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始まったのは明治時代!博多のバーゲンセール『せいもん払い』を知っていますか?

フクリパ

始まったのは明治時代!博多のバーゲンセール『せいもん払い』を知っていますか?

福岡市内では毎年11月15日~20日の6日間、各商店街において『せいもん払い』という年に一度の大売り出しが開催されます。バーゲンセールの先駆けであるせいもん払いには、大勢の買い物客らが詰め掛けて、にぎわいをみせます。せいもん払いは一体いつ、誰がどのような理由で始めたのでしょうか。

せいもん払いのルーツは京都、大阪での大売出しがヒントとなる

せいもん払いとは、まだバーゲンセールという売り出しが無かった1879年(明治12)、博多商人らが始めた大売り出しだ。
そのきっかけになったのは、大阪での大売出しである『誓文払い』とされている。

 

 

当時、西南戦争後のインフレ状態が続き、博多の町も不景気だった。
そうした中、下川端で商売を営んでいた一人の博多商人が大阪へ出向いた。
そして10月20日、偶然にも目にしたえびす祭での呉服商による売り出しである誓文払いは、大変な盛況ぶりだった。

 

 

江戸期の商売において、掛値なしで正当な価格を表示する正札という考えはなく、客との駆け引きによって商品の価格を決めることが一般的だった。
そして、陰暦10月20日、京都の商人や芸妓、娼婦らは、京都・四条京極にある『冠者殿社』(官者殿社)へ参拝していた。
彼ら・彼女らは、この一年に商売上の駆け引きでついたうその罪を払って、神罰を免れることを祈っていたそうだ。

 

 

参拝先である冠者殿社とは、創建時期は不明ながら、八坂神社の境外摂社である。
祭神として祭っている天照大神と素盞鳴命との誓約の話から、もともとは誓文の社とされていた。

 

その一方で鎌倉初期、源義経の暗殺に失敗して敗死した土佐坊昌俊を祭っていることから、『誓文払い』『誓文返し』の神社としても知られる。
熊野詣を装って上洛した土佐坊昌俊は、源義経と武蔵坊弁慶によって暗殺の密命を見破られたものの、「討手ではない」として、誓紙となる起請文を7枚書いたそうだ。
しかし、約束を違えた土佐坊昌俊が、源義経らを夜襲したところ、逆に捕らえられて斬首されてしまう。
その際、土佐坊昌俊が、「この後、忠義立てのために偽りの誓いをする者の罪を救わん」と願を掛けたという故事から、誓文を払う神、誓文返しの神になったとされる。

 

 

京都・冠者殿社への参拝が浸透した江戸期の大阪において、ある呉服商が、商売の神であるえびすへの感謝祭である、旧暦10月20日のえびす講の催しとして売り出しを始めたという話もある。
えびす講では、えびすを商売の神としてあがめながら、商売上の駆け引きでついたうその罪を許されることを願って年に一度、掛け引きなしの売り出しを店頭で行っていたという。
この売り出しは、誓文払い、またはえびす講と呼ばれていた。
なお、旧暦10月は神無月であり、全国の神々が出雲に集まる中、七福神のうち、えびす神、もしくはかまど神は、出雲に赴かない留守神とされている。

 

 

博多で『せいもん払い』がスタートして今年で146年

画像提供:上川端商店街振興組合

1879年(明治12)12月3日、大阪で開催されたえびす祭から実に1カ月半後、福博の呉服商27店が参加して初の合同大売出しが、『誓文晴れ』の名称で始まった。
当時、大売出しといえば、店が倒産した時の『蔵ざらえ』だけという時代だった。
このような中、大売出しである誓文晴れを立ち上げたのは、大阪でえびす祭における誓文払いの盛況ぶりを目のあたりにした博多商人の八尋利兵衛だった。

 

 

誓文晴れの開催に際し、八尋利兵衛は、宣伝のために広告チラシを1万枚制作し、周辺の郡部にまで配った。
その結果、人々が呉服商の店頭に押し寄せて、大成功を収めた。
その後、八尋利兵衛は、福袋の販売をはじめ、鉄道会社や旅館、券番などとの割引など数々のアイデアを打ち出して、さらなる呼び込みを図った。

