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なぜ、今、「昭和」なのか?――昭和史は多くのことを教えてくれる

NHK出版デジタルマガジン

なぜ、今、「昭和」なのか?――昭和史は多くのことを教えてくれる

 2025年は「昭和100年」×「放送100年」の年です。その記念の年に、『昭和100年×放送100年 音声と写真でよみがえる昭和』3巻シリーズが発売になります。「歴史探偵」半藤一利の遺志を継ぐ昭和史研究の泰斗・保阪正康が、昭和元年から64年までを元NHKアナウンサー村島章惠(あきよし)と対話形式で解説したNHKラジオ深夜便「保阪正康と語る『昭和史を味わう』」。およそ三年にわたって放送された人気企画の待望の書籍化です。

「昭和は、日本人の国民的遺産、人類史の見本市である」(保阪正康)

 貴重な写真やイラストが満載で、NHKに残された音声をQRコードで聴きながら読める。唯一無二の「昭和の全歴史を追体験する」驚きのシリーズ第1弾『戦前編』より今回は「序」を特別公開します。
※本記事用に一部再構成しています

『昭和100年×放送100年 音声と写真でよみがえる昭和 戦前編』

なぜ、今、「昭和」なのか

昭和は人類史の見本市

村島 今年(平成二十六年、二〇一四年)は、昭和の初めから通算で数えると、昭和八十九年。昭和元年、一九二六年に生まれた人は米寿を迎える年になります。また、昭和が終わってから四半世紀が経ち、「昭和」と聞くと、昭和生まれの人にとってはノスタルジーを感じる年号であり、平成生まれの若い人にとっては、未知の新鮮な感覚を覚える時代といえると思います。そこで「ラジオ深夜便」では、この四月より毎月一回、丸三年をかけて昭和の全時代をしみじみと味わっていきたいと考えております。毎回この番組にご登場いただくのは、ノンフィクション作家で、昭和史を語り継ぐ会を主宰している保阪正康さんです。保阪さん、よろしくお願いいたします。
保阪 よろしくお願いします。
村島 さて、最初にお聞きしたいのは、「なぜ、今、昭和なのか」ということです。今の時代に昭和史を振り返ることの意味合いは、どういうことでしょうか。
保阪 私は、昭和という時代は、人類史の見本市であると考えているのです。「人類史の見本市」というと、みなさん「えっ」と驚かれるのですが、昭和という時代には、人類史が体験した歴史的現象がほとんど詰まっています。戦争、敗戦、部分的勝利、占領、被占領、テロ、クーデター、それに革命騒動、独裁、数えあげていけば限りがありません。
村島 戦前、戦中は、そうですね。
保阪 戦後になると、それまでの軍事主導時代から民主主義の時代になる。あるいは、飢えから飽食まで、とにかくいろいろな現象が昭和史には詰まっています。それを私たちは謙虚に見つめ直すことが必要だと思うのです。これはいわば、国民的遺産といえるのですよ。
村島 戦前、戦中、戦後という時代を、昭和という一つの年号でくくっているわけですけれど、六十四年という長い期間のなかで、日本人のメンタリティが育まれたということもいえるでしょうか。
保阪 大いにいえますね。先ほどいったようなさまざまな体験のなかで、日本人の発想、言動、さらには感性も大きく変わりました。生活習慣や社会的倫理まで実に幅広く変化しました。この変わった姿を、私たちは、仔細に分析しておくことが必要だと思います。
村島 昭和というのは、日本独特の元号です。並行して、西暦というものもあります。西暦ではなく、昭和という元号で歴史を見たり、考えたりするということは、どういう意味があるのでしょうか。
保阪 前の天皇から新しい天皇に代わるわけで、日本人にとっては、そこから一つの新しい時代をつくっていくという意味を表していると思います。国民の気持ちが新たになるといいますか、民心の一新ということが起こる。そこが、元号で歴史を見ることの一つの視点だと思います。
 西暦は百年単位で歴史を見ることです。私たちは一世紀という長いスタンスで見ることをあまり訓練されていないので、つい元号で見てしまう癖があるのですね。これは、両方の見方をうまく調整していかなければいけないと思います。元号で見るのは主観的歴史で、西暦で見るのは客観的歴史といえるかもしれません。いずれも必要だということです。
村島 主観的な見方の歴史が元号で見るということなのですね。この深夜便のリスナーも、一九XX年というよりも、昭和◯年といったほうがピンと来る人が多いでしょうね。
保阪 そうですね。私は、昭和◯年と西暦をすぐにイコールで結ぶように訓練していますけれど、たぶん、ある年代の人たちは、元号でものを考えるのではないでしょうか。
村島 それと同時に、当然、昭和天皇という存在も色濃くありますね。
保阪 明治、大正、昭和、平成と、それぞれの天皇がいらっしゃるわけですけれど、天皇の性格がある意味で時代をつくっているといえますし、時代がまた、天皇の性格をつくっているというのでしょうか、相互の関係性があるように思います。

