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貝印 上席執行役員 CMO/CCO鈴木曜インタビュー「刃物メーカーの枠を超えた、ブランドの未来に挑む」

Marketing

マーケティングとクリエイティブの融合

――いかにも「クリエイティブの人」という感じのオシャレな出で立ちで、期待値が上がります(笑)。最初はキャリアについて教えてください。まず富士重工業(現SUBARU=スバル)に入社し、マーケティング推進部でマーケティングの基礎を身につけられたそうですね。その後、次第にクリエイティブの方向に関心を深め、スウェーデン発のクリエイティブエージェンシー「グレートワークス」でCEOに就任。現在は、同社の取締役CCOを務めながら貝印にジョインし、上席執行役員 兼 CMO/CCOとしてご活躍中。

「グッドデザイン賞」をはじめ、国内外で多数の賞を受賞されていると伺いましたが、もともとクリエイティブに強い関心があったのでしょうか。

キャリアの出発点は、モータースポーツの分野でした。1990年代後半から2000年代前半のリーマンショックの頃までは、自動車メーカーの中にモータースポーツに多額の投資をしていた企業がいくつかあり、富士重工業にもモータースポーツ関連の業務が存在していました。

実際のチーム運営は子会社の担当でしたが、私は親会社の立場からモータースポーツチームを統括し、マーケターとして活動をプロデュースする役割を担っていました。運転手ではないものの、さまざまなレース会場を巡る中で、「勝つまで帰れない」という時代の空気感もあり、非常に面白く、刺激的な毎日だったことを覚えています。

そんな日々を経て、次第にイベント全体のほか、デジタル領域全般のマーケティングや統合プロモーションのような大規模な案件に幅広く携われるようになり、多様な知見とスキルが身に付いていったのだと思います。

――マーケティングとクリエイティブの融合を意識し始めたのはどんなきっかけですか。

当時のスバルのマーケティング部門には広告だけでなく、商品企画のチームと、コミュニケーション担当のチームがありました。私自身がモータースポーツの領域を超えて、コミュニケーション企画にも幅広く携わり始めた頃には、「自分の目指す姿はマーケティングとクリエイティブの融合だ」「二足のわらじではなく、一足に融合して両軸を捉えるほうが良い成果につながりやすい」と意識するようになりました。商品とクリエイション、そしてコミュニケーションの両軸を別々ではなく、融合させて考えてこそ、納得のいくアウトプットが生まれると、今も思います。その後、クリエイティブの方向へ本格的に進むようになったのは、キャリアの中で「マーケティングとクリエイティブの融合こそ自分の目指す道」と考えるようになったからです。

――なるほど、その一環としてグレートワークスに移られるわけですね。

はい。当時広告領域で国内外の賞をいくつか受賞していたことから、クリエイティブ・ディレクターとしてお声がけをいただきました。

いつの時代もマーケティングとデザインは別物として捉えられがちでしたが、私自身は「本質的にはマーケティングもデザインも、それほど違いはない」と感じていました。価値の創造やコミュニケーションはマーケティングの一部であり、「それをどう融合させてデザインするか」が重要なのだと考えていたのです。

そうした背景もあり、当時次々と登場していたデジタルクリエイティブ・エージェンシーに関心を抱くようになりました。また、個人的に北欧のテキスタイルや家具のデザインに普遍的な美しさや魅力を感じていたこともあります。今だから言えますが、当時いくつかの会社からお誘いをいただいていた中で、最終的にスウェーデンの会社であるグレートワークスを選ぶことにしました。

CMO/CCOとして、多くの時間を投資していること

――貝印にはどのようなきっかけで入社したのですか。

当時、貝印の副社長だった現社長(遠藤浩彰 代表取締役社長 兼 COO)に、「貝印のブランドをもっと強くしたい」とお声がけをいただいたのがきっかけです。初めは広報宣伝部の部長として参画し、やがてデザイン部も担当するようになりました。この数年はブランドをより強化するために、ブランド企画の部署を立ち上げたり、商品企画との融合を図ったりしながら取り組みを進めています。

