家賃の便乗値上げに、メトロ運賃2倍の難…「パリオリンピック2024」現地からのリアルボイス【まいにちフランス語】
『NHKラジオ まいにちフランス語』から、文筆家でミュージシャンとして活躍する猫沢エミさんの人気連載「ジャパリジェンヌ奮闘記 ~ある日本人が見たパリ、フランス」をご紹介します。8月号のテーマは「パリオリンピック2024前夜」。パリ在住の猫沢さんならではの、現地発リアルボイスをお届けします。
パリオリンピック2024 は盛り上がっているの?
~開催直前! 現地パリの光と影~
2024年7月26日~8月11日で開催予定のパリオリンピック2024。3月4日に公開された公式ポスターには、35歳のフランス人イラストレーター、ウーゴ・ガットーニ氏の“架空のパリ” が採用された。フランスのバンド・デシネ(アート要素の強い、フランスの伝統的な漫画)のスタイルで描かれた柔らかいパステルカラーのイラストは、パリの観光名所を1か所に集めたまさに“お土産” のようで、円形のスタジアムを腰につり下げたエッフェル塔も、凱旋門のアーチをくぐるメトロも、すべてガットーニ氏のイマジネーションが作り上げた、実在しないファンタジーの世界だ。
「公式ポスター、なかなかいいよね」。そんな話をフランス人画家のパートナーの彼としていた2日後、「ハァ? ちょっと、これ見てよ」と、あきれ顔で差し出した彼の携帯の画面にあったのは、ガットーニ氏の描いたパリの観光名所に対して、保守派や極右派の政治家が異を唱えているという記事だった。理由はこうである。フランスの国旗がどこにも描かれていないこと、特にナポレオンが埋葬されているアンヴァリッド廃兵院の上に、本来ある十字架がないことに憤慨していると。「ナニそれ? パリの景色はそのまま描かなきゃいけない法律でもあるっていうのかよ」と、思わず口をついて出てきた彼のせりふ、おそらく多くの国民が素直に思ったことだろう。
保守系野党・共和党のフランソワ=グザヴィエ・ベラミー氏は、「フランスを否定し、現実をゆがめて歴史の痕跡を消そうとするも同然の行為」と自身のSNS アカウントで投稿。極右政党・国民連合(RN)のニコラ・メゾネ氏は、極右政党が問題視する“ウォーキズム(社会問題に対して高い意識を持つよう呼びかける主張)” をあおるために十字架が描かれなかったのだとつづった。この、過剰反応としか思えない極右政党の問題提起に対して、ガットーニ氏は「僕の頭の中にあるイマジネーションの建物を描いただけで、意図があったわけではない」と、誰もがうなずく、ごくまっとうな反論を展開した。そりゃそうだろう……(失笑)。
と、早くもパリオリンピックに漂う不穏な空気を感じ取っていた矢先、今年の初めにパリへ引っ越してきた“にゃんフラ(私が主宰しているネット上でのフランス語教室)” の新しい生徒さんから、今借りているアパルトマンを、大家の意向で急に出なくてはいけなくなったとの相談があった。それは明らかに、オリンピックに便乗した賃上げをもくろむ大家の意図が見え見えの、不条理な退去勧告だった。その頃、アパルトマンを通常値段で貸している大家たちが、オリンピック期間中の高額な短期貸しを狙って住人を追い出しているという話を、ちまたでもよく耳にしていた(不当な退去勧告には6000€の罰金が課せられる)。