 

 

もっとも、八尋利兵衛自身は14歳の時から博多の呉服商で修行したものの、30歳の時に漬物店である『八尋金山堂』を開いた。
呉服商による共同の大売出しである誓文晴れにおいて、漬物商である八尋利兵衛自身に直接的な利得は無かった。
しかし、損得抜きで取り組んだ八尋利兵衛の姿勢は評価されて、その名を挙げた。
誓文晴れを始めて25回目となる1903年(明治36)からは、参加する店舗を呉服商に限らず、全業種に広げて、地域を挙げての大売出しへと発展させていく。

 

 

かつて旧暦10月20日に開催されていた誓文払いをルーツとするせいもん払いは現在、月遅れの11月20日までの6日間にわたって開催されている。
戦後の一時期まで『誓文晴れ』と呼ばれていたものの、福岡商工会議所の申し合わせによって現在、『せいもん払い』という名称に統一されている。

 

 

せいもん払いの発祥地・川端通商店街は2つの商店街から成る

福岡市の中心部、博多座が面する明治通り、キャナルシティ博多と隣接する国体通りを結ぶ南北400メートルの川端通商店街において、せいもん払いは始まった。
現在、130軒余りの店舗が軒を連ねる川端通商店街において、実は上川端商店街と川端中央商店街の2つの異なる商店街からなる。

 

 

かつて博多の自治組織の単位だった流において上川端商店街は土居流であり、一方で川端中央商店街は大黒流となっており、流自体も異なる。
もっとも、両商店街では、共同の売り出しや催事を行なっている。
せいもん払いでも両商店街は伝統の赤や濃紺の三角旗でアーケードを埋め尽くし、初冬の大売り出しを盛り上げている。

 

 

福岡市民から親しまれているせいもん払いについて、福岡市商店街百貨店量販店連盟の会長を務める正木研次・上川端商店街振興組合理事長は、、次のようにコメントする。

正木研次理事長

櫛田神社の門前町でもある川端通りは、江戸時代から博多川沿いに町並みがありました。
かつて商品の値段が駆け引きで決まっていた時代に正札販売による大売出しとして、『せいもん払い』が始まりました。
商店街にとっては、歴史を刻む催事であり、博多の風物詩となっています。

今日、流通業界全般が苦労している状況下、福岡市内では、せいもん払いの広がりだけでなく、業態の枠を超えた交流も生まれています。
せいもん払いの前日には、商店街をはじめ百貨店や量販店の関係者らも一緒になって、八尋利兵衛翁の墓参りや櫛田神社内にある夫婦恵比須神社を参拝しています。

 

画像提供:上川端商店街振興組合

 

 

明治期の博多を盛り上げた稀代のアイデアマン・八尋利兵衛

清流公園にある向島住吉遊園地の竣工を記念した『博多町家寄進高灯籠』

 

今日のせいもん払いにつながる誓文晴れを立ち上げた八尋利兵衛は、東京・向島の遊園地におけるにぎわいを見て、当時の那珂郡住吉村(現福岡市博多区住吉1丁目、2丁目)での遊園地開発を提唱した。
1897年(明治30)、中洲から住吉にかけての那珂川沿いの堤防を広げて整地した『向島住吉遊園地』には、約1,000本の桜や柳が植えられていた。
福岡市博物館所蔵『住吉堤防増築創立画集』には、桜や柳などの並木に囲まれた公園で宴会を楽しむ男女をはじめ、三味線を弾く人や扇を片手に踊る人、手拍子をたたく人、にわか面を付けた面々などが描かれている。

 

 

1900年(明治33)、遊園地の開園記念として大きな石灯籠が建てられた。
中洲の南端、那珂川と博多側が分岐する清流公園の先端部に建つ、高さ約10メートルの『博多町家寄進高灯籠』だ。
常夜灯として明かりをともしていた石灯籠の四面には、遊園地開発に出資した商店の屋号が各面に刻まれており、当時としては珍しい広告塔だった。
その後、遊園地は市街地化され、石灯籠も1954年(昭和29)、清流公園内の現在地へ移された。

