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東京大空襲から80年、空襲が私たちに教えてくれること。『すみだ郷土文化資料館』の「空襲体験画」から記憶の深層を読み説いた先に

さんたつ

【散歩の達人】空襲が私たちに教えてくれること_5

昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲から80年。こと甚大な被害を受けた隅田川流域の墨田区では、ある取り組みを率先して行ってきた。それは『すみだ郷土文化資料館』による「空襲体験画」の収集。いま、その重要性を考える。

すみだ郷土文化資料館

ちゃんと知りたい東京の空襲

昭和16年(1941)12月に始まったアジア太平洋戦争。アメリカ軍が初めて東京を空襲したのは昭和17年(1942)4月18日、B25による奇襲攻撃だ。昭和19年(1944)11月24日にはB29が航空機関連工場を第一目標に爆撃。これを機に東京は恒常的に空襲にさらされる。昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲ではついに市街地を焼夷弾で焼き払うことが目的に。4、5月にも空襲を受けた墨田区は区全体で約半分、本所地域は95%が焼失。終戦までに東京の空襲は約100回にも及んだ。

市民の空襲体験を記録する「空襲体験画」

日付が変わったばかりの3月10日0時7分、焼夷弾の投下で東京大空襲は始まった。

アメリカ軍は人口密度が最も高い隅田川両岸部の下町地域を「焼夷地区1号」と定め、全体を焼き尽くすべく、浅草、日本橋、本所、深川に照準点を設定。B29の先導隊が大型焼夷弾を投下して目印の火災を起こし、続いて本隊が、中に38発の小型油脂焼夷弾(M69)を納めた集束焼夷弾を、1機約40発ばらまいた。これはガソリンに増粘剤などを加えたナパーム剤を充填(じゅうてん)しており、着弾後に周囲に飛散。家や服、荷物などを激しく燃やし、木造家屋の密集地帯は火の海に。爆弾投下は2時間半続いた。火災は広範囲に広がり、火災旋風と呼ばれる火の粉交じりの烈風が発生したとも言われる。最終的に約41平方キロメートルの街が一晩で焼け野原と化したとされ、墨田、江東、台東区を中心に死者は約10万人と言われている。

が、意外なことに東京大空襲の実態は国・都規模でも解明は進んでおらず、いまだに分からないことだらけなのだとか。『すみだ郷土文化資料館』は被災地である墨田区立博物館として開館27年、延べ3人の担当者が空襲や戦争を1つの柱に調査・研究・展示を続けてきた。

空襲体験画はその1プロジェクト。東京の空襲の被災実態を表現した絵画収集である。「2004年の企画展に向け、2003年3月から広く提供を呼びかけました。『自らの空襲体験でもっとも印象に残る光景をご自身で描いてください』とお願いし、その1年で200点以上、その後も継続して現在は123人から計約300点収集しています。作者は空襲当時で下は4~5歳、上は20代後半。そのうち墨田区内が描かれた絵は3分の1ほどでしょうか」と、学芸員の石橋星志さん。

「炎に覆われる言問橋」作者:小倉茂山/日時:1945年3月10日未明/場所:隅田川・言問橋(現墨田区側)/当時の年齢:21歳/火に追われ言問橋の下に避難した作者。両端を火に挟まれ逃げ場のない人を助けようと、借りた布団を数名で広げた。7、8人を助けたが、老人や女性、子供の多くは飛び降りられず亡くなった。

最初の担当者の田中禎昭さん(現・専修大教授)が、市民の空襲体験を記録する手段に絵画を選んだのにはわけがある。それはトラウマを抱える体験者への記憶の深層部分を聞き取る難しさだ。証言の途中、心の底からよみがえる光景に言葉をつまずかせ、体験者自身が伝えるべき内容を意識的、あるいは無意識に選択してしまう。体験の記憶がこぼれ落ちてしまうのだ。