この話を在パリの友人たちにしてみたところ、「不当な大家の家問題もだけどさ、オリンピックの期間中、メトロの運賃が倍になるって話じゃない⁉ パリの住人はどうすりゃいいのよ……」。そうだった……メトロを含む大会期間中の公共交通機関に支払う運賃が、なんとおよそ倍になると! 現在メトロの1回券は2.15€、つまり4€になるようで、円換算するととんでもなく高い金額になってしまう。そもそも当初は、期間中の公共交通機関の運賃については無料化が想定されていたし、パリを含むイル=ド=フランス地域評議会のヴァレリー・ペクレス議長は「このエリアの住人が、オリンピックに伴う追加費用を支払う必要はない」との見解を示していて、何か対策でも講じてくれるのかと思いきや、「《Navigo /ナヴィゴ》をはじめとする、フランスの公共交通パスを所有していない人は、7月20日までに期間中の分も回数券を前もって買っておけ」という無理やりな印象しかない注意喚起がなされるに至った。ちなみに観光客は、こちらもお高いパリ2024パス《Paris 2024 Pass》を購入しなくてはいけない(パリ全域で1日16€、1週間70€で乗車可能)。
開催期間中の自宅待機要請もしかり。毎日50万~100万人の観客がパリと近郊の交通網を使うことが予想されており、当然、あっという間に飽和状態が見込まれることから、先のペクレス議長は、イル=ド=フランスの住民に対して在宅勤務などの対応を呼びかけている。しかし、仕事は通常どおりのオリンピック期間中、日常生活に必要な交通網が使えない、もしくは不便になるって、開催地に暮らす私たちって邪魔者なの? と、思わず首をかしげてしまう。そんな背景もあって、友達の間ではオリンピック期間に入る前に、知り合いのいる田舎にしばらく行こうと思っている、という人が少なくない。
とまあ、現地住民視点のリアルな声は、なかなかシビアで申し訳ないのだけど(笑)、前回パリで開催されたオリンピックから、ちょうど100年の節目に開かれるパリオリンピック2024には、フランスらしい新しい試みがたくさん用意されている。“共有とサステナビリティー” を意識した革新的な大会を目指して、既存のインフラを最大限に利用し、CO2 の排出に配慮した輸送手段が取られる。また、オリンピック初の試みとして一般参加者を対象としたマラソンや自転車ロードレースが開催される。
また、シャンゼリゼ大通りは自転車競技場になり、セーヌ川ではトライアスロンの水泳競技が行われるなど、花の都・パリの観光名所がそのままオリンピックの舞台に。また、前回の東京オリンピックから正式に競技として加わったサーフィンは、フランス領ポリネシアのタヒチで開催されるなど、パリだけでなくフランス全土とフランスの海外領土でも開かれるグローバルなオリンピックになる予定。
昨今問われている、オリンピックの政治的利用や、現代においての存在意義の有無については、やはりフランスでも多く交わされている議論だが、スポーツ愛好国でもあるフランスで、世界トップクラスの選手たちが一堂に会するオリンピックは、純粋なワールドクラスの文化交流であってほしいと、一小市民の私は願う。
ところでせっかくパリに暮らしていて、一生にあるかないかのオリンピック観戦が望めばかなう私と彼の観戦モチベーションは、今のところ不透明(笑)。テレビでは、連日なんらかのオリンピックに向けた報道や番組が組まれているけれども、チケットは高いし、大きな競技場ではテロに狙われる可能性がゼロとは言い難い。「まあ、行きたくなるようなきっかけが、何かあるかもしれないし“On verra”(オン・ヴェラ/様子見する)だね」と、開催国のパリジャンが、オリンピック関連の番組を眺めながら言った。
猫沢エミ(ねこざわ・えみ)
ミュージシャン、文筆家、フランス映画を中心とした解説者。2002年渡仏。2007年より10年間フランス文化に特化したフリーペーパー«Bonzour Japon» の編集長を務める。超実践型フランス語教室『にゃんフラ』主宰。2022年2月より、再びパリへ拠点を移して活動開始。『料理は子どもの遊びです』『お菓子づくりは子どもの遊びです』(ともにミシェル・オリヴェ著/猫沢エミ訳、河出書房新社)。
Instagram:@necozawaemi
◆『NHKラジオ まいにちフランス語』2024年8月号
◆文・写真・イラスト:猫沢エミ
◆TOP画像:Shutterstock(テキストには掲載されておりません)