――貝印における鈴木さんの実績の中で、特に印象深いものは何でしょうか。

自分でゼロから組み立てて、一番苦労したことを考えると、AUGER(オーガー)というブランドですね。

貝印に参画した当時、カミソリと美粧、つまり毛抜きやオシャレハサミのようなビューティーツールは、それぞれ別のセグメントになっていました。しかし、さまざまな種類があるカミソリやビューティーツールを一手に取り扱うグローバルプレーヤーは、貝印のほかにほとんど存在しません。だからこれらを同じブランドとして展開すべきと考え、構想から約3年をかけてAUGERを作り上げました。その分、とても思い入れのあるブランドです。

デザインルールの策定から商品開発、プロモーションまで、すべてをチームの皆と一から作り上げられたのは、貝印というフィールドがあったからこそだと思います。もともとカミソリやハサミには奥深くて面白い商品が多いのですが、新たにブランドを立ち上げるのは、やはり大きな挑戦でした。

――売れ行きなど手応えはいかがですか。

ブランドを育てていくという観点から、あえて販路を限定していますが、狙いを定めたバラエティショップなどでは、売れ行きもかなり好調です。

――ありがとうございます。貝印ではCMOだけでなくCCOにも就任しています。日頃の業務内容を教えてください。

CCOは4月の人事で拝命しました。先ほども申し上げた通り、どんな商品を作り、どのようなコミュニケーションでお客さまに届けるかという点において、マーケティングとクリエイティブは本来、同じ領域にあるべきだと考えています。責任は重大ですが、両方を統括するポジションに就かせていただき、感謝しています。

具体的な業務としては、中長期のビジョン策定に多くの時間を使っています。マーケティング部門の本分は「未来をつくる仕事」だと捉えているからです。もちろん、直近の売り上げも大事ですが、目の前のことだけを考えて一日を過ごしていると、会社がどの方向に向かっているのか、5年後、10年後に会社がどうなっているかが時折、見えづらくなる気がします。そのような危機感も常に持ち合わせて業務に当たっています。

お客さまにも従業員にも、「より良い未来」を見ていただきたい。だからこそ、ワクワクするような中長期計画や、貝印しかたどり着けない景色を、皆で一緒に見に行こうと思って、成長戦略を描いています。

――未来のことをしっかりと考えるのは重要で、時に胸が躍りますよね。

例えば自動車の場合は開発期間が長くなりますが、貝印の商品は文化的な日用品であるため、5年先にどんなものを作りたいか、そのとき会社や自分たちはどうありたいのかを、日頃から考えておくことが重要です。

また、今後は自分たちの事業ドメインにとどまらず、新たな領域にも踏み出していきます。大胆な挑戦をするからには、私自身がトップランナーとしてリードする必要があると思います。貝印がどんな企業へ飛躍しようとしているのか。そのために、まず何をすべきか。そういう「未来の姿」を議論する会議によく参加しています。

――それは新しいプロダクトを出すことにとどまらず、という意味ですか。

そうですね。全く異なる領域についても考えています。私たちは刃物メーカーとして、刃物を取り巻く周辺領域でお客さまに寄り添うのが基本ではありますが、「刃物屋だからこれはできない」と諦めることもしたくありません。

貝印のマーケティングの3つの特徴

――楽しみですね。ありがとうございます。次に、貝印のマーケティングの特徴を教えてください。AUGERが代表例ですが、100年以上続く伝統的なブランドであることと、鈴木さんの挑戦的で革新的な発想が融合されているのがクリエイティブの特徴として1つあると思うのですが、マーケティングについてはどうですか。

貝印の製品における戦い方は大きく3つのポイントがあります。1つは「品質の高い刃物製品を適正な価格で提供する」ことです。競合他社も同様のスペックの商品を展開していますが、私たちは性能に優れた商品を、手に取りやすい価格でお届けするという基本姿勢を長く貫いています。

――薄利多売という意味ですか。

いえ、安さや低価格という意味ではなく、「適正価格」だということです。「正しさ」と言っていいかもしれません。そのあたりは、例えば為替の変動や資源価格の高騰などの局面で、競合との差が出てくるだろうと思います。

2つめの特徴は、商品や価格帯の「2階建て構造」です。例えば、「高級包丁」とされる1万5000円から2万円以上の包丁は、世界中で貝印が高い評価を受け、実際によく売れています。そのような高付加価値の商品については、価値に合わせた価格を設定して、しっかりと利益につながる設計がなされています。