昭和が持つ三つの時代空間

村島 昭和は六十四年まであるわけですけれど、戦前、戦中、戦後と、それぞれの時代を見ると、同じ昭和でもずいぶん違ってきますね。
保阪 ええ。私は、昭和という時代は、前期、中期、後期の三つの顔に分けて考えると理解しやすいと思っています。前期は、昭和元年(一九二六年)から、二十年(一九四五年)八月十五日の太平洋戦争終結までの二十年間です。八月十五日にポツダム宣言受諾の意思を示し、最終的に負けを認めるのは九月二日です。
村島 九月二日が境目なんですね。
保阪 ええ。東京湾に停泊していた戦艦ミズーリ号で、アメリカから出された降伏文書に日本側代表が調印しました。その後、連合国最高司令官マッカーサーと連合国九か国が調印して、正式に戦争が終わりました。国際法的には、この日が戦争終結の日ということです。ですから、ヨーロッパ各国の教科書には、「第二次世界大戦は九月二日に終わった」と書かれています。私たち日本人は、太平洋戦争の終結は八月十五日だと思っています。
 しかしそれは日本人の感覚であって、国際法的には九月二日なのです。同時代のなかで歴史を語るときは日本人が八月十五日を終戦の日とするのは自然なことですが、歴史というのは同時代の感覚を離れて進んでいきますから、おそらく百年後には、第二次世界大戦、太平洋戦争が終結した日は九月二日という理解になっていることでしょう。私は、この期間を昭和前期と呼んでいます。
村島 では、昭和中期というのはどの期間を指すのでしょうか。
保阪 昭和中期は、降伏文書調印後から、昭和二十七年(一九五二年)四月二十八日にサンフランシスコ講和条約が発効して独立するまでの六年八か月です。敗戦後、日本はアメリカを中心とする連合国によって占領支配を受けるわけですね。
村島 いわゆる、GHQ、連合国軍最高司令官総司令部が支配していた。
保阪 そうです。ですから、私たちはそのとき、実質的な国家主権を一度失っているわけです。たとえば外交権はなく、日本はその間、大使も公使も、大使館も領事館もどこにも置けませんでした。行政権、立法権、司法権などは日本に与えられているとはいえ、その上部に占領国の意思というものがありましたから、不完全な形の国家運営であったといえますね。私は日本が独立するまでのこの期間を昭和中期としています。
村島 この期間はどんな時代だったのでしょうか。
保阪 この期間に新憲法が発布されます(昭和二十一年。施行は二十二年)。日本国憲法の体制下、国民は主権者となりました。つまり、戦後民主主義がこの間につくられてきたわけです。戦後民主主義というものは、アメリカから与えられたというだけでなくて、私たち自身もつくってきたのだと思うのです。去年(二〇一三年)十二月、天皇陛下(現上皇)が、戦後民主主義には、日本人、アメリカ人、いろいろな人が関わって、一所懸命努力してつくってきたとおっしゃっていましたね。
村島 天皇誕生日に出した談話ですか。
保阪 ええ。あの理解が、私は正しいのではないかと思います。
村島 そしてそのあとが、昭和後期ということになるわけですね。
保阪 昭和二十七年四月二十八日に日本が国家主権を回復してから、昭和六十四年(一九八九年)一月七日まで、これを昭和後期と名付けようと考えています。昭和には三つの時代空間があるということですね。
村島 このシリーズも、その見方に寄せて時代を追っていくことにしたいと思いますが、一年目は太平洋戦争開戦まで(戦前編)、二年目は開戦からサンフランシスコ講和条約前まで(戦中・占領期編)、三年目は条約発効から昭和天皇崩御まで(戦後編)という区分けで見ていきます。
 それで、保阪さんのご指摘があって私ははじめて気がついたのですが、昭和の歴史は、ほとんどイコール「ラジオの歴史」でもあるということです。ラジオ放送の開始は、大正十四年(一九二五年)三月二十二日、これが今の放送記念日になっているのですが、調べたところまだ仮放送ということでした。NHK、日本放送協会が設立されたのは大正十五年の八月二十日。昭和の始まり、大正天皇が崩御されたのが大正十五年十二月二十五日。NHKと昭和は年齢が一緒なのです。
保阪 一緒ですね。放送の歴史というのは、つまり昭和の歴史ということができる。逆にいえば、昭和の年号で数えていくと、そのまま、ラジオの歴史になるということなんですね。ラジオ放送は、戦中はうまく国民とのつながりになれず、戦意高揚などに使われた歴史もあると思うのですけれど、ただ、日本の庶民文化というものを形づくっていくときに、ラジオの果たした役割は大きい。日本古来の芸術、浪曲や歌舞伎なども放送していたわけですから。
村島 ええ、日本の伝統芸能などですね。
保阪 それに、相撲の放送も忘れてはいけません。
村島 双葉山の六十九連勝、また七十連勝を阻まれたときなどの放送が有名ですね。このシリーズでは、ラジオ深夜便ならではの昭和史をつくっていきたいと考えています。そのために、その時代の音声を生かしながら、聴いていただきながら、昭和というものを味わっていただこうと思っております。

