#2『星の王子さま』は誰に向けて書かれたのか――水本弘文さんが読む、サン=テグジュペリ『星の王子さま』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
水本弘文さんによる、サン=テグジュペリ『星の王子さま』の読み解き
大事なことは、目には見えない――。
砂漠に不時着した飛行士が、遠い星から来た不思議な少年と出会う物語『星の王子さま』。子どもの心の大切さを説く哲学的童話として、今も多くの人を魅了し続けています。
『NHK「100分de名著」ブックス サン=テグジュペリ 星の王子さま』では、著者が物語にこめた「目には見えない幸せの世界」について、水元弘文さんが多角的な視点から紐解きます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第2回/全4回)
第1回はこちら
私たちのなかに眠る子ども
『星の王子さま』出版より八年前の一九三五年、『パリ=ソワール』紙の特派員としてソビエト・ロシアへの長い汽車旅行に出たサン=テグジュペリは、ある夜、列車の三等客車に足を運び、そこにフランスを追われて故郷の窮乏のなかへ帰って行かなければならなくなった多数のポーランド人労働者たちが眠っているのを目にします。
彼らの重苦しく生気のない姿は、サン=テグジュペリの目にはでこぼこに歪(ゆが)んだ「粘土の固まり」のように映るのですが、このとき、ある夫婦の間で眠っている一人の子どもを目にします。そして、その寝顔の愛らしさに驚嘆するのです。
これこそ少年モーツァルトだ、これこそ人生の美しい約束だ。
(『人間の大地』8章)
眠るその子からあふれ出ている明るい生命の輝きに魅了されたのです。しかし同時に、この子もやがては両親と変わらぬ鈍重な「粘土の固まり」になり果てるのだろうか、との思いで暗澹(あんたん)となります。両親や他のおとなたちにも、昔はその子と同じ輝きがあったはずだからです。
ぼくを苦しめるもの、それは彼らへの施しのスープでは解決ができないものだ。彼らの身体のでこぼこでも、醜(みにく)さでもない。それは何というか、彼ら一人一人のなかで殺されたモーツァルトだ。
(『人間の大地』8章)
『星の王子さま』はいわばこの「殺された」少年モーツァルトを生き返らせ、おとなたちに昔の輝きを取り戻させようとする物語だと言えます。「殺された」のではなく「傷つけられた」だけで、少年モーツァルトは今もおとなたちのなかに眠っている。その思いあるいは願望が『星の王子さま』を執筆しているときのサン=テグジュペリには生まれていたのです。
そのことは、この物語が始まる前に置かれた「献辞」からも見てとれます。
「献辞」は冒頭に「レオン・ウェルトに」とあります。フランスで暮らす親友レオン・ウェルトに『星の王子さま』を捧げるということですが、サン=テグジュペリは続けて本来の読者である子どもたちに向かって、子どものための物語をおとなへ捧げる言い訳を始め、最後には、
子どもだったころのレオン・ウェルトに(献辞)
と、献辞の相手が子どもになるように書き替えるのです。これだと同時に親友にも子どもにも物語を捧げることになる、いい解決策です。ただ、この変更の意味はそれだけで終わるものではなく、文字通り、サン=テグジュペリは『星の王子さま』を昔の子どもつまり今のおとなに捧げたい、いやもっと正確には、今のおとなのなかにいる昔の子どもに捧げて、読んで貰いたいと言っていることになるのです。この言葉の前にはこうも書いています。
おとなはみんな最初は子どもでした(でも、そのことを忘れずにいるおとなは、多くありません)。(献辞)
たしかに子どものころの気持ち、子どもの心を忘れずにいるおとなは少ないかもしれません。しかし、忘れたものは何かのきっかけで思い出すこともあるのです。『星の王子さま』をそのきっかけに、とサン=テグジュペリは考えたのかもしれません。献辞を「レオン・ウェルトに」から「子どもだったころのレオン・ウェルトに」へわざわざ変更した一番の理由はおそらくここにあります。私たちのなかに眠っている小さな子どもに気づいて欲しいということです。
見えるものと見えないもの
「献辞」を読み終えると、物語です。最初に登場するのは王子ではなく、「ぼく」というこの物語の語り手、すなわちパイロットです。物語はこのパイロットが「六年前」の王子との出会いと別れを、思い出として語る形式で進んで行きます。