3つめの特徴は、先ほどお話しした適正価格と商品価格の2階建て構造とも通じる点ですが、「商品や事業のラインアップが画一的ではなく、多面的かつ多層的であること」です。例えば、コロナ禍でマスクの着用が日常化し、「ヒゲ剃りは売れなくなるのでは」と言われた一方で、ステイホームによって自宅で過ごす時間が増え、包丁や製菓用品の売れ行きが伸びました。

このように、困難な局面においても、別の領域の商品群がしっかりとカバーできるのは、1万点にも及ぶ多様な商品を持ち、さまざまな角度から俯瞰して戦略を立てられる貝印の魅力だと思います。

――1万点はすごいですね。鈴木さんご自身が、マーケティングやクリエイティブにおいて参考にしていることや、意識的に学んでいることはありますか。

インプットとしては、読書に加えてアートをよく見ています。特に現代アートには、領域を溶かしていくような面白さを感じます。

昨年は海外におよそ100日ほど滞在しましたが、渡航した際に時間が確保できたときは必ず美術館と、ミシュランで評価されたレストランを訪れるように意識しています。

その上で、なぜその美術館や作品に価値があるのか、なぜそのレストランは「わざわざ旅して訪れるに値する」のかを、自分なりに分解して考えるようにしています。物事を分解して捉え、考えるという姿勢は、継続して日常的に大切にしていることのひとつです。

社会性のあるマーケティングで大事なコピーの考え方

――話題を呼んだ貝印の「#剃るに自由を」のように社会性のあるマーケティングに取り組みたいと考えているマーケターに「何を学ぶと良いか」などのアドバイスはありますか。

コピーですね。今はAIの台頭でさまざまなクリエイティブが簡単に作れる時代になっています。“ノンバーバル”という考え方もありますが、本当に心に刺さるクリエイティブを作るには、やはり言葉をセットで考えることが重要だと思います。

「#剃るに自由を」についても、言葉選びにはとても悩みました。当初仮置きされていたコピーは、「なんで剃らなきゃいけないの」的な意味合いのものだったんです。

――それはストレートに伝わってきますね。

そのコピーは、確かに刺さる人には強く刺さると思います。ただ、社会全体の視点で捉えたときに、少し違和感があったため、最終的には「ムダかどうかは、自分で決める。」という表現に落ち着きました。

「なんで剃らなきゃいけないの」といったスタイルの表現は、単体で見るとインパクトはありますし、“女性の味方”というメッセージも打ち出せるのですが、少しシニカルで、「私はやりたくない」といった姿勢を感じさせます。その点が、私にはしっくり来ませんでした。

私たちが伝えたかったのは、「剃っても剃らなくても、自由でいい」ということ。カミソリを販売している貝印がこのメッセージを発信する以上、伝え方の“シークエンス”がしっかりと設計されていないと失敗したり、社内外から反発を受けたりする恐れもあります。だから私は常々、「クリエイティブを考えるときは、個々の“絵”だけを見ずに、全体の流れ=シークエンスで捉えるべき」だと伝えています。このときは、多様性のある価値観の尊重という点で、貝印ならではの提案ができたと思います。

貝印の枠を飛び出した挑戦を

――ありがとうございます。次に、個人的なことを伺います。これはMarketing Nativeで恒例の質問なのですが、鈴木さんの経歴や受賞歴を見ると、「仕事で結果を出してきた、優秀な人だ」という印象を受けます。今あらためて振り返ってみて、ご自身が「ここを頑張ってきた」「ここは人より優れていた」と思う点があれば教えてください。

優れているかどうかは別として、20代の頃に猛烈に仕事をしたのが大きな財産になっていると感じます。寝食を忘れるほどガムシャラに働き、土台を築き、ほかの人よりも一歩先の世界を見ようと思い続けていました。それが今につながっています。

実際、20代を振り返ると、遊びや趣味などさまざまなことを犠牲にして、ひたすら仕事に打ち込んでいました。働く時間の長さだけでなく、「濃さ」も重要で、密度の濃い時間を長く積み上げてきたと思います。