そこで、体験者に寄り添いながら記憶の深層へアプローチする方法を模索し、たどり着いたのが絵画による記録。言葉にできない記憶も絵にでき、描くことで記憶の深層が浮かび上がり言葉として証言される、そんな効果があるという。

「なので、絵画を受け取るだけでなく後日聞き取りをするのが特徴です。展示の際も一般的なキャプションではなく、作者を主語にした体験記を付記しています。絵と言葉、両者を見合わせることで気づくことも多い。描くことへの葛藤や何としても伝えたいという信念も感じることができるのです」(石橋さん)

絵画には主題があり、構図や色から主題を読み解く。だが空襲体験画の調査では、細部の描写にも注目する。作者が積極的には語らない記憶の深層が表れていることが多いからだ。

例えば「昔、街が焼かれた~虫けらのようになって~」の絵は、4人の姿が見える。うずくまる作者と兄弟、座る母だ。だが左端の黒い影、ここに証言しがたい記憶が反映されているという。それは作者が隣で見た、背中から一筋の煙が上がっている小さな子供の姿。絵にするまで誰にも話せず、けれど忘れられない記憶。自分だけが分かるように小さい影で残したそうだ。

「昔街が焼かれた~虫けらのようになって~」 作者:川井 満/日時:1945年3月10日/場所:本所(現墨田区南部)・竪川・千歳橋上/当時の年齢:12歳

東京大空襲から2025年で80年。空襲体験画の作者をはじめ、空襲・戦争体験者は年々姿を消す中、「体験者の持つ重み自体が社会から失われていく」と、石橋さん。「そうなる前に、体験者が絵に組み入れ切れなかった思いをできるだけ聞きたいし、体験画を1枚1枚見直し、見方を考え、理解を深めていきたい。空襲とは一体何だったのかに応える研究をする上で、体験画が果たす役割をさらに探っていきたいと思っています」。

2025年2月末時点の「すみだ地域の空襲焼失地と疎開対象地図」。

今、見据えているのは首都直下型地震。そこで起きるであろう大規模火災の防災対策が急がれる中、東京大空襲の調査、検証、研究を最大限に生かすべきだと石橋さんは言う。

「3月10日の延焼のコンピューターシミュレーションがあれば、体験者の避難経路や絵や言葉による証言とは独立し、本来は結び合うはずがない。でも、それをぶつけて修正し、延焼地図が作れたら、首都直下型地震の大規模火災のシミュレーションには大いに役に立つはずです。東京は防災のためにも空襲研究を進めていかなければいけません」

戦争も空襲も遠くなりにけり。けれどもその研究なしには本当の防災は語れない。

『すみだ郷土文化資料館』で企画展を開催中(~2025年9月21日)

「東京大空襲80年-空襲被害写真と空襲体験画を見つめて-」

展示資料は約90点。
見応えのある空襲体験画。
2階の常設室にも空襲体験画が。

2025年9月21日まで、3階展示室で開かれる、東京大空襲80年展の第2期展。4つのテーマを設け、花王をはじめ墨田区ゆかりの企業の被災資料紹介、東京の主な新聞社やニュース映画製作会社に設けられた「東部軍国防写真隊」の詳細と被害写真の解説、空襲体験画の構図別考察、区内の戦争遺跡と慰霊供養の紹介で展開する。

すみだ郷土文化資料館
住所:東京都墨田区向島2-3-5/営業時間:9:00~17:00(入館は~16:30)/定休日:月・第4火(祝の場合は翌平日)/アクセス:東武鉄道東武スカイツリーラインとうきょうスカイツリー駅から徒歩7分、地下鉄浅草線本所吾妻橋駅から徒歩8分

取材・文=下里康子 撮影=山出高士 資料提供=すみだ郷土文化資料館 参考文献=『描かれた東京大空襲 体験画図録』すみだ郷土文化資料館編(2016年)
『散歩の達人』2025年8月号より

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