「日本映画に強い憧れを抱いている」名匠ウォルター・サレス待望の最新作『アイム・スティル・ヒア』
抑圧の時代に、真実を語り続けた一人の女性の静かな叫び。世界が忘れた“声なき物語”が、いま再び蘇る。「第97回アカデミー賞」で、ブラジル映画初の国際長編映画賞を獲得したほか、主演女優賞、作品賞にもノミネート。名匠ウォルター・サレス監督(『セントラル・ステーション』『モーターサイクル・ダイアリーズ』)が手がけた最新作『アイム・スティル・ヒア』が、現在劇場公開中だ。このたび、監督から寄せられたコメント映像と、人間の冷酷さを浮き彫りにする本編映像が解禁となった。
たった一人の声が、歴史を動かす
1970年代、軍事独裁政権が支配するブラジル。元国会議員ルーベンス・パイヴァとその妻エウニセ(フェルナンダ・トーレス)は、5人の子どもたちと共にリオデジャネイロで穏やかな暮らしを送っていた。だが、スイス大使誘拐事件を境に政情は一変し、抑圧の波が市民を覆ってゆく。ある日、ルーベンスは軍に連行され、そのまま消息を絶つ。突然、夫を奪われたエウニセは、必死にその行方を追い続けるが、やがて彼女自身も軍に拘束され、過酷な尋問を受けることとなる。数日後に釈放されたものの、夫の消息は一切知らされなかった。沈黙と闘志のはざまで、それでもなお、彼女は夫の名を呼び続けた——。自由を奪われ、絶望の淵に立たされながらも、エウニセの声はやがて、時代を揺るがす静かな力へと変わっていく。
『セントラル・ステーション』で国際的評価を築いたウォルター・サレスが、長編としては16年ぶりに祖国ブラジルにカメラを向けた本作は、軍事独裁政権下で消息を絶った政治家ルーベンス・パイヴァと、夫の行方を追い続けた妻エウニセの実話に基づいている。サレス自身、幼少期にパイヴァ家と親交を持ち、この記憶を、喪失と沈黙をめぐる私的な問いとして丁寧に掘り起こした。自由を奪われ、言葉を封じられても、彼女は声をあげることをやめなかった。サレスは、理不尽な時代に抗い続けたひとりの女性の姿を、美しくも力強い映像で永遠の記憶として刻みつける。
主演を務めたのは、サレス作品の常連にして名優フェルナンダ・トーレス。静かな闘志と深い慟哭を織り交ぜたその演技で、アカデミー主演女優賞にノミネートされた。そして、エウニセの老年期を演じたのは、実の母であり『セントラル・ステーション』でブラジル人初のアカデミー主演女優賞候補となったフェルナンダ・モンテネグロ。母と娘、ふたりの女優が、記憶と時代、そして命の継承を映し出す。
「小津安二郎、溝口健二、小林正樹の時代から、是枝監督の時代まで日本映画に強い憧れを抱いています」と、日本への敬意を語り、「私にとって意義深い」と公開の喜びを表現。「これは始まりの物語であり、喜びの物語」と語りながら、突然もたらされた喪失をどう乗り越えるのか、そしてどのように生き続け抵抗し、どのように受け入れて共に生きていくのかと本作を説明。「私にとってこれは人生そのものについての映画です」と想いを寄せている。
続く本編映像では、夫救出の手がかりを握る友人に、軍施設での目撃証言を懇願するエウニセの姿を捉えたもの。友人はエウニセの必死の訴えにも「悪いけどこの問題には関われない」と冷たく拒絶、「力を貸して。逮捕を証明しないと夫の命が危ないの」「それはみんな同じよ」と一蹴する。信頼や友情よりも恐怖が勝り、助けを求める声さえ届かない——そんな孤立無援の苦しさと、人間の冷酷さを浮き彫りにするシーンとなっている。
「彼らの家は、私の思春期に深く刻まれた記憶の場所です。戸も窓も開け放たれ、世代や立場を越えた人々が自由に集うその空間は、独裁下のブラジルでは極めて特異で象徴的なものでした」本作のパイヴァ一家と実際に懇意にしていたサレス監督は自身の記憶を語る。「あの家そのものが、<こんな国にしたい>という理想の縮図だったのです」「(ルーベンス・パイヴァが失踪する前の)1960年代初頭のブラジルは、オスカー・ニーマイヤーやルシオ・コスタの建築、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルの音楽、そしてシネマ・ノーヴォの映画運動に象徴されるように、自由で包摂的な未来を夢見ていました」「パイヴァ家は、その理想を日々の暮らしのなかで実践し、抵抗を続けていた」と語り、しかし「1964年のクーデターは、彼らが体現していた理想を押し潰し、ルーベンスの悲劇的な運命へと至る過程の決定的な転換点となりました」と述懐。自由を希求したかつての希望の時代が、いかにして抑圧と暴力に取って代わられたのか、そしてその過程が、今まさに再び繰り返されようとしているのか——静かな警鐘とともに振り返っている。
『アイム・スティル・ヒア』は全国公開中