当時は負けず嫌いで好戦的だった気がします。「先輩たちよりも密度の濃い時間と経験を積み上げて成果を出そう」と思い、一層猛烈に働くようにしていました。そうするうち、次第に先輩社員たちにも認めてもらえるような成果を出せるようになったと実感する時間が増えたように感じます。

その際、1つ付け加えると、「今、自分の実力値はどのあたりか」と進捗状況を意識すると、モチベーションにつながりやすいと思います。何となく頑張るだけでは挫折することもあるので、「その時間に何を学ぶか」「何を習得し、どんな成果を出すのか」「この3カ月でどのレベルまで達成できたか」などの目的意識を持って取り組むことが大切です。

当時は大変でしたが、先人に追いつき追い越したいと思いながら、そして自分を追い込みながら努力したことで、大きく成長できたと思います。ひたすら仕事量を積み重ねてきた経験や結果が自信となると同時に、追い越そうと思った人や過程にあった障害物のことは気にならなくなりました。

今の時代は、法律で定められた労働時間の中で働くことが良くも悪くも求められています。もちろん規律を守ることは大切ですが、それでも大きな成果を出したいなら、自分なりの「修業期間」を経験する必要があると思います。限られた時間の中でも、自らを厳しく追い込み、成長のチャンスをつかもうとする姿勢が大切です。その真剣な努力が蓄積されると、すぐに結果は出なくても、いずれ何らかの成果として現れるときが来ると思います。

――わかりました。鈴木さんは仕事以外で情熱を注いでいることはありますか。

24時間、寝ているとき以外は仕事をしているので、特に趣味らしい趣味があるわけではありません。そういう生活はつらいことはたまにあっても、全然苦にならないですね。

――検索すると、「ポルシェとワインが好き」と出てきました(笑)

もともと車が好きで自動車メーカーに入社したほどなので、車には強い愛着があります。一人で車を運転している時間は、思考の整理もできるため、自分にとってとても大切なひとときです。

お酒は大抵ワインを飲みます。先ほども申し上げたように、旅先では時間を見つけて美術館を訪れ、ミシュランの星を獲得しているレストランを予約するようにしています。アートを鑑賞したり、食事を楽しんだりすることで、人間としての豊かな営みに触れ、リフレッシュできるだけでなく、新しいアイデアに思いを巡らせることもでき、自分の心と身体が整っていく感覚を得られるからです。

――最後に、今後の目標や挑戦について教えてください。

AUGERをはじめ、貝印のさまざまなブランドがようやく軌道に乗り始めましたので、今後3~4年でさらにブランド力を高めていきたいと考えています。

もう一つは、「えっ、貝印がそんなことを?」と、皆さんに良い意味で驚いていただけるような取り組みを、この数年のうちに形にします。私自身も昨年から始動しているプロジェクトです。ぜひ楽しみにしていてください。

個人としては遠くない将来、海外で暮らすことを目指しています。中でも、特に水が合うと感じるのがヨーロッパです。現在の私のクリエイティブがどこまで通用するかは未知数ですが、アート、カルチャー、食、ライフスタイル、人々の考え方といった面では、ヨーロッパのほうが居心地が良いと感じています。これが今の個人的な目標ですね。

――本日はありがとうございました。

Profile
鈴木 曜(すずき・よう)
貝印株式会社 上席執行役員/ CMO/CCO/ マーケティング本部 本部長。
新卒で富士重工業(現SUBARU)に入社。モータースポーツやオフィシャルサイトの運営をはじめ、デジタル領域のマーケティング、プロモーションを幅広く担当。その後、スウェーデンのクリエイティブ企業「グレートワークス」に転職し、CEOに就任。現在はグレートワークスのCCOとして籍を置きながら、貝印に入社、現在に至る。
「グッドデザイン賞」をはじめ、国内外で多数の受賞歴を持ち、2019年には、『Forbes Japan』の「世界を変えるデザイナー39人」に選出された。

貝印:https://www.kai-group.com/

記事執筆者

早川巧

株式会社CINC社員編集者。新聞記者→雑誌編集者→Marketing Editor & Writer。物を書いて30年。
X:@hayakawaMN
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