でもこの第1章で語られるのは、それよりずっと前の、パイロットがまだ子どもだったころの苦い思い出です。問題は、二枚の絵にありました。
パイロットは六歳のときにゾウを呑み込んだ大蛇の絵を描いておとなたちに見せたのですが、帰ってきた答えは「それは帽子だ」というもので、だれも大蛇の絵だとは分かってくれなかったのです。仕方なく腹の中のゾウが見える二枚目の絵を描いて見せても、やはりいい反応はなく、少年はとても傷つきます。自身がおとなの年齢になり、パイロットとして暮らしていながらも、周囲のおとなたちに溶け込めないままでいるほどです。
パイロットがおとなたちへの不信感を拭(ぬぐ)えずにいるのは、パイロットの心にある大事なことをおとなたちが大事と考えないから、具体的には、絵のなかの大蛇を帽子としか見ないからです。パイロットはそれは駄目な人だと見なします。
困ってしまいます。パイロットがおとなたちに見せた最初の絵、おとなたちが帽子だと思ったその絵を見て、私たちにはすぐに大蛇だと分かるでしょうか。無理です。なるほど、よく見れば右端に目らしきものがあり、中央部分の盛り上がりは腹が膨れているようにも見えます。ただそうした感想はあくまで、二枚目のいわば種明かしの絵を見た後に出てくるもので、最初の絵を見ただけでそれが大蛇であり、しかも腹の中にゾウが入っているとまで見抜くのは、作者以外誰にもできないだろうと思います。
出だしで意気阻喪(そそう)し、物語のなかに気分よく入っていけない気分です。
でも、おそらく、そう悲観することはありません。ここで作者が私たち読者に求めているのは、できもしない透視などではなく、たとえば「それは帽子だ」と間違えることだと思うからです。あるいは、何が描いてあるのか分からずに、首をひねることです。
「大事なことは目には見えない」、というのが『星の王子さま』がこれから読者に語ろうとすることなのですが、外側を描いた一枚目の絵をたとえば「帽子」と大きく外した人は、二枚目の内側を描いた絵でゾウがいるのに驚き、最初の絵がゾウを呑み込んだ大蛇だったと知ってびっくりすればいいのです。それが正解です。
外から見るだけではものごとの真実はとらえにくいということ、さらに、内側に隠れているものが分かると外側の意味もはっきりしてくるということ、それを読者が言葉ではなく驚きのなかで実感することを願って、作者はこの二枚の絵のエピソードを物語の最初に持ってきたのだと思います。
それに、私たちはもしかしてここで無意識のうちに、見えないものを見る練習も始めたかもしれません。つまり、ゾウがいる二枚目の絵を見た後、一枚目の絵を見直したかもしれないのです。すると何が起きるかというと、「帽子」が今度はきちんと「大蛇」に見えますし、見えないはずのゾウの姿までが腹のところにぼんやり見えてきます。私たちは、意識しないまま、見えないところを見ようとしていたのです。そして、隠れていたものが見えた後は表面の見え方までが違ってくるということも体感しました。
一枚目の絵を「帽子」と間違えた読者は、『星の王子さま』にとってはいい読者なのです。
空を飛ぶ少年サン=テグジュペリ
ここで作者のサン=テグジュペリについて簡単に触れておきます。彼もパイロットだったのです。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは一九〇〇年六月二十九日にフランスの商業都市リヨンで生まれました。父方は十字軍の時代から続く旧家で伯爵の称号を持っています。五人兄弟の真ん中で、上に姉が二人、下に弟と妹がいました。
三歳のときに父親が急死しますが、残された家族は同じリヨンに住む母の大叔母ド・トリコー伯爵夫人の庇護のもとで、窮乏することもなく生活できました。リヨン近郊の村、サン=モーリス・ド・レマンにあるド・トリコー伯爵夫人の館や、母の実家である南フランスのラ・モールの館が主な生活の場となり、サン=テグジュペリの作品には何度もそのころの思い出が出てきます。
初めて飛行機に乗ったのも、サン=モーリス・ド・レマン近くのアンベリュー飛行場でした。飛行機に興味津々(しんしん)の少年にパイロットが好意を持ち、飛行機に乗せて、飛行場上空を二周してやったのです。十二歳でした。ライト兄弟が初めてエンジン付きの飛行機で空に舞い上がってから九年、飛行機の信頼性はまだ薄く、このときサン=テグジュペリを乗せてくれたパイロットも二年後には墜落事故で亡くなっています。