大正十四年三月一日、東京放送局のはじめてのラジオ放送が流れた(仮放送開始は同月二十二日)(ジャパンアーカイブズ)

歴史とは託していくもの

村島 そして今年(二〇一四年)は、『昭和天皇実録』が公刊されるという運びになっていますね(二〇一五年三月に刊行開始)。
保阪 天皇の実録としては、明治天皇の実録『明治天皇紀』が、明治百年記念事業の一環として昭和四十三年(一九六八年)から刊行されました。『大正天皇実録』は、まだ、本としては刊行されていませんが、平成十四年(二〇〇二年)から宮内庁が順次公開し、報道もされました。ただ、これは一部黒塗りのうえでの公開でした。プライベートな面などを黒塗りにしているので、史料として読むのが大変で、まだ、十分に読みこなす作業は進んでいないと思います(二〇一六〜二一年にかけて一〜六巻刊行)。その意味で、今度の昭和天皇の実録は、明治天皇型なのか、大正天皇型なのか、あるいは、まったく新しいタイプの実録なのか。どうも、宮内庁の発表などを見ていると、新しいタイプの実録のようですね。
村島 黒塗りはしないというふうなことも。
保阪 はい。五月中に今の天皇陛下(現上皇)にお見せして、天皇がお読みになって了解を得たうえで公開していく。それは、五月末か六月はじめではないかということが、新聞社には伝わってきているそうです。
村島 そうすると、また、新しい事実もわかってくるわけですね。
保阪 そうですね。百年、二百年経ったときには、この実録で昭和天皇が理解されるわけですから、今、宮内庁書陵部がそこにどういうことを書くのかというのは、私はとても興味があります。新しい史料も使うだろうと思いますし、見方も、新しいものが出てくるかなと期待しています。
村島 保阪さんは、この『昭和天皇実録』の研究グループのようなものにお入りになっているとお聞きしました。
保阪 はい、新聞社や通信社などの検討委員会のようなところに入っています。刊行されたら、それを読んで、分析していくわけですね。昭和天皇は、六十二年と二週間というように在位期間が長いのと、いろいろな史料や記録文書がありますから、それらをどういうふうに使いこなして書いていくのだろうという点に興味が持たれますね。
村島 保阪さんが昭和史を研究するにあたっての、独特のアプローチ、方法論、これはどんなものがありますか。
保阪 私は、昭和という時代は人類史の見本市だと最初にいいましたが、そのときに日本人は大きく変わったわけですから、これからの百年、二百年という単位で見れば、私たちの子孫は必ず昭和という時代を詳細に検証すると思うのです。この時代のなかに日本人の国民性を解く鍵があるはずだと考えるに違いないのです。
 ちょうど昭和三十年代に、私が高校生、大学生のころ、日本人の国民性が変わったのは明治維新のときではなかったかと、史学研究の学生たちは、だいたいが幕末から明治にかけての論文を必死に書いたものです。二百年余続いた鎖国が解けて、日本社会には急激に欧米の思想や生活習慣が入り込んできた。「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という都々逸は、外見とは別に一気に欧米化していく様を皮肉ったものです。江戸時代の幕藩体制下の日本人の姿はこのときに大きく変わったという視点で、私たちはその時代を検証したのです。
村島 なるほど、確かにそうかもしれませんね。
保阪 しかし私たちの四代、五代先の子孫たちは、日本人の国民性が真に変わったのは、昭和という時代にあまりにも多くの歴史的現象を体験したことが原因だと受け止め、それを具体的に確かめていくと思うのです。自分たちの先祖はどのような生き方をしたのだろうという関心を土台に据えてね。そのとき、「日本はアジアへ行って戦争しました」「アメリカと戦争しました」というような大雑把な歴史、そういう大きな言葉で語られるだけでしか歴史を伝えていないとなったら、百年、二百年先の子孫に申し訳ないと思うのです。子孫の関心に答えるには、私たちが多くの資料や証言を残していくことが重要です。さまざまな辛苦もあれば、喜びも、そして笑った日もあれば、泣いた日もあると正直な記録を残し、彼らに昭和という時代の実像を知らしめていくべきでしょう。
村島 保阪さんは「聞き書き」ということにも力を入れていらっしゃるのですね。
保阪 はい。私は、昭和という時代を単に大局的な、あるいは演繹的な見方で語るのではなく、もっと庶民の生きた姿をもとにして語り継ぐべきではないか、それが次代の人たちへの果たすべき役割ではないかと、昭和四十年代後半、三十二、三歳のころに思い立って、出版社を離れて「聞き書き」の旅に入りました。とにかくあらゆる階層の人々に会って、昭和の生活体験を確かめてみようと志を立てたのです。戦争を主導した軍人には、「あなたたちが戦争を決意したときのもっとも重要な理由はどこにあったのか」と尋ね、政治家には「あなたは政治家として、昭和という時代に生きたことは幸せだったと思うか」などとも尋ねました。
  また、日本人だけではなく、アメリカ、イギリス、オランダ、中国、インドネシア、韓国などにも取材に行って、「あなたたちは、あのとき日本人と戦ったけれど、日本をどのように見ていましたか」と尋ねて話を聞いてきたのです。そういうふうに、たくさんの証言を求め、記憶をたどってそれをまとめていく、そして記録も残していくということが、自分に課した仕事だったのです。
村島 保阪さんは庶民の目線を大事にしていくというふうなこともおっしゃっていますね。
保阪 ええ。結局、一人一人がどうやって生きたか、です。学問上は、あるいは政治的には、「日本は中国をはじめアジアの国々を侵略した」と一行で片づけられますが、ではそのときに日本兵はどういう気持ちで、名も知らぬ地に銃をかついで赴いたのでしょうか。そのときどのような心理状態だったのでしょうか。その時代を生きていた二十歳の青年は、どういう人生を送ったのか、そのお母さんはどういう気持ちで息子を戦場に送り出したのか、そういうことを確かめ、きちんと記録として残さないといけないと思ったのです。
村島 このシリーズでは昭和を回顧するわけですけれど、回顧するだけではなくて、その時代から学ぶということも大事ですよね。
保阪 昭和は国民的遺産だといいましたが、その理由の一つは、昭和という時代がいろいろなことを教えてくれているからです。ある人は、戦争で亡くなることによって教えている、ある人は、大変な苦労をすることによって教えている。私は、記憶を父とし、記録を母として、そして、教訓という子どもが生まれるのではないかと思っています。教訓、あるいは、知恵といいましょうか。昭和史を調べているうちに、そういう感じがしました。繰り返しますが、多くのことを昭和史は教えてくれています。教えてくれていることを、私たちはきちんと整理して、次の世代、そしてその次の世代へ伝えていきたいと思っています。
村島 これからの時代をどういう時代にしたらいいのかということは、過去から学んで、過去の教訓を栄養にして、新しい時代をつくっていく。そういう意味合いもあるということですね。
保阪 そうですね。過去に目をつぶることは、やはり、未来に対しても目をつぶることですから。過去をきちんと見て、そこから学び、現在につないでいって、そして未来へ託す。歴史というのは託していくもの、循環するものだと私は思います。