 

 

1902年(明治35)、八尋利兵衛は中州に八角形の木造8階建て、高さ約30メートルの高層楼『高砂館』を建てて、人々を驚かせた。
東京・浅草にあった『浅草凌雲閣』に影響されて建てた同館内は、商品の展示場となっていた。そして、7階と8階には、舶来製の望遠鏡も備えており、見物客らが列をなしたそうだ。
もっとも、建物の敷地が借地だったため、完成後わずか半年で解体されてしまったという。

 

 

1917年(大正6)に八尋利兵衛が那珂川で始めた花火大会は、後に大濠公園へ会場を移して、西日本大濠花火大会となった。
数々のアイデアと抜群の行動力で博多の街を盛り上げた八尋利兵衛は、1921年(大正10)に没した。八尋利兵衛が眠る順正寺(福岡市博多区祇園町)の墓前では毎年、せいもん払いが始まる前日に関係者らが集まっている。

地元の『劇団ショーマンシップ』は、創立30周年を記念の創作オペレッタとして『やっぱり利兵衛~せいもん払いを始めた男 八尋利兵衛伝~』を2024年12月22日、博多座で上演する。劇団ショーマンシップを主宰する仲谷一志座長は、主人公である八尋利兵衛について、次のように語っている。

仲谷一志座長

地元劇団として創立30周年を迎え、これからも地元の物語をつくっていこうとする際、われわれのやるべきテーマと合致した人物が八尋利兵衛でした。

劇団『ショーマンシップ』は、全国的にも珍しい商店街の中に劇場を構える劇団です。
そして、私自身も縁あって現在、唐人町商店街連合会の理事長を務めています。
それだけに八尋利兵衛の行動力や調整力には、大いに学ぶところがありました。

アイデアマンだった八尋利兵衛からは、地域に根付くことの大切さを知ると共に勇気も大いにもらっています。

 

劇団『ショーマンシップ』の仲谷一志座長

 

 

明治期、福博のまちづくりに取り組んだ先人らに学ぶ

明治期後半における福博のまちづくりにおいて、稀代のアイデアマンである八尋利兵衛は大きな足跡を残している。
その一方、八尋利兵衛の功績は、同時代を生きて福岡市のメインストリートに名前を残した渡邉與八郎の陰に隠れがちでもある。
今日、150年近く続くせいもん払いに際して、明治期に福博のまちづくりにハード・ソフトの両面から挑んだ先人たちの姿勢や情熱をいま一度学び直してみるべきではないだろうか。

 

 

参照サイト

上川端商店街振興組合『せいもん払いとは?』
 http://www.hakata.or.jp/seimonbarai/

 

福岡県『140年以上の歴史を誇る川端通商店街』
https://www.pref.fukuoka.lg.jp/somu/graph-f/2020spring/shoppingstreet/index.html

 

川端通商店街ガイド 上川端商店街振興組合 川端中央商店街振興組合
https://kawabatadori.com/about/

 

博多の豆知識『八尋 利兵衛 せいもん払いを始めた男』
https://hakatanomiryoku.com/mame/%E5%85%AB%E5%B0%8B-%E5%88%A9%E5%85%B5%E8%A1%9B-%E3%81%9B%E3%81%84%E3%82%82%E3%82%93%E6%89%95%E3%81%84%E3%82%92%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%81%9F%E7%94%B7%E3%80%80

 

『福岡市政だより』【博多区】時代とともに、新たなにぎわい川端通商店街の現在
https://www.city.fukuoka.lg.jp/shicho/koho/fsdweb/2023/1115/hakata1610.html

 

【「市史だより Fukuoka」第2号(HTML版)】2006年3月15日 4. 表紙の写真は…
 https://www.city.fukuoka.lg.jp/shishi/dayori02.html#d02m04

 

廻游日記~京の神祠~:冠者殿社
https://kaiyu.omiki.com/kanja/kanja.html

 

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