それでも、サン=テグジュペリにとって空を飛ぶことは、このときから死ぬそのときまで求めて止まぬ夢であり続けました。一九二一年、兵役でドイツ国境の町ストラスブールの基地勤務になると、母に授業料を無心して民間の飛行訓練所へ通い、ついに飛行士の免状を手に入れます。その後は軍の操縦士のライセンスも取得し、地上要員の一兵卒で始まった兵役を最後は空軍少尉として終えることができました。
その後は、婚約者のルイーズ・ド・ヴィルモランとの結婚を考え、タイル会社の社員として堅実な生活を築こうとしますが、気持ちがついていきません。気難しい顔の日々が続いて、それが影響したのでしょうか、そのうち、婚約も破棄されてしまいます。
転機は一九二六年に訪れます。発足して間がない民間のラテコエール航空会社(後にアエロポスタル社)に入り、トゥルーズ=カサブランカ線、カサブランカ=ダカール線の定期郵便飛行の操縦士として働くことができたのです。
北アフリカの砂漠と西沿岸部を飛ぶこの路線は飛行機の故障、不安定な天候、砂漠の住民の襲撃、と危険に満ちたものでしたが、サン=テグジュペリは勇躍この仕事に邁まい進しんします。そして一九二七年十月から一年余りは、砂漠と海に囲まれたモロッコの中継基地キャップ・ジュビーの責任者として勤務。遭難機の救出に何度も飛び立つような生活でした。そのかたわら、あるパイロットの恋と死をテーマにした小説『南方郵便機』を執筆し、一九二九年に出版します。
この後、アルゼンチンのブエノスアイレス事務所の所長となり、南米路線の開拓に従事します。妻となるコンスエロ・スンシンに出会ったのはこのころで、一九三一年に南仏のアゲーで式を挙げることになります。彼女は『星の王子さま』のバラにも似た個性の強い女性だったようで、サン=テグジュペリとは三度目の結婚となります。そしてこの年に出版した南米路線の郵便飛行をテーマにした小説『夜間飛行』は同年のフェミナ賞を受賞し、後にゲラン社から同名の香水が出るほどのベストセラーになります。すっかり有名作家です。
その後も、路線勤務からは離れるものの、さまざまな機会をとらえて空を飛んでいました。著作は小説よりも自身の体験に省察を加えるエッセイが中心になります。『人間の大地』(一九三九年)もそうした一冊で、ジャンルにずれがあるにもかかわらず、アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞します。
第二次世界大戦が始まると偵察飛行部隊に所属し、部隊の損傷率が七割を超えるような過酷な戦場を生き延び、休戦後はドイツ支配下のフランスを離れてアメリカに亡命、戦時の体験を語った『戦う操縦士』(一九四二年)を発表します。そして一九四三年、久しぶりに出した小説が『星の王子さま』です。書き上げた後は、志願して戦場に戻り、偵察飛行に出て未帰還となりました。一九四四年七月三十一日です。一人、操縦席で迎えた最期でした。
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著者
水本弘文(みずもと・ひろふみ)
北九州市立大学名誉教授。九州大学文学部、同大学院修士課程修了。九州大学文学部仏語・仏文学科助手を経て、1975年から北九州市立大学文学部に勤務。専門はフランス文学。2011年に退職、現在は同大学名誉教授。著書に『「星の王子さま」の見えない世界』(大学教育出版)がある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■「100分de名著ブックス サン=テグジュペリ星の王子さま」(水本弘文著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『星の王子さま』他からの引用は、特記ない限り著者が翻訳しました。サン=テグジュペリ画の挿絵は『星の王子さま』(岩波書店)より引用しました。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年12月に放送された「サン=テグジュペリ 星の王子さま」のテキストを底本として一部加筆修正し、新たにブックス特別章「味わいながら目指すいい人生」、読書案内、年譜などを収載したものです。