひろ.すぎやま / 2025年1月17日 ]

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