保阪正康(ほさか まさやす)著

1939年、北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。個人誌「昭和史講座」の刊行により菊池寛賞、『ナショナリズムの昭和』で和辻哲郎文化賞など受賞多数。

村島章惠(むらしま・あきよし) 聞き手

1948年、東京都生まれ。元NHKアナウンサー。慶應義塾大学法学部卒。72年にNHK入局。2008年退局後はNHKディレクターとして「ラジオ深夜便」などを担当し、現在もラジオ第2放送のNHKカルチャーラジオ「放送100年 保阪正
康が語る昭和人物史」の番組制作に携わる。

ヘッダーイラスト:安楽雅志
※QRコードの商標はデンソーウェーブの登録商標です。

『戦中・占領期編』『戦後編』も好評予約受付中!

第一章 太平洋戦争下の勤労動員、学童疎開
第二章 戦時下の一般兵士の実像
第三章 特攻隊と太平洋戦争の本質
第四章 戦争末期の庶民の本音とその暮らし
第五章 終戦の日はいつ?
第六章 昭和天皇とマッカーサーの出会い
第七章 新しい教育制度「六・三・三・四制」
第八章 日本国憲法の公布
第九章 昭和天皇の全国巡幸
第十章 東京裁判
第十一章 占領期のベストセラー

第一章 サンフランシスコ講和条約と東西冷戦
第二章 国際社会への復帰
第三章 経済の復興「もはや戦後ではない」
第四章 「六〇年安保」の時代
第五章 高度経済成長の始まり
第六章 都市と農村の生活環境の変化
第七章 東京オリンピック
第八章 日本万国博覧会とその時代
第九章 日本列島改造
第十章 行財政改革
第十一章 昭和から平成へ

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