【20年ぶり新紙幣】1万円札(渋沢栄一)、5,000円札(津田梅子)、1,000円札(北里柴三郎) 3人の新潟ゆかり人物をクローズアップ
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初掲載:2024年7月1日
2004年以来20年ぶり……。今月7月3日から新紙幣となるが、1万円札が渋沢栄一、5000円札が津田梅子、1000円札が北里柴三郎となる。国としてエポックメイキングなことであり、そこで新潟県関連企画として、各3人の新潟ゆかりの人たちに新札採用についての見解を聞いた。
渋沢栄一の銅像
日本の大実業家である渋沢栄一は、新潟県上越市出身の日本郵便の父、前島密と親しかった。その2人のエピソードを前島記念館(新潟県上越市)の利根川文男館長に聞いた。
「20年ぶりに新紙幣が発行される。一万円札に描かれている渋沢栄一は『日本の資本主義の父』と呼ばれて新しい日本の近代化の先駆者として評価が高い。前島密も『日本郵便の父』より『日本近代化の父』と呼ぶのが相応しいと言われるようになり評価も少し高まってきている。前島も渋沢も農民の出で同じような境遇で使命感、責任感、行動力で新しい時代の礎を築いた。両者の50年渡る関係はあまり知られていないが前島記念館にある石碑の表書きは渋沢が81歳の時の書であり関係を裏付ける。直木賞作家 門井慶喜の『ゆうびんの父』が4月3日に発売になった。作者は『日本で最初の近代人』は前島密であると評しているが、前島は評価を受けるのを好まなかった。渋沢は前島のことを以下に述べている。『誠に鋭敏、そうして常識に富んだ人である、それで考えが余りせぬ(中略)唯一目散に一つ考えたならばに進むということでもなく融通の利くお方である。それで意志がでないかというと、決してそうではない。方針を定めたこと必ず守る人である』と言っている。2人は盟友であり協力者であった」と話した。
津田塾大学
津田梅子は、日本初の女子留学生の一人で、女子大の名門・津田塾大学の創立者である。
津田塾大学卒業の新潟県新発田市出身で東京都在住の女性は、「自分が生きているうちに母校の創始者が紙幣の顔になるというのはとても嬉しく、誇らしい。創始者の津田梅子が今脚光を浴びるのは、彼女の生き方が今の時代にも通じるからだと思う。在学中何度も耳にした彼女の教えである”All-round Women”という言葉には、人間としても女性としても幅広い教養を身につけ、広い視野を持って活躍してほしいという想いが込められている。彼女は私欲を捨てて、女性の地位向上の道を開いた。経済も同じで、利益追求ではなく、社会への貢献を追求していけば成長できると思う。新紙幣の津田梅子の志を胸に明るい未来になることを期待するとともに、自分自身も教育者としての自覚と責任を持ち日々勉強を重ねたいと思う」とコメントした。
北里柴三郎の銅像
北里柴三郎はペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれるが、北里大学の創立者でもある。
北里大学出身で異色といえる新潟県魚沼市出身のシンガーソングライター、星野裕矢さんは、「北里柴三郎の情熱はどこからきていたのだろうか。それは恐らく自分の夢というよりも、誰かのためという志だったのだろう。そして時代に囚われない反骨精神は正にロックンローラーだ! 日本もあらゆる事で目紛しい進化を遂げたが、人を想う心を忘れていないだろうか?自分さえ良ければいいと、知らんぷりしていないだろうか? 北里柴三郎の『人に交わって恩を思え』という言葉が、いま僕の胸に問いかける。弟子であった野口英世の次に、千円札に選ばれたことがなんだか粋である。 北里大学の卒業生として、改めて北里柴三郎を誇りに思う」と語った。
新札発行の狙いの1つは、長年低迷する景気の回復もあるだろう。長期のデフレから物価高などにより表面的にはインフレに変わったが、中小・零細企業ではまだ賃金上昇には至っていないのが実情だと思われる。真の意味での経済の活性化、景気回復を願ってやまない。
(文・梅